社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

横本宏「統計的方法について-科学と人権の視点から-」『専修経済学論集』第31巻第3号, 1997年3月

2016-10-06 10:33:58 | 2.統計学の対象・方法・課題
横本宏「統計的方法について-科学と人権の視点から-」『専修経済学論集』第31巻第3号, 1997年3月

 『専修経済学論集』のこの号は, 佐藤博教授の退職記念号である。筆者はそれを記念してこの原稿を寄せた。この稿で, 筆者は第一にいわゆる統計的方法が, どのような場合に, どのような意味で科学的意義をもちうるかを考察している。この課題を設定したのは, ある問題を考えるときに, そこに統計的方法を適用すると, それがあたかも科学的な分析になると考え, またそうした効果をねらったものが後をたたないからである。第二の課題は, 統計的方法が意識的に, あるいは無意識的にある種の社会的利害関係や, イデオロギーを正当化し, 結果的に人権侵害を合理化することがあるので, その点に関する問題提起である。

 3つ問題(血液型と人格, 知能指数の測定, 「優生学」と統計利用)がとりあげられている。最初は人間の性格と血液型に関する論文, 松井豊「血液型による性格の相違に関する統計的検討」の論評である。松井はこの問題を検討するには2つの主要な問題, すなわち, 「データの代表性」と「交差妥当性」の問題があるとして, 年度を異にして実施された4つの調査結果(ランダムサンプリングという点で信頼できる)のそれぞれについてχ^2検定にかけ, 血液型ステロタイプが妥当性を欠くと結論づけた。筆者は心理学の世界で, このような議論が本気でなされていること, この種の問題に統計的検定法が使われたことに, 大変, 驚いたようである(そう書いてある)。つまり, 血液型と性格との間に因果関係があるかどうか, そこに何らかのメカニズムが働いているかどうかが明らかでないままに統計的検証を行っても, それは何ら事態を証明したことにならないし, そもそもこの種の仮説の真偽を統計的方法で決定することはできないのに, それが堂々と行われていたからである。もっとも, 筆者は統計的方法が科学的研究にとって一般的に意義がないと言っているわけではない。その方法が因果関係の追及に, 有力な手がかりを与えてくれる場合があることを筆者は承認している。筆者は松井論文の方法や結論に意義を申し立てるよりは, 明らかにすべきことの因果的研究をしないまま, 問題に統計的にアプローチし, 事柄の真偽に決着をつけ, 統計的方法の適用で仮説の妥当性を証明したかのような姿勢に疑問を呈しているのである。

 次の問題は, 知能指数を統計で測る問題についてである。筆者は直接的には, 岡堂哲雄の『心理テスト』をとりあげ, そこで紹介されている知能指数の計算式, 知能偏差値の計算式を要約的に説明したうえで, それらに対して批判的な疑義を示している。知能指数に関しては, 人間の知能の水準が年齢などで示される時間の経過にしたがって直線的に上昇するという仮定のもとに計算が行われているが, そのような仮定に根拠があるとはいえない, また知能指数をはじき出す際に行われるテストについて, さまざまなコンディション(慣れの程度, 拒絶感, 環境, 身体的・精神的条件など)が結果に影響するので, 指数の値に相違が出たとしても, そのことに特別な意味があるわけではない。また知能偏差値については, 知能の実態がわからなければその分布を確かめようがないのに, 知能が個人別に正規分布するとの前提にたち, いわば勝手に前提した分布を, 対象である人間の集団に押し付けているので, 合理的でない。筆者はこの批判点を, さらに「学力偏差値」の議論で補強している。また関連して, 知能測定の歴史が「優生学」とそれに対する闘いの歴史であったとして, ゴールトンの統計理論がそれに加担したことを再確認している(「優生学」は能力の優劣に応じた子孫の繁殖を行うことで, 人類を改良しようとする似非「科学」で, 「優生学」を意味する原語[eugenics]は「遺伝的優秀性」というギリシャ語からのゴールトンによる造語)。さらに, 筆者はその「優生学」が階級差別や人種差別を科学の名のもとに合理化してきたことを歴史的に検証した大著, D.J.ケヴルズの『優生学の名のもとに-「人類改良」の悪夢の百年-』をとりあげ, それが果たした功績を部分的に認めながらも, その「序」で述べられたゴールトン弁護の言い回し, あるいはゴールトンの数理統計学の発展に果たした貢献を彼の「優生学的思想」から切り離して評価する姿勢(「統計的方法」を無条件的に「優れた科学的方法」とする評価とともに)に疑問を投げかけている。

 筆者は人間の能力をめぐる主要な論争点は, 統計データや統計的方法で決着がつくような性質の問題ではない, と自らの見解を述べている(p.104)。文中の別の箇所で, 筆者は「仮に科学と人権とが対立する場合には, 人権が優先されるべきだと思う」(p.101)とも主張している。人間の能力と統計的方法での測定との関係を批判的に指摘した筆者の見解は, この主張とともに価値ある見識である。

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