雀庵の「常在戦場/88 キリスト教 vs イスラム教/了」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/368(2021/9/26/日】朝日新聞記者/編集委員の峯村健司著「潜入中国――厳戒現場に迫った特派員の2000日」(朝日新書)を読み終えた。
小生は1980年頃の1年間、自宅で朝日を購読していたが、ソ連のつまらない記事が多いのでウンザリし読売に変えた。ところが、今度は巨人軍の記事が多いのでこれまたウンザリ、リタイア後の2003年あたりからは産経に変えてまあ納得している。
しかし、出版業界は「悪貨は良貨を駆逐する」世界で、教養・学問系の書籍、雑誌、新聞は余程のことがない限り絶滅危惧種になっていくしかなさそうだ。新聞はたとえ20万部でも指導階級に絶大な影響力を持つオピニオン紙であればいいと思うが・・・
朝日新聞、朝日ジャーナルなどに煽られ、洗脳されて刑務所行きになった小生にとって朝日、朝日信者は敵である。ここ20年ほどは「朝日の記者は中国人と朝鮮人とアカに染まった日本人、ニューヨークタイムズ系のアカモドキばかりだろう」と思っていたので、冒頭の「潜入中国」を読んで「それなりにまともな記者がいるんだ」と、ちょっと驚いた。唐突に池田教をヨイショしている部分があったので「峯村記者はナンミョーか」と疑ったが、新聞社の多くは時々そうしないと池田教信者から購読を切られるので、まあ、ミカジメ料とか挨拶みたいなものか。
峯村記者が「あとがき」でこう書いていたのにも驚いた。
<朝日新聞の中国報道について「親中的」だという批判は根強い。1960年代の文化革命期に、中国当局は「反中報道」と批判し、各国の特派員を次々と国外追放にした。朝日新聞は当時の社長が「歴史の目撃者になるべきだ」として、追放されるような記事を書かないよう北京特派員に指示。当局に都合の悪いことは書かず、北京に残り続けた。
おそらくこの時の社の対応が尾を引いているのだろう。私個人は、この判断は間違っていたと考える。特派員の仕事は、ただ目撃するだけではない。それをリアルに素早く、そしてわかりやすく読者に伝えることだ。本来伝えるべきことを報じなかったのならば、その場にいない方が良いとすら思える>
それに続いて「その後の朝日新聞の中国報道は生き返ったと思う」とも書いているが、中共は今でも「朝日は味方、人民日報の日本語版だ」と思っているだろう。実際に相変わらず朝日は「中共応援団」、2021/9/24「豪州の原潜導入、対中国を念頭に 『緊張かき立てるな』近隣国は懸念」から。
<米英豪による新たな安全保障協力枠組み「AUKUS(オーカス)」をめぐり、豪州に近いインドネシアやマレーシアから「軍備競争につながる」との懸念が出ている。米中対立が深刻化するなか、インド太平洋地域は軍事的な競り合いの舞台になりつつあり、周辺国に不安が広がっている>
相も変わらず朝日は中共に寄り添っている・・・そうしないとリベラル≒アカモドキや新旧左翼系マルクス・レーニン主義のアカの読者が満足しないのだろう。峯村記者と産経ワシントン支局の黒瀬悦成記者を交換したらどうか。
さて、ハッジ・アハマド・鈴木氏の「イスラームの常識がわかる小事典」を元にした架空インタビューから学んでいこう。今回で締めくくりたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・
――イスラエルは1948年5月に独立宣言、それ以後はイスラエル=ユダヤ人とアラブ諸国=イスラームの対立が始まったのですが、ざっくりと経緯を追うと、
イスラエル独立宣言(1948)、第1次中東戦争(1948~49)で聖地エルサレムの西半分がイスラエル領に。第2次中東戦争(シナイ作戦、1956)、イスラエルはエジプトのスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻(英仏は早々と撤収)。
第3次中東戦争(6日間戦争、1967)、イスラエルはエジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原を占領下におき、エジプト統治下にあったガザ地区、ヨルダン統治下にあった東エルサレム・ヨルダン川西岸地区を主権下に。
第4次中東戦争(1973)、イスラエルの逆転勝利。国連はPLOを「準政府組織」として認定(1974)。イスラエル・エジプト平和条約締結(1979) 。イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構、パレスチナ自治政府の母体)、パレスチナ人の暫定自治の原則宣言に調印(オスロ協定、1993)成立。
世界はオスロ協定に期待しましたが、1996年からイスラエルに対するアラブ・イスラム原理主義者(ハマス、イスラーム聖戦、ヒズボラなど)のテロが激化してしまった。今やイスラム原理主義勢力は天敵のキリスト教、ユダヤ教のみならず、ヒンドゥー教であれ仏教であれ無神論であれ自由主義であれ、自派以外はすべて敵、ジハード(聖戦)で敵を殺せばあの世で復活して幸福になるという、恐ろしく非寛容で危険な勢力になってしまった印象を受けます。
「20世紀後半以降の戦争の多くは中東に舞台が移って『中東は危ない』というイメージが定着してしまった。その要因はユダヤ人国家イスラエルの建国と言えるだろう。ユダヤ人が国家を喪失したのは2000年前、日本なら卑弥呼以前の話。それ以降世界に散ったユダヤ人が聖地エルサレムのあるシオンの土地を“約束の地”として新国家を樹立しようとシオニズム運動を起こした。だが、そこには2000年前からパレスチナ人が定住していた。
シオニズム運動のユダヤ人は当初は土地を購入するという小さな動きだったが、ナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧とホロコースト(大虐殺)によりシオニズムが一気に現実化、パレスチナに『ユダヤ人国家』を建設していく。
土地を奪われ、追い出された難民は周辺地域に逃れ、失地回復を目指す。西側世界はナチスによる虐殺への同情からイスラエルに融和的だが、第4次中東戦争後にアラブ世界は(対抗策として)「石油戦略」を採択した。親イスラエル政策の国には原油輸出を禁止するというもので、それまで1バレル=2ドルだったのが一挙に10倍以上となり“オイルショック”が世界を震撼させた。
これを受けて西欧諸国はアラブに対する戦略を大きく転換していく。アメリカはイスラエルとエジプトとの和解を仲介し、エジプトは1979年にイスラエル国家を承認、イスラエルは1982年に占領していたシナイ半島をエジプトに返還した。
1993年のオスロ合意(協定)でヨルダン川西岸とガザ地区がパレスチナ自治地域となったが、その後の和平への動きは違った方向へ向かっている。イスラエルでは2001年2月にタカ派のシャロン首相が就任し、オスロ合意は反故にされ、血で血を洗う報復合戦が再び始まった。
さらに同年9月11日に米国で(イスラーム過激派による)『同時多発テロ』が勃発し、米国とイスラエルの利益は完全に一致した。パレスチナ問題の本質が植民地主義の延長線上にあり、民族運動であるというような酌量は一切切り捨てられた。米国の後ろ盾を得たイスラエルは俄然強気になり、有無を言わさぬ武力行使でパレスチナ自治区へ本格的に侵攻し、活動家を容赦なく殺害し、家屋を破壊していった。
パレスチナ住民に残された唯一の抵抗手段は『自爆殉教行為』だった。自らの生命をささげて自爆するという行動は、日本軍がかつてそうであったように、追い詰められたものがやむにやまれず選択する最後の手段なのである」
――先生、日本軍の特攻隊攻撃は敵の軍隊を叩くためであり、自爆や殉教ではないし、ましてや民間人を巻き添えにするような武士道にもとることはしなかったと思いますが・・・
さて、第4次中東戦争を機に1973年に第1次オイルショックが、1979年には 「イラン革命」を機に第2次オイルショックが始まり、産油国は莫大な利益を得るようになりました。産油国の多くはイスラーム国です。
「潤沢なオイルマネーを背景に各国はこぞって積極的な開発を進めるとともに『イスラーム復権』の動きが顕著になっていく。最も激しく躍動したのがイランで、1980年の『イラン革命』で国王を追放しシーア派イスラーム国家を樹立した。
欧米、特に米国はイランの米国大使館人質問題を巡って激しく反発し、一連の動きを『イスラーム原理主義』と名付け、イスラームをあたかも狂信的であるかのように喧伝した。イラン革命はイスラームを原点にして新たな世直しをしていこうという回帰運動なのだ。
奮闘努力するという意味の『ジハード』も誤解されて、本来は『人間の基本である生命、肉体、理性、財産、信仰などが脅かされた時、敢然と抵抗する」ことを言う。この定義が意訳されて『聖戦』となってしまった。イスラームは、あくまで平和を第一義とし、人間の尊厳が踏みにじられるような状況がない限り、武器を取って戦うのを禁じている。最初は我慢して耐え忍ぶこと、それでも侵害されて、どうしようもない時に、やむなく戦うというのが本筋なのだ。
そのためにジハードには規制が設けられており、自衛の域を越える攻撃は許されないし、先制攻撃をしたり、他に損害を与えたり、恐怖に陥れること、名誉を傷つけることも戒めている。戦闘においては、敵方の兵士だけを討ち、女性、子供、老人などの非戦闘員の殺害を固く禁じている」
――イラン革命以降の動きを先生の著書の小見出しから拾ってざっと紹介します。「サッダーム・フセインとイラン・イラク戦争」→「湾岸戦争とイラクの敗北」→「湾岸戦後処理の失敗とうごめくテロ組織」→「9.11同時多発テロ事件」→「アルカーイダとビン・ラーディン」→「アフガン攻撃 タリバーン政権の討伐」→「イラク戦争の真実 国連を無視したアメリカ」→「イラク戦争の謎 攻撃の大義は何だったのか」→「イスラームの反米感情」
その後には「パレスチナ自治政府の機能不全」「ガザ地区を支配するイスラーム原理主義ハマスとイスラエルの攻防」「イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコと国交正常化に合意」「アフガン米軍敗走しタリバーン政権復活もイスラム原理主義過激派が浸透狙う」という一進一退のような不安定な状況が続いています。
私が思うに、欧米流の「自由民主人権法治」を建前とした“政教分離の世俗主義”国家のリーダー層は、精々人口の40~50%が支持者で、安定的に過半数を得ているというのはあまりないでしょう。数年に一度の選挙のたびに無党派層などに“いい顔”しないといけない。実に厄介な制度ではあるが、今のところは「それ以上のシステムがないのだから」ということで先進国では定着しています。
一方でイスラーム一神教が多数派の国でも、政教分離をしている世俗主義国と、政教一致で国教と定めてイスラーム高位者による独裁的政治を良しとするイスラーム教国もある。
自由民主国とイスラーム教国のどちらがいいかはともかくとして、イスラーム教国が自由民主国に転換するには3代、90年ほどはかかる。宗教にアバウトな日本でさえ自由民主人権法治への転換は1868年の王政復古から始まり、米国による占領、洗脳?を経て1960年安保騒動(反米・親共)でようやく一区切りつきました。
親父がタネを蒔き、息子が育て、孫が刈り取る・・・これが難しい。3代目は生まれた時から乳母日傘で恵まれていますから、大体ガッツがない遊び人、というのが日本では昔から相場になっている。
1945年前後からイスラームは苦労を重ねながら独立していきますが、今は衣食足りて富国強兵の努力を忘れ、「好きなことだけに心を向ける」3代目のようなボンクラばかりのような気がします。潤沢なオイルマネーが3代目をダメにした。
宗教観は人それぞれでしょうが、「宗教は人間の幸福のためにある」と考える人もいれば、「人間は宗教の世界制覇のためにある」と考える人もいる。混沌とした世界にそれなりの秩序をもたらす解はあるのか・・・まったく悩ましいことです。
「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において・・・人間味に溢れた預言者ムハンマドの慈しみの精神に触れることは、崩壊に警鐘が鳴る現代社会への智慧になるだろう」
――ありがとうございました。深入りして自爆テロに遭わないように祈っています。(了)
・・・・・・・
ああ、長かったなあ、宗教というジャンルは科学・学問ではなく「初めに神ありき」を前提にしているから永遠に0+0+0を繰り返しているようで疲れる。神はビッグバン以前からの存在か、以後からの存在か、ビッグバン以前なら「無」であり、「無」の中に神は一人ぽっちでいたのか・・・宗教に「淫する」とろくなことにならないというのは日本人の智慧だろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/368(2021/9/26/日】朝日新聞記者/編集委員の峯村健司著「潜入中国――厳戒現場に迫った特派員の2000日」(朝日新書)を読み終えた。
小生は1980年頃の1年間、自宅で朝日を購読していたが、ソ連のつまらない記事が多いのでウンザリし読売に変えた。ところが、今度は巨人軍の記事が多いのでこれまたウンザリ、リタイア後の2003年あたりからは産経に変えてまあ納得している。
しかし、出版業界は「悪貨は良貨を駆逐する」世界で、教養・学問系の書籍、雑誌、新聞は余程のことがない限り絶滅危惧種になっていくしかなさそうだ。新聞はたとえ20万部でも指導階級に絶大な影響力を持つオピニオン紙であればいいと思うが・・・
朝日新聞、朝日ジャーナルなどに煽られ、洗脳されて刑務所行きになった小生にとって朝日、朝日信者は敵である。ここ20年ほどは「朝日の記者は中国人と朝鮮人とアカに染まった日本人、ニューヨークタイムズ系のアカモドキばかりだろう」と思っていたので、冒頭の「潜入中国」を読んで「それなりにまともな記者がいるんだ」と、ちょっと驚いた。唐突に池田教をヨイショしている部分があったので「峯村記者はナンミョーか」と疑ったが、新聞社の多くは時々そうしないと池田教信者から購読を切られるので、まあ、ミカジメ料とか挨拶みたいなものか。
峯村記者が「あとがき」でこう書いていたのにも驚いた。
<朝日新聞の中国報道について「親中的」だという批判は根強い。1960年代の文化革命期に、中国当局は「反中報道」と批判し、各国の特派員を次々と国外追放にした。朝日新聞は当時の社長が「歴史の目撃者になるべきだ」として、追放されるような記事を書かないよう北京特派員に指示。当局に都合の悪いことは書かず、北京に残り続けた。
おそらくこの時の社の対応が尾を引いているのだろう。私個人は、この判断は間違っていたと考える。特派員の仕事は、ただ目撃するだけではない。それをリアルに素早く、そしてわかりやすく読者に伝えることだ。本来伝えるべきことを報じなかったのならば、その場にいない方が良いとすら思える>
それに続いて「その後の朝日新聞の中国報道は生き返ったと思う」とも書いているが、中共は今でも「朝日は味方、人民日報の日本語版だ」と思っているだろう。実際に相変わらず朝日は「中共応援団」、2021/9/24「豪州の原潜導入、対中国を念頭に 『緊張かき立てるな』近隣国は懸念」から。
<米英豪による新たな安全保障協力枠組み「AUKUS(オーカス)」をめぐり、豪州に近いインドネシアやマレーシアから「軍備競争につながる」との懸念が出ている。米中対立が深刻化するなか、インド太平洋地域は軍事的な競り合いの舞台になりつつあり、周辺国に不安が広がっている>
相も変わらず朝日は中共に寄り添っている・・・そうしないとリベラル≒アカモドキや新旧左翼系マルクス・レーニン主義のアカの読者が満足しないのだろう。峯村記者と産経ワシントン支局の黒瀬悦成記者を交換したらどうか。
さて、ハッジ・アハマド・鈴木氏の「イスラームの常識がわかる小事典」を元にした架空インタビューから学んでいこう。今回で締めくくりたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・
――イスラエルは1948年5月に独立宣言、それ以後はイスラエル=ユダヤ人とアラブ諸国=イスラームの対立が始まったのですが、ざっくりと経緯を追うと、
イスラエル独立宣言(1948)、第1次中東戦争(1948~49)で聖地エルサレムの西半分がイスラエル領に。第2次中東戦争(シナイ作戦、1956)、イスラエルはエジプトのスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻(英仏は早々と撤収)。
第3次中東戦争(6日間戦争、1967)、イスラエルはエジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原を占領下におき、エジプト統治下にあったガザ地区、ヨルダン統治下にあった東エルサレム・ヨルダン川西岸地区を主権下に。
第4次中東戦争(1973)、イスラエルの逆転勝利。国連はPLOを「準政府組織」として認定(1974)。イスラエル・エジプト平和条約締結(1979) 。イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構、パレスチナ自治政府の母体)、パレスチナ人の暫定自治の原則宣言に調印(オスロ協定、1993)成立。
世界はオスロ協定に期待しましたが、1996年からイスラエルに対するアラブ・イスラム原理主義者(ハマス、イスラーム聖戦、ヒズボラなど)のテロが激化してしまった。今やイスラム原理主義勢力は天敵のキリスト教、ユダヤ教のみならず、ヒンドゥー教であれ仏教であれ無神論であれ自由主義であれ、自派以外はすべて敵、ジハード(聖戦)で敵を殺せばあの世で復活して幸福になるという、恐ろしく非寛容で危険な勢力になってしまった印象を受けます。
「20世紀後半以降の戦争の多くは中東に舞台が移って『中東は危ない』というイメージが定着してしまった。その要因はユダヤ人国家イスラエルの建国と言えるだろう。ユダヤ人が国家を喪失したのは2000年前、日本なら卑弥呼以前の話。それ以降世界に散ったユダヤ人が聖地エルサレムのあるシオンの土地を“約束の地”として新国家を樹立しようとシオニズム運動を起こした。だが、そこには2000年前からパレスチナ人が定住していた。
シオニズム運動のユダヤ人は当初は土地を購入するという小さな動きだったが、ナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧とホロコースト(大虐殺)によりシオニズムが一気に現実化、パレスチナに『ユダヤ人国家』を建設していく。
土地を奪われ、追い出された難民は周辺地域に逃れ、失地回復を目指す。西側世界はナチスによる虐殺への同情からイスラエルに融和的だが、第4次中東戦争後にアラブ世界は(対抗策として)「石油戦略」を採択した。親イスラエル政策の国には原油輸出を禁止するというもので、それまで1バレル=2ドルだったのが一挙に10倍以上となり“オイルショック”が世界を震撼させた。
これを受けて西欧諸国はアラブに対する戦略を大きく転換していく。アメリカはイスラエルとエジプトとの和解を仲介し、エジプトは1979年にイスラエル国家を承認、イスラエルは1982年に占領していたシナイ半島をエジプトに返還した。
1993年のオスロ合意(協定)でヨルダン川西岸とガザ地区がパレスチナ自治地域となったが、その後の和平への動きは違った方向へ向かっている。イスラエルでは2001年2月にタカ派のシャロン首相が就任し、オスロ合意は反故にされ、血で血を洗う報復合戦が再び始まった。
さらに同年9月11日に米国で(イスラーム過激派による)『同時多発テロ』が勃発し、米国とイスラエルの利益は完全に一致した。パレスチナ問題の本質が植民地主義の延長線上にあり、民族運動であるというような酌量は一切切り捨てられた。米国の後ろ盾を得たイスラエルは俄然強気になり、有無を言わさぬ武力行使でパレスチナ自治区へ本格的に侵攻し、活動家を容赦なく殺害し、家屋を破壊していった。
パレスチナ住民に残された唯一の抵抗手段は『自爆殉教行為』だった。自らの生命をささげて自爆するという行動は、日本軍がかつてそうであったように、追い詰められたものがやむにやまれず選択する最後の手段なのである」
――先生、日本軍の特攻隊攻撃は敵の軍隊を叩くためであり、自爆や殉教ではないし、ましてや民間人を巻き添えにするような武士道にもとることはしなかったと思いますが・・・
さて、第4次中東戦争を機に1973年に第1次オイルショックが、1979年には 「イラン革命」を機に第2次オイルショックが始まり、産油国は莫大な利益を得るようになりました。産油国の多くはイスラーム国です。
「潤沢なオイルマネーを背景に各国はこぞって積極的な開発を進めるとともに『イスラーム復権』の動きが顕著になっていく。最も激しく躍動したのがイランで、1980年の『イラン革命』で国王を追放しシーア派イスラーム国家を樹立した。
欧米、特に米国はイランの米国大使館人質問題を巡って激しく反発し、一連の動きを『イスラーム原理主義』と名付け、イスラームをあたかも狂信的であるかのように喧伝した。イラン革命はイスラームを原点にして新たな世直しをしていこうという回帰運動なのだ。
奮闘努力するという意味の『ジハード』も誤解されて、本来は『人間の基本である生命、肉体、理性、財産、信仰などが脅かされた時、敢然と抵抗する」ことを言う。この定義が意訳されて『聖戦』となってしまった。イスラームは、あくまで平和を第一義とし、人間の尊厳が踏みにじられるような状況がない限り、武器を取って戦うのを禁じている。最初は我慢して耐え忍ぶこと、それでも侵害されて、どうしようもない時に、やむなく戦うというのが本筋なのだ。
そのためにジハードには規制が設けられており、自衛の域を越える攻撃は許されないし、先制攻撃をしたり、他に損害を与えたり、恐怖に陥れること、名誉を傷つけることも戒めている。戦闘においては、敵方の兵士だけを討ち、女性、子供、老人などの非戦闘員の殺害を固く禁じている」
――イラン革命以降の動きを先生の著書の小見出しから拾ってざっと紹介します。「サッダーム・フセインとイラン・イラク戦争」→「湾岸戦争とイラクの敗北」→「湾岸戦後処理の失敗とうごめくテロ組織」→「9.11同時多発テロ事件」→「アルカーイダとビン・ラーディン」→「アフガン攻撃 タリバーン政権の討伐」→「イラク戦争の真実 国連を無視したアメリカ」→「イラク戦争の謎 攻撃の大義は何だったのか」→「イスラームの反米感情」
その後には「パレスチナ自治政府の機能不全」「ガザ地区を支配するイスラーム原理主義ハマスとイスラエルの攻防」「イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコと国交正常化に合意」「アフガン米軍敗走しタリバーン政権復活もイスラム原理主義過激派が浸透狙う」という一進一退のような不安定な状況が続いています。
私が思うに、欧米流の「自由民主人権法治」を建前とした“政教分離の世俗主義”国家のリーダー層は、精々人口の40~50%が支持者で、安定的に過半数を得ているというのはあまりないでしょう。数年に一度の選挙のたびに無党派層などに“いい顔”しないといけない。実に厄介な制度ではあるが、今のところは「それ以上のシステムがないのだから」ということで先進国では定着しています。
一方でイスラーム一神教が多数派の国でも、政教分離をしている世俗主義国と、政教一致で国教と定めてイスラーム高位者による独裁的政治を良しとするイスラーム教国もある。
自由民主国とイスラーム教国のどちらがいいかはともかくとして、イスラーム教国が自由民主国に転換するには3代、90年ほどはかかる。宗教にアバウトな日本でさえ自由民主人権法治への転換は1868年の王政復古から始まり、米国による占領、洗脳?を経て1960年安保騒動(反米・親共)でようやく一区切りつきました。
親父がタネを蒔き、息子が育て、孫が刈り取る・・・これが難しい。3代目は生まれた時から乳母日傘で恵まれていますから、大体ガッツがない遊び人、というのが日本では昔から相場になっている。
1945年前後からイスラームは苦労を重ねながら独立していきますが、今は衣食足りて富国強兵の努力を忘れ、「好きなことだけに心を向ける」3代目のようなボンクラばかりのような気がします。潤沢なオイルマネーが3代目をダメにした。
宗教観は人それぞれでしょうが、「宗教は人間の幸福のためにある」と考える人もいれば、「人間は宗教の世界制覇のためにある」と考える人もいる。混沌とした世界にそれなりの秩序をもたらす解はあるのか・・・まったく悩ましいことです。
「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において・・・人間味に溢れた預言者ムハンマドの慈しみの精神に触れることは、崩壊に警鐘が鳴る現代社会への智慧になるだろう」
――ありがとうございました。深入りして自爆テロに遭わないように祈っています。(了)
・・・・・・・
ああ、長かったなあ、宗教というジャンルは科学・学問ではなく「初めに神ありき」を前提にしているから永遠に0+0+0を繰り返しているようで疲れる。神はビッグバン以前からの存在か、以後からの存在か、ビッグバン以前なら「無」であり、「無」の中に神は一人ぽっちでいたのか・・・宗教に「淫する」とろくなことにならないというのは日本人の智慧だろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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