雀庵の「常在戦場/114 熱戦へカウントダウンは始まった」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/394(2021/11/20/土】太宰曰く「良い予感は外れ、悪い予感は当たる」。そこまでは言えないだろうが、「期待」は概ね「挫折」する。スポーツ選手などはそこそこ上位だと「いつかはトップに」と思ったりするだろうが、才能と努力もあって地区大会で入賞しても、全国大会、さらに世界大会を制覇するのは「心技体+運」の奇跡に近いのではないか。
「挫折」が必ずしも悪いわけではない。大体、挫折を知らない人はまずいない。「艱難汝を玉にす」「失敗は成功の基」でもある。挫折や失敗や乗り越えて挑戦していくのか、新しい分野に転身するのか、それとも引き籠るか・・・日本人は概ね挑戦・転身派だろう。転業、転換、転戦、転進、小生は転向だな。
これという資源のない小さな島国だから、ご先祖さまはナニクソ!と脳みそと手足をフル稼働させて今の日本を創ってきた。根性があり、先の敗戦でもめげずに、瞬く間に一等国に返り咲いた。「経済大国」という経済の分野だけれど、銃の代わりにカタログと見本品を持って世界を巡り、艱難辛苦、それだって一種の戦争だった。
さて、本題。現代史で世界制覇を目指し、軍事力=戦争でそれを実現しようとした政治家として一番有名なのはドイツのヒトラーだろう。
<ヒトラーは1933年に首相に就任すると、ただちに一党独裁の全体主義体制を確立、経済建設と再軍備拡張をはかった。1934年ヒンデンブルク大統領の死後、総統となり、ヴェルサイユ体制(第1次大戦後のドイツ封じ込め策)の打破を進めた。
1939年9月、第二次世界大戦に突入し、41年6月にはソ連にも侵入、一時ほとんど全ヨーロッパを占領した。また、各地に強制収容所を設置して、ユダヤ人やスラヴ人を虐殺した。対ソ連のスターリングラードの戦いでの敗北を機にドイツは劣勢となり、1944年6月、(米英仏など)連合軍のノルマンディー上陸作戦で東西から挾撃された。7月、国防軍の反ヒトラー派によるヒトラー爆殺事件は奇跡的に切り抜けたが、1945年4月30日、ベルリンの陥落直前に愛人エヴァとともに自殺した>(旺文社世界史事典)
ヒトラー・ナチスの世界制覇戦争は6年で無残な敗戦(米英仏ソなど連合国側の勝利)になった。独と同盟した枢軸国の日伊なども同様に無残な敗戦になった。より正確に言えば、米国以外は疲弊した。戦後は米ソの冷戦はあったが、大国間の戦争はなかった。それは凄まじい破壊力の核兵器が抑止力になっていたからだ。核戦争になれば当事国はいずれも大打撃を免れ得ない。
現在、米ロ中英仏印パ北+イスラエルなどの持つ核兵器は全体で1万3000発あたりで、世界というか地球から人間はもとより動植物を数百年間駆除するパワーがあるそうだ。核兵器が戦後に実戦で使われたことがなかったのは、その破壊力を使えば敵も自国も壊滅的な打撃を被るので「攻撃を受けなければ使わない」という暗黙のルールがあったからである。
ところが、核戦争を恐れない指導者が登場した。元祖は世界最大の人口大国、中国の毛沢東である。戦争で兵士(貧民)や悪政で人民が数千万人死んでも、それは単なる数字であり、痛痒を覚えないのが毛沢東流だ。冷血漢のよう。都合の悪いことはなかったことにする、忘れたふりをする、隠蔽する。
そう言えば米国では第2次大戦時のFDRルーズベルト政権時の機密文書公開をまたもや延期したが・・・「勝てばすべて許される」「不都合な真実は隠す」、軍の指導者、政治のトップとはそういうものかもしれない。毛沢東はヒトラー、スターリンを超える20世紀最大の殺人者だろう。毛は糟糠の妻の死だけは死ぬまで悲しむという、かなりエキセントリックな政治家だった。
1953年にスターリンが死に、1956年にフルシチョフによる「スターリン個人独裁批判」がなされた。毛沢東にとってスターリンは資金源、タニマチで頭が上がらなかったが、スターリン死後もソ連は中共にとって最大の後援者であり続けた。個人独裁批判は毛沢東にとって到底受け入れられないものだったが、「綱領から『毛沢東思想』の言葉を削除し、党中央政治局による集団指導と法の支配を打ち出した」(WIKI)。実際はソ連へ阿(おもね)っただけの有名無実に終わったが・・・
毛はフルシチョフの平和共存路線=世界革命放棄に対する反発を強めつつも、1958年にはソ連の協力により原子炉運転開始に漕ぎつけた。翌1959年に中ソ協定破棄、その後、独力で核兵器開発に着手し、1964年、日本が東京五輪に浮かれている最中の10月16日、中国西部で原爆実験に成功、1967年には水爆実験も成功させた(広島平和記念資料館)。
毛沢東はスターリン死後あたりから核武装を目指していたようで、1955年のアジア・アフリカ会議、1957年のソ連で開かれた社会主義陣営の各国首脳会議で、「大体、我が国は人口が多過ぎる。原爆で半分死んでも我が国にはまだ3億人もいる」と豪語して、世界の海千山千の元首を唖然とさせている。
1958年9月、核兵器製造の目途が付いたのだろう、金の切れ目が縁の切れ目ということもあって、毛はスターリン以来のソ連の軛(くびき)を断ち、後足で砂をかけるようにフルシチョフ・ソ連を「修正主義者」と罵倒を強めていく。儒教を排除した毛・中共は「恩を仇で返す」あるいは「古い友人」と持ち上げる、その場の都合次第である。
そして毛は正調マルクス・レーニン主義の代表として世界革命を目指し、米国覇権への敵意も深めていく。多分、それは表向きだけで、竹のカーテンで包囲網を喰らっていたから存在感をアピールし、かつ仲間を増やしたいために「反米」を唱えたのだろう。
「悪の限りを尽くす帝国主義者の寿命はそう長くない。彼らは反動派を助け、植民地、半植民地、軍事基地を不法占領し、核戦争で平和を脅かしている。主としてアメリカ帝国主義(米帝)の侵略と抑圧を終わらせることは、全世界人民の任務である」(1958/9/29)
「パンツ1枚になっても核兵器を持つ! 中共の興廃この一戦にあり!」と毛沢東は研究者に発破をかけたろう、大した戦略家である。そして原爆実験年内実施の目処がついたのだろう、1964/1/12には自信たっぷりにこう語った。
「米帝は横暴の限りを尽くしており、自らを、全世界人民を敵にする地位に置き、孤立を招いている。米帝の原子爆弾、水素爆弾は、奴隷になることを欲しないすべての人々を脅すことはできない、米帝に反対する全世界人民の怒りの波を食い止めることはできない。我々は偉大な勝利を収めるであろう」
毛沢東の真似っ乞食、習近平は終身国家主席を目指して戦争を欲している。毛とトウ小平はそれぞれ戦歴があるから死ぬまでトップの座にあった、「だから俺も戦争して盤石の地位を固めたい」という、恐ろしく自分勝手な理屈である。蛇の道は蛇、自称、自閉スペクトラムの鬱病の小生から見ると習近平はナルシズム的な「自己愛性パーソナリティ障害」のように見える。WIKIにはこうある。
<自己愛性パーソナリティ障害(英: narcissistic personality disorder、NPD、以下「自己愛性障害」と略す)は、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である。患者はたいてい自分が問題であるとは認識していないため、精神療法は概ね困難である。
【自己愛性障害の症状】人より優れていると信じている/権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす/業績や才能を誇張する/絶え間ない賛美と称賛を期待する/自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう/人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する/人を利用する/劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる/嫉妬されていると思い込む/他人を嫉妬する/多くの人間関係においてトラブルが見られる/非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる/脆く崩れやすい自尊心を抱えている/感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
これらの症状に加え、自己愛性障害の人物は傲慢さを示し、優越性を誇示し、権力を求め続ける傾向がある。彼らは称賛を強く求めるが、他方で他者に対する共感能力は欠けている。一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられている。
自己愛性障害の人物は人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている>
習近平の父、習仲勲は毛沢東の優秀な側近だったが、文革で潰され、習近平自身も小5あたりから数年間、僻地に下放されて悲惨な目に遭った。それなのに彼はひたすら仇である毛沢東の真似をしている。「何故なのだろう、毛沢東を乗り越えることで父の敵討ちをするつもりか?」と長らく思っていたが、以下の論稿を読んで「習近平は異常なビョーキであり、世界の危険である」と腑に落ちた。そうとしか思えないのだ。
エドワード・ルトワック「父は16年間の投獄、姉は餓死・・・文化大革命で苦痛を味わった習近平がそれでも毛沢東の背中を追う異常な理由 『ラストエンペラー習近平』より」文春オンライン2021/9/9、抜粋の全文は https://bunshun.jp/articles/-/48188
<中国が「チャイナ4.0」(強硬な外交姿勢)という最悪の戦略に回帰してしまった大きな要因のひとつは、「皇帝」である習近平のパーソナリティに求められるだろう。そこで習近平の経歴を少し詳しくみていきたい。
彼の前半生は苛烈なものだった。それはまず、「革命の英雄」を父に持ち、その父が激しい権力争いのなかで残酷な迫害を受けたことに始まる。
習近平の父、習仲勲は中国の中央部にある陝西省に生まれ、10代で共産党組織に身を投じた。陝甘辺区(せんかんへんく)ソビエト政府で主席となったのはわずか21歳のときだった。当時、中国共産党は国民党軍から逃げるために、1万2000キロ以上にも及ぶ大移動をおこなっていた。この「長征」のなかで主導権を握ったのが毛沢東である。
10万人の兵力を数千人にすり減らすような過酷な逃避行だったが、この「長征」の最終目的地となったのが陝西省だった。そこでは若き習仲勲らが共産党の根拠地を死守していたからだ。共産党政府は同省の延安を臨時首都とした。もし習仲勲らの根拠地が潰されていたら、いまの中華人民共和国は存在しなかったかもしれない。
中国建国後、習仲勲は国務院副総理(副首相)などの要職に就いた。彼ら中央指導者は多忙を極めていたため、子弟のために全寮制の幼稚園や小学校をつくった。1953年生まれの習近平も姉や弟とともに、そうした全寮制の学校で育てられたのである。いわば彼らは「党の子どもたち」だった。
ところが1962年(文化大革命が始まり)父・習仲勲は反党的な小説の出版に関わったという嫌疑をかけられ、全ての要職を奪われてしまう。それから習仲勲は1978年まで16年間も投獄や拘束といった迫害を受け続けたのである。母親の斉心も革命運動に参加、八路軍でも兵士として戦ったが、文革では公の場で批判を浴びせられ、暴力もふるわれた。
文革の嵐は、当時、中学生だった習近平をも襲った。紅衛兵によって生家を破壊され、十数回も批判闘争大会に引き出されて、あげくに反動学生として4回も投獄されてしまったのだ。そのため、中学から先は正式な教育を受けられなかった(のちに推薦制度により清華大学に無試験で入学)。さらには陝西省の寒村に下放(青少年を地方に送り出し、労働を体験させること)され、黄土を掘りぬいた洞窟に寝泊まりさせられるなどの苦難を味わっている。
姉は文革中に餓死したと伝えられるが、妹も下放され、素手でレンガをつくる作業を強制され、食うや食わずの生活を経験している。
重要なのは、これらはすべて、「毛沢東の党」によって行われてきたということだ。そもそも文化大革命自体、毛沢東が他の共産党のリーダーたちを潰すために行ったのであり、実際に中国共産党は「毛沢東の党」となった。それが中国全体にとって巨大な災厄をもたらしたことは言うまでもない。
多くの幼児虐待の専門家が認めていることだが、外部の人間が、子どもが虐待を受けていることに気づいても、その子ども本人が虐待をしている親の元に留まりたいと思うケースは少なくない。そうした子どもたちは、自分が間違っているから親に𠮟られているのだ、と考え、今よりももっといい子になろう、親の言うことに従い、「正しい行い」をすることで許しを得よう、と考えてしまうのである。
習近平のケースは、まさにこれに当てはまる。彼にとって毛沢東こそが「虐待する父」なのだ。習近平も薄熙来も「父なる毛沢東=共産党」に許され、幹部への道を進んだ。虐待された父から、お前の態度は正しいと認められたのである。それが彼ら“毛沢東チルドレン”の「毛沢東が行っていた以上に、毛沢東的な政治を目指そう」という行動となってあらわれているのだ。
まさに習近平は、毛沢東よりも極端に毛沢東主義的な政策を行おうとしているのである。そう考えると、私が「チャイナ4.0」と呼ぶ、極端な対外強硬路線も理解できるだろう。中国は今、習近平という非常に破壊的な人格を持つリーダーによって、政策が決定されているのである。
そうした習近平の破壊的な行動は、彼が独裁体制を強化するにつれて、より極端になっている。それは二つの次元で進行している。
ひとつはシンプルに、誰も習近平のやることに反対できない、ということだ。こちらのほうはわかりやすい。習近平に異を唱える人物はいなくなるか、いつ排除されるかわからないという恐怖で沈黙させられているのだ。
もうひとつは、独裁体制というものは実はきわめて不安定なシステムであり、独裁者とは不安で危うい存在だということだ。
独裁制は「弱い」権力システムだといえる。権力が集中すればするほど、独裁者の失敗や、その決断に対する違和感は、大きな「ノイズ」となって、支配の根拠を動揺させる。そうした「ノイズ」を取り除くために、独裁者はますます自分に権力を集中させ、異分子を徹底的に排除しなければならない。今、習近平がやっていることは、それである。それは彼の支配を強めると同時に、崩壊の危険性を高めているのである・・・>
支那人は対人関係において上下を重んじる。声を荒げた方が上位になるが、「奴は居丈高だが、それは根拠があるからだろう、ここは下手(したて)に出た方が良さそうだ」と損得を考えて下位が一歩引くからだ。下手に出たところで「上に政策あれば下に対策あり」で上手く対処できるから、敢えて角逐するのは避ける、という処世術だろう。
日本もその傾向はあるが、上司の業務命令に異議を唱える時は「お言葉ですが部長」と枕詞から提案する。「お言葉ですが」の一言には「尊敬する部長の命令は了解しました、しかし、こういうやり方もありますからご検討いただけないでしょうか」という謙譲語的な意味が込められている。「部長、そんなの愚策です、ちょっと考えれば分るでしょう」なんて言ったら恨みを買うから下策である。
上司も「お言葉ですが」と言われれば悪い気はしないし、それが良案なら受け入れて実行する。成功すれば「いやあ、実はあれはA君のアイデアだったんだよ」と社内でA君を誉め、A君も「部長が後押ししてくれたからからです」なんて言って、いかにも日本的な関係になったり。部長の娘がA君に嫁いだり・・・まるで兄弟仁義、血をすすり合った中、こういうケースは日本では珍しくないのではないか。“ドライ”ではなく“ウェット”な人間関係。
日本は儒教、仏教を含めて支那から多くを学んできたが、神道や風土の穏やかさもあって国民性や国柄は随分違ってきた。世界はそういうもので、多様性は結構なことだと思うが、習近平・中共の「我こそ正義、世界は俺に従え」の主張、行動は多様性どころか「狂気」である。それなりに効果があった「戦後秩序」への挑戦であり、それを支えてきたG7を始めとする諸国にとってはとても看過できることではない。
上記のルトワックは現在の戦略研究家としてトップクラスであり、彼の上記論稿も世界の多くの指導者に読まれているはずだ。習近平・中共の異常なトラウマが危機の元凶であることは共有されたに違いない。
「トラウマとは、その人にとって危機的で対処不能な出来事に対する、身を守る反応として生理学的に生じる強度の防衛的ストレス反応(トラウマ体験)が、その後の時間の経過によっても解消されず、その身体反応が定着してしまい、その定着した反応(トラウマ反応)が日常生活にもたらす影響」(プロカウンセラー池内秀行公式サイト)
建国の父、カリスマの毛沢東に比肩したい、できれば毛沢東・中国の「中興の祖」になりたい、そのためには台湾、そして日本を屈服させたい、さらにアジア・西太平洋を制覇したい・・・習近平の夢、中共の夢・・・彼は核兵器使用に逡巡しないだろう。「大体、我が国は人口が多過ぎる。原爆で半分死んでも我が国にはまだ7億人もいる」と毛沢東チルドレンでありナルシズムの自己愛性障害の習近平なら濁りなく思っているはずだ。
反中諸国による中共包囲網が完成する前の2022年の冬季五輪後、習近平は戦端を開くだろう。カウントダウンは始まっている。
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/394(2021/11/20/土】太宰曰く「良い予感は外れ、悪い予感は当たる」。そこまでは言えないだろうが、「期待」は概ね「挫折」する。スポーツ選手などはそこそこ上位だと「いつかはトップに」と思ったりするだろうが、才能と努力もあって地区大会で入賞しても、全国大会、さらに世界大会を制覇するのは「心技体+運」の奇跡に近いのではないか。
「挫折」が必ずしも悪いわけではない。大体、挫折を知らない人はまずいない。「艱難汝を玉にす」「失敗は成功の基」でもある。挫折や失敗や乗り越えて挑戦していくのか、新しい分野に転身するのか、それとも引き籠るか・・・日本人は概ね挑戦・転身派だろう。転業、転換、転戦、転進、小生は転向だな。
これという資源のない小さな島国だから、ご先祖さまはナニクソ!と脳みそと手足をフル稼働させて今の日本を創ってきた。根性があり、先の敗戦でもめげずに、瞬く間に一等国に返り咲いた。「経済大国」という経済の分野だけれど、銃の代わりにカタログと見本品を持って世界を巡り、艱難辛苦、それだって一種の戦争だった。
さて、本題。現代史で世界制覇を目指し、軍事力=戦争でそれを実現しようとした政治家として一番有名なのはドイツのヒトラーだろう。
<ヒトラーは1933年に首相に就任すると、ただちに一党独裁の全体主義体制を確立、経済建設と再軍備拡張をはかった。1934年ヒンデンブルク大統領の死後、総統となり、ヴェルサイユ体制(第1次大戦後のドイツ封じ込め策)の打破を進めた。
1939年9月、第二次世界大戦に突入し、41年6月にはソ連にも侵入、一時ほとんど全ヨーロッパを占領した。また、各地に強制収容所を設置して、ユダヤ人やスラヴ人を虐殺した。対ソ連のスターリングラードの戦いでの敗北を機にドイツは劣勢となり、1944年6月、(米英仏など)連合軍のノルマンディー上陸作戦で東西から挾撃された。7月、国防軍の反ヒトラー派によるヒトラー爆殺事件は奇跡的に切り抜けたが、1945年4月30日、ベルリンの陥落直前に愛人エヴァとともに自殺した>(旺文社世界史事典)
ヒトラー・ナチスの世界制覇戦争は6年で無残な敗戦(米英仏ソなど連合国側の勝利)になった。独と同盟した枢軸国の日伊なども同様に無残な敗戦になった。より正確に言えば、米国以外は疲弊した。戦後は米ソの冷戦はあったが、大国間の戦争はなかった。それは凄まじい破壊力の核兵器が抑止力になっていたからだ。核戦争になれば当事国はいずれも大打撃を免れ得ない。
現在、米ロ中英仏印パ北+イスラエルなどの持つ核兵器は全体で1万3000発あたりで、世界というか地球から人間はもとより動植物を数百年間駆除するパワーがあるそうだ。核兵器が戦後に実戦で使われたことがなかったのは、その破壊力を使えば敵も自国も壊滅的な打撃を被るので「攻撃を受けなければ使わない」という暗黙のルールがあったからである。
ところが、核戦争を恐れない指導者が登場した。元祖は世界最大の人口大国、中国の毛沢東である。戦争で兵士(貧民)や悪政で人民が数千万人死んでも、それは単なる数字であり、痛痒を覚えないのが毛沢東流だ。冷血漢のよう。都合の悪いことはなかったことにする、忘れたふりをする、隠蔽する。
そう言えば米国では第2次大戦時のFDRルーズベルト政権時の機密文書公開をまたもや延期したが・・・「勝てばすべて許される」「不都合な真実は隠す」、軍の指導者、政治のトップとはそういうものかもしれない。毛沢東はヒトラー、スターリンを超える20世紀最大の殺人者だろう。毛は糟糠の妻の死だけは死ぬまで悲しむという、かなりエキセントリックな政治家だった。
1953年にスターリンが死に、1956年にフルシチョフによる「スターリン個人独裁批判」がなされた。毛沢東にとってスターリンは資金源、タニマチで頭が上がらなかったが、スターリン死後もソ連は中共にとって最大の後援者であり続けた。個人独裁批判は毛沢東にとって到底受け入れられないものだったが、「綱領から『毛沢東思想』の言葉を削除し、党中央政治局による集団指導と法の支配を打ち出した」(WIKI)。実際はソ連へ阿(おもね)っただけの有名無実に終わったが・・・
毛はフルシチョフの平和共存路線=世界革命放棄に対する反発を強めつつも、1958年にはソ連の協力により原子炉運転開始に漕ぎつけた。翌1959年に中ソ協定破棄、その後、独力で核兵器開発に着手し、1964年、日本が東京五輪に浮かれている最中の10月16日、中国西部で原爆実験に成功、1967年には水爆実験も成功させた(広島平和記念資料館)。
毛沢東はスターリン死後あたりから核武装を目指していたようで、1955年のアジア・アフリカ会議、1957年のソ連で開かれた社会主義陣営の各国首脳会議で、「大体、我が国は人口が多過ぎる。原爆で半分死んでも我が国にはまだ3億人もいる」と豪語して、世界の海千山千の元首を唖然とさせている。
1958年9月、核兵器製造の目途が付いたのだろう、金の切れ目が縁の切れ目ということもあって、毛はスターリン以来のソ連の軛(くびき)を断ち、後足で砂をかけるようにフルシチョフ・ソ連を「修正主義者」と罵倒を強めていく。儒教を排除した毛・中共は「恩を仇で返す」あるいは「古い友人」と持ち上げる、その場の都合次第である。
そして毛は正調マルクス・レーニン主義の代表として世界革命を目指し、米国覇権への敵意も深めていく。多分、それは表向きだけで、竹のカーテンで包囲網を喰らっていたから存在感をアピールし、かつ仲間を増やしたいために「反米」を唱えたのだろう。
「悪の限りを尽くす帝国主義者の寿命はそう長くない。彼らは反動派を助け、植民地、半植民地、軍事基地を不法占領し、核戦争で平和を脅かしている。主としてアメリカ帝国主義(米帝)の侵略と抑圧を終わらせることは、全世界人民の任務である」(1958/9/29)
「パンツ1枚になっても核兵器を持つ! 中共の興廃この一戦にあり!」と毛沢東は研究者に発破をかけたろう、大した戦略家である。そして原爆実験年内実施の目処がついたのだろう、1964/1/12には自信たっぷりにこう語った。
「米帝は横暴の限りを尽くしており、自らを、全世界人民を敵にする地位に置き、孤立を招いている。米帝の原子爆弾、水素爆弾は、奴隷になることを欲しないすべての人々を脅すことはできない、米帝に反対する全世界人民の怒りの波を食い止めることはできない。我々は偉大な勝利を収めるであろう」
毛沢東の真似っ乞食、習近平は終身国家主席を目指して戦争を欲している。毛とトウ小平はそれぞれ戦歴があるから死ぬまでトップの座にあった、「だから俺も戦争して盤石の地位を固めたい」という、恐ろしく自分勝手な理屈である。蛇の道は蛇、自称、自閉スペクトラムの鬱病の小生から見ると習近平はナルシズム的な「自己愛性パーソナリティ障害」のように見える。WIKIにはこうある。
<自己愛性パーソナリティ障害(英: narcissistic personality disorder、NPD、以下「自己愛性障害」と略す)は、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である。患者はたいてい自分が問題であるとは認識していないため、精神療法は概ね困難である。
【自己愛性障害の症状】人より優れていると信じている/権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす/業績や才能を誇張する/絶え間ない賛美と称賛を期待する/自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう/人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する/人を利用する/劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる/嫉妬されていると思い込む/他人を嫉妬する/多くの人間関係においてトラブルが見られる/非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる/脆く崩れやすい自尊心を抱えている/感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
これらの症状に加え、自己愛性障害の人物は傲慢さを示し、優越性を誇示し、権力を求め続ける傾向がある。彼らは称賛を強く求めるが、他方で他者に対する共感能力は欠けている。一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられている。
自己愛性障害の人物は人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている>
習近平の父、習仲勲は毛沢東の優秀な側近だったが、文革で潰され、習近平自身も小5あたりから数年間、僻地に下放されて悲惨な目に遭った。それなのに彼はひたすら仇である毛沢東の真似をしている。「何故なのだろう、毛沢東を乗り越えることで父の敵討ちをするつもりか?」と長らく思っていたが、以下の論稿を読んで「習近平は異常なビョーキであり、世界の危険である」と腑に落ちた。そうとしか思えないのだ。
エドワード・ルトワック「父は16年間の投獄、姉は餓死・・・文化大革命で苦痛を味わった習近平がそれでも毛沢東の背中を追う異常な理由 『ラストエンペラー習近平』より」文春オンライン2021/9/9、抜粋の全文は https://bunshun.jp/articles/-/48188
<中国が「チャイナ4.0」(強硬な外交姿勢)という最悪の戦略に回帰してしまった大きな要因のひとつは、「皇帝」である習近平のパーソナリティに求められるだろう。そこで習近平の経歴を少し詳しくみていきたい。
彼の前半生は苛烈なものだった。それはまず、「革命の英雄」を父に持ち、その父が激しい権力争いのなかで残酷な迫害を受けたことに始まる。
習近平の父、習仲勲は中国の中央部にある陝西省に生まれ、10代で共産党組織に身を投じた。陝甘辺区(せんかんへんく)ソビエト政府で主席となったのはわずか21歳のときだった。当時、中国共産党は国民党軍から逃げるために、1万2000キロ以上にも及ぶ大移動をおこなっていた。この「長征」のなかで主導権を握ったのが毛沢東である。
10万人の兵力を数千人にすり減らすような過酷な逃避行だったが、この「長征」の最終目的地となったのが陝西省だった。そこでは若き習仲勲らが共産党の根拠地を死守していたからだ。共産党政府は同省の延安を臨時首都とした。もし習仲勲らの根拠地が潰されていたら、いまの中華人民共和国は存在しなかったかもしれない。
中国建国後、習仲勲は国務院副総理(副首相)などの要職に就いた。彼ら中央指導者は多忙を極めていたため、子弟のために全寮制の幼稚園や小学校をつくった。1953年生まれの習近平も姉や弟とともに、そうした全寮制の学校で育てられたのである。いわば彼らは「党の子どもたち」だった。
ところが1962年(文化大革命が始まり)父・習仲勲は反党的な小説の出版に関わったという嫌疑をかけられ、全ての要職を奪われてしまう。それから習仲勲は1978年まで16年間も投獄や拘束といった迫害を受け続けたのである。母親の斉心も革命運動に参加、八路軍でも兵士として戦ったが、文革では公の場で批判を浴びせられ、暴力もふるわれた。
文革の嵐は、当時、中学生だった習近平をも襲った。紅衛兵によって生家を破壊され、十数回も批判闘争大会に引き出されて、あげくに反動学生として4回も投獄されてしまったのだ。そのため、中学から先は正式な教育を受けられなかった(のちに推薦制度により清華大学に無試験で入学)。さらには陝西省の寒村に下放(青少年を地方に送り出し、労働を体験させること)され、黄土を掘りぬいた洞窟に寝泊まりさせられるなどの苦難を味わっている。
姉は文革中に餓死したと伝えられるが、妹も下放され、素手でレンガをつくる作業を強制され、食うや食わずの生活を経験している。
重要なのは、これらはすべて、「毛沢東の党」によって行われてきたということだ。そもそも文化大革命自体、毛沢東が他の共産党のリーダーたちを潰すために行ったのであり、実際に中国共産党は「毛沢東の党」となった。それが中国全体にとって巨大な災厄をもたらしたことは言うまでもない。
多くの幼児虐待の専門家が認めていることだが、外部の人間が、子どもが虐待を受けていることに気づいても、その子ども本人が虐待をしている親の元に留まりたいと思うケースは少なくない。そうした子どもたちは、自分が間違っているから親に𠮟られているのだ、と考え、今よりももっといい子になろう、親の言うことに従い、「正しい行い」をすることで許しを得よう、と考えてしまうのである。
習近平のケースは、まさにこれに当てはまる。彼にとって毛沢東こそが「虐待する父」なのだ。習近平も薄熙来も「父なる毛沢東=共産党」に許され、幹部への道を進んだ。虐待された父から、お前の態度は正しいと認められたのである。それが彼ら“毛沢東チルドレン”の「毛沢東が行っていた以上に、毛沢東的な政治を目指そう」という行動となってあらわれているのだ。
まさに習近平は、毛沢東よりも極端に毛沢東主義的な政策を行おうとしているのである。そう考えると、私が「チャイナ4.0」と呼ぶ、極端な対外強硬路線も理解できるだろう。中国は今、習近平という非常に破壊的な人格を持つリーダーによって、政策が決定されているのである。
そうした習近平の破壊的な行動は、彼が独裁体制を強化するにつれて、より極端になっている。それは二つの次元で進行している。
ひとつはシンプルに、誰も習近平のやることに反対できない、ということだ。こちらのほうはわかりやすい。習近平に異を唱える人物はいなくなるか、いつ排除されるかわからないという恐怖で沈黙させられているのだ。
もうひとつは、独裁体制というものは実はきわめて不安定なシステムであり、独裁者とは不安で危うい存在だということだ。
独裁制は「弱い」権力システムだといえる。権力が集中すればするほど、独裁者の失敗や、その決断に対する違和感は、大きな「ノイズ」となって、支配の根拠を動揺させる。そうした「ノイズ」を取り除くために、独裁者はますます自分に権力を集中させ、異分子を徹底的に排除しなければならない。今、習近平がやっていることは、それである。それは彼の支配を強めると同時に、崩壊の危険性を高めているのである・・・>
支那人は対人関係において上下を重んじる。声を荒げた方が上位になるが、「奴は居丈高だが、それは根拠があるからだろう、ここは下手(したて)に出た方が良さそうだ」と損得を考えて下位が一歩引くからだ。下手に出たところで「上に政策あれば下に対策あり」で上手く対処できるから、敢えて角逐するのは避ける、という処世術だろう。
日本もその傾向はあるが、上司の業務命令に異議を唱える時は「お言葉ですが部長」と枕詞から提案する。「お言葉ですが」の一言には「尊敬する部長の命令は了解しました、しかし、こういうやり方もありますからご検討いただけないでしょうか」という謙譲語的な意味が込められている。「部長、そんなの愚策です、ちょっと考えれば分るでしょう」なんて言ったら恨みを買うから下策である。
上司も「お言葉ですが」と言われれば悪い気はしないし、それが良案なら受け入れて実行する。成功すれば「いやあ、実はあれはA君のアイデアだったんだよ」と社内でA君を誉め、A君も「部長が後押ししてくれたからからです」なんて言って、いかにも日本的な関係になったり。部長の娘がA君に嫁いだり・・・まるで兄弟仁義、血をすすり合った中、こういうケースは日本では珍しくないのではないか。“ドライ”ではなく“ウェット”な人間関係。
日本は儒教、仏教を含めて支那から多くを学んできたが、神道や風土の穏やかさもあって国民性や国柄は随分違ってきた。世界はそういうもので、多様性は結構なことだと思うが、習近平・中共の「我こそ正義、世界は俺に従え」の主張、行動は多様性どころか「狂気」である。それなりに効果があった「戦後秩序」への挑戦であり、それを支えてきたG7を始めとする諸国にとってはとても看過できることではない。
上記のルトワックは現在の戦略研究家としてトップクラスであり、彼の上記論稿も世界の多くの指導者に読まれているはずだ。習近平・中共の異常なトラウマが危機の元凶であることは共有されたに違いない。
「トラウマとは、その人にとって危機的で対処不能な出来事に対する、身を守る反応として生理学的に生じる強度の防衛的ストレス反応(トラウマ体験)が、その後の時間の経過によっても解消されず、その身体反応が定着してしまい、その定着した反応(トラウマ反応)が日常生活にもたらす影響」(プロカウンセラー池内秀行公式サイト)
建国の父、カリスマの毛沢東に比肩したい、できれば毛沢東・中国の「中興の祖」になりたい、そのためには台湾、そして日本を屈服させたい、さらにアジア・西太平洋を制覇したい・・・習近平の夢、中共の夢・・・彼は核兵器使用に逡巡しないだろう。「大体、我が国は人口が多過ぎる。原爆で半分死んでも我が国にはまだ7億人もいる」と毛沢東チルドレンでありナルシズムの自己愛性障害の習近平なら濁りなく思っているはずだ。
反中諸国による中共包囲網が完成する前の2022年の冬季五輪後、習近平は戦端を開くだろう。カウントダウンは始まっている。
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