*江戸の名物ン中に火事が入っております。まあ、日本国中、火事というものがないわけじゃァないんですが、名物ンなるぐらいに、ぇぇ、多かったそうですな。いろいろと自分でもって、こう、書物を紐解いて調べた・・・方に聞いたんですけども、とにかく江戸八百八町なんて自慢をしておりましたが、もうのべつ、火事があったそうですな。毎晩のように半鐘がなってる。で、何度も大火に見舞われて、えェもうどうしたらいいんだろうこれは、ってんで、お上のほうもたいへんにこの、頭痛めて、「いろは四十八組」なんという消防の組織をこしらえたり、あるいは各町内に、番小屋というものを置きまして・・・火の番小屋ですな、そこィ常雇いの 『火の廻り』 を置いたン。これァ各町内が自費でもって雇ったんだそうですが。
この火の廻りというのは、血気盛んな若者というわけにはいかない。血気なんてえのはもうかなり前になくしちゃったような、えェ、お年寄りがなる。そのお年寄りも、若い時分に、ちょいと世の中やり損ねちゃったなんというような人・・・だいたいが道楽者ですな。
「なんにもすることがねえから、ひとつよ、番太にでも雇ってもらおう」
なんてんで、この番太郎を詰めて番太といったんですな。で、この人たちが火の廻りをするんですが、今言ったように道楽者ですから、寒い晩に火の廻りをただするのはとてもつらい。
「こりゃァできねえや、ンなことァ、ただじゃ。いっぺえやろう」
なんてんでキュウッとひっかける。いい心持ちでもってふらふらふらふら一廻り廻ってくる。それで番小屋へ入っちゃうってェと、そこでもって寝ちゃったりなんかする。そうすると、すぐそばから火の手が上がったのにも
気がつかないで・・・寝てますから・・・、ぼやでおさまるやつが大火ンなる、なんということンなって、これァもう、あの連中に任しておいちゃとても物騒でいられない、自分たちの財産なんだから自分たちで守ろうじゃないかというんで、えェ、今度は一軒から一人っつ、この番小屋へ出張ってまいりまして、旦那方や
なんかがみんなでもって、火の廻りをしたんだそうですな。これをまた、きちっと廻っているかどうか改めて廻るというお役人もいたんだそうですが・・・
月番: (律儀な商人の旦那口調で) どうもこんばんは。ご苦労様でございます。ええ。お寒いところをどうも・・・。
へへ。えー、これでなんですか、皆さんお揃いンなったんですか? あァそうですか、へいへい。じゃァあの、出掛ける前にに、月番のあたくしから一言申し上げたいことがございましてな。というのがね、えェ、毎晩これだけの人数でぞろぞろぞろぞろ廻るてえのァねェたいへんねあたしゃァ無駄なことのような気がするんですよォ、ええ。ですからねェ、どうでしょうな、これをこう、二組に分けましてね、仮に一の組、二の組といたします。ねえ。ま、一の組が廻っている間、二の組はここで休んでてもらう。一の組が廻って来たら入れ替わりに二の組が出て行くという具合に代わる代わるに廻っていたら、みんな疲れなくてすむと思いますが、ええ、いかがでございましょうなあ
尾張: (やはり旦那口調) いやァ、それァ結構ですなあ、月番さん。いえ、あたくしなんぞはね、歳とってますんで、是非ともそうしていただきたいです。ねえみなさん。よろしいじゃございませんかねェ? (と確め) えェ、みなさんあの、いいということなんで、ひとつ月番さん、お願いしますよ
月番: ああそうですか。えェ、みなさんにご異議がなければ、そうさしていただきましょう。あたくしがまず一の組のほうを取り仕切らしていただきます、ええ。えー、二の組のほうは、尾張屋さん、おそれいりますが長(オサ)を務めていただきやしょう、ねえ。ええッと・・・それじゃあね、伊勢屋さん、すいません、(一の組に) お付き合い願います。鳴子をお持ちいただきたいン。ええ。そいから黒川先生、すいませんがな、拍子木を持ってください、ええ。そいから、辰つァん、金棒・・・頼むよ、うん。惣助さん、お前さん提灯だ、ね。
えー、それじゃァこれだけでちょいと廻ってきますんでな、えェ、あとの方はここで休んでてくださいまし、では行ってまいりますから
A: あァそうですか、ええ、行ってらっしゃいまし
B: どうーぞごゆっくりィ
月番: 冗談言っちゃいけませんよ。すぐに帰ってきますよ。さァ、じゃ、みなさん、行きますよ。おぉーーーッ(と外の寒風に身を縮めて歩き) アァーッ。あァ・・・どうも恐れ入りましたな、この寒さてえのは、ええッ?
あーアッ。みなさんねェ、あの、風邪引いちゃつまりませんから気を付けてくださいましよ、いいですか。
ねえ! 火の廻りしてて風邪引いたなんて、ンなばかばかしい話はありませんですから、ええ。えェ、それからね、あの・・・あんです、足元気を付けてください、怪我しちゃァいけませんよゥ? ねえ。ええ、お歳を召してる方なんぞァことにねェ、怪我するってェと治りが悪いですからなァ。いえェ、本当です。おーい、ちょっとっとっと、おい惣助さん、お前さん先ィ一人でどんどん行っちゃいけないよっ。提灯持ってんだろ?
え、みなさんと一緒に歩いて、みなさんの足元を照らしておくれよっ、ねえ。あーァ、そうそう・・・そんなもんだ。
な! いやァ、しかし、たいへんなことンなってきましたがねえ、ええ? ま、しかたがないですな、これも。
ええ。(年長の伊勢屋に気配りし) アッハハ、どうも、え、伊勢屋さん、へへ、ェェ、今夜はご主人自らの出陣で、へへ、おそれいりますな
伊勢: (少し老いた静かな口調で) いや、どういたしまして。ええ、いつもは番頭がたいへんにお世話ンなってましてな、ありがとう存じます、ええ。その番頭がね、風邪ひきましてな、ええ。番頭だけじゃないんですよ、もう店の者が小僧に至るまでみんな風邪っぴきなン、ええ。でまァ、倅はね、二、三日前から遊びに行っちゃったっきり戻ってきませんしね、達者なのはあたsとばあさんだけなン、ええ。いくらなんでもばあさん火の廻りに出すわけにいかないんでな、あたくしこうして出てきましたが、考えてみるってェとばかなはなしですなァ
月番: 何がです?
伊勢: 何がったって、そうじゃありませんか、ねえ。奉公人があったかい布団の中でいい心持ちで寝ているのにですよ、主がこうして寒い中、火の廻りをしてあるくなんてえのは本当にあたしゃァね、間尺に会わないと思いますよ
月番: そんなこと言っちゃァいけませんよゥ、ねえ。昼間一生懸命奉公人がですよ、ねえ、働いてくれて、あなたの身代を大きくしてくれてるン。ねえ? で、大きくしてもらった身代を自分で守るてえのは、あたしゃ大変にいい話だと思いますよ
伊勢: いや、そりゃ、そりゃそりゃ、話はいいン。話はいいんですが、・・・やっぱり寒い
月番: 寒いのはしかたがありませんよ。ねえ、なんか愚痴ィこぼしてちゃいけません。ええ! 愚痴をこぼしに歩いてるわけじゃないんですからな。火の廻りに歩いてるン。えー、みなさんね、音の出るものをお持ちいただいてんですがな、どうしました?
伊勢: え、・・・どうもね、いったん懐へ手をいれましたら、とてもじゃァないがおもてへこう、手ェ出しにくくなりましたもんでな、ええ、鳴子をさっきね、このォ、お、帯のところにこう挟みましてな、紐を、ええ。で、前へぶる下げて、歩くたんびにこうして膝で蹴ってるんですが、あんまりいい音が出ませんな
月番: そら、そうだよ、あァたァ。だめだよ、それじゃァ。ばさばさいってますよゥ。ええ? 鳴子なんてェのァ、カラカラカラカラっていわなきゃいけないんですよ、カランカランッと・・・。ねえ!えェ。黒川先生、あなたの拍子木も妙ですな。ええ? 変な音ですね。なんかコツンコツンいってますが、拍子木なんてのァ、チョン、チョーンといってもらいたいんですよ、ええ。どうしてそんな音になるんです?
黒川: いやどうも・・・。ウハハ、あまりの寒さに、拍子木もいったん袂の中に入れましたるところ、出たがりません。しかたがございませんから、こうして袂の中にいれたまんま、こう・・・コツーン、コツーン
月番: 嫌な音だなァどうもォ。えェ? ンな不精しないでチョーン、チョンとやってくださいよ、ねえ。辰つァん、お前さんもそうだよゥ、金棒の音はどうしたんだい?
辰: えー、聞えませんかァ
月番: 聞えませんかって、・・・聞えないよゥ
辰: 聞えるでしょう。ほら、ねえ。ズルズルーッ、カタン、バシャーン。ズルズルーッ、カタン、バシャーン
月番: なんだい、その音は。どうしてそんな音がすんの?
辰: ええ、もうねェ、金棒がねェ、もう本当に冷え切っちゃって、まるで水みてェなんだい。握れやしませんよ。
しょうがねえからね、金棒の紐をね、指に引っ掛けてこゥやって懐ン中にこう、手は入れてるン、ええ、でもって、こう引きずって歩いてんですよゥ。そうするとズルズルズルッと音がするン、ええ。小石にあたるってェとカターンと音がしてね、えェ、道悪ィ飛び込むってェとバシャーンて・・・
月番: 嫌な音だなあ、ええッ。チャリーンッとやっておくれよ、威勢よくひとつさァッ! ン、しょうがないね、どうも。
あァ、それからねえ、あのォ、黙って歩いてちゃいけませんよ。『火の用心、火の廻り』 と言って歩かなくちゃいけない。ね、えェ。惣助さん、お前さん先歩いてんだ、えェ、ひとつやっておくれ
惣助: あァ、さいですか。へぇ。え、あたくしね、やったことァございませんですが、ひとつやってみましょう。ええ。うまくいけばよろしいんですが・・・。えへ、うン、あッ、え、えー、火、火、火の(せっかちに抑揚なく) 火の用心、えー、火の用心、えー、火の用心火の廻り、え、火の用心はいかがですな
月番: 売ってちゃいけないよォ。しょうがないねどうも。不器用だな、ええ?・・・あ、そう、黒川先生、あァたねェ、謡の先生だ、ねえ! 謡で喉を鍛えていらしゃるんだ、ひとつあってくれませんか
黒川: そうですか。あたくしも初めてでございますのでな、うまくいくかどうかはわかりませんが、やってみましょう。うん。(とひとつ咳払いして拍子木を打ち) コツーン、コツーン。(まるで謡で) ♪火ィのよォオじィん、火のーォまわァりィィ
月番: (あきれて) いいよ、それァもう。だめだよそれじゃァ。ええ? ちっとも『火の用心、火の廻り』 ンならないんだよ、それじゃァ・・・、ねえ。弱ったな、どうも・・・、あ、そうだ、伊勢屋さん、あァたお願いしますよ。え?(辞退され) いえ、だってあァたは若い時分からいろいろとお稽古事をしてるでしょ? ねえ? 声を出しつけてんだ、ねえ。ひとつ、やっていただけませんかな
伊勢: いえェ、いけませんよゥ。だめです、勘弁してくだはいな。え? いえ、もうここンところねェ、ちょいとね・・・
こないだうち辛いものをやりすぎたんでね、えェ、あんまりいい声がでないんでござンす。ええ。ですからま、ひとつ・・・それだけはひとつ、勘弁していただいて・・・。誰がどこで聴いてるかわかりませんからなァ
月番: あァた、色っぽいこと言ってちゃいけませんよ。別におさらいへ出てるわけじゃないんですよ、ね? 声を出しつけてんだからやってください・・・てんですから、おねがいしますよ
伊勢: う、そうですか・・・。まァ月番さんにそう言われればねえ、しかたがございません。やってはみますがねえ、いい声が出りゃいいんですがなあ。ウ、ウン、(絞った音曲調の発声) ♪あー、ウン、♪アー、ウン、♪アア
月番: 大変だなァどうも。大丈夫ですか?
伊勢: ええ、まァ、何とかなるでしょう、へぇ。うん、・・・チャチャチャチャーン、チャーンチャーン
月番: お? 三味線が入るんですか
伊勢: え、三味線を入れないってえと声がでないんだ、ねェ! (清元の節で) ♪火のよォォォ字ィンンンン、火のォォォまわァりィィィ、互いィィィにィィィーイイ火のォォもォとォォォゥう、気をつけェェェェェまァッ・・・
(陶酔して声が裏になり) しょーォ・・・
月番: (あきれかえり) 冗談じゃないよ、あァた。あのねえッ、自分ばかり気持ちよくなったってしょうがないんだよ。ほんとォに弱ったなあ。辰つァん、何とかしとくれよォッ
辰: タハハハハ、旦那方のを聴いてたら、ばかばかしくなっちゃってね、冷たい金棒握っちゃった、あっしゃア、えぇーッ、それァね、ま、素人にゃ無理なんですよゥ。ええ。あっしなんぞァね、今じゃこんなンなってくすぶ
っちゃってるが、若え時分にゃァ道楽がもとで勘当されてね、なかの鷲頭(カシラ)ンとこに転がり込んでた。ねえ。そんときに火の廻りやったことァありますよ。えェ。あいつァまたねえ、なりのこしらえがいいんだ。ねえ、ええ。腹掛けに股引き、え? 刺子の長半纏を着てねェ、ええ! こんな恰好をして腹ンところィ提灯だ。ねえッ、こうやって、(金棒を突いて) チャリーンッとこう歩いてる。ねェ! そうするってェと女がみんな心配してくれるよ。ええッ。あたしたちのためにこうやって火の廻りを廻っててくれるんだ、うれしいねッ、なんてんでね、『ちょいとォ、火の廻り、ご苦労だねェ、こっちィ来て、ま、一服やっておくんなまし』 なんてんでね、(助六気取りで) ま、キセルの雨がァ・・・降るようだァ
月番: 何を気取ってんだよォ。ンなことどうでもいいからは早くおやりよ
辰: はい、わかってます、やりますよ、ええ。こうやってね、こんな恰好して、チャリーンッとォ、こうくるよゥ。・・・(本調子で) ♪火のよォオーゥじィんーーー、さっしゃァーりやしょォオーーう!
月番: (感心して) ・・・なるほど。なるほどねえ・・・。ヘヘーエ、おそれいりましたね、伊勢屋さん
伊勢: え、え、本当ですな。へーえ、あの、辰っつァん、たいした喉だねえ
月番: そんなことはどうでもいいんだよ。え、続けておくれ
辰: へいへい、どうもありがとうごさんす。え、こういう具合にね、チャリーンッとォ、エッヘッヘヘ、♪えーエエ、お二階をーゥ廻らっしゃりやしょォォォゥォゥォゥ・・・・・
月番: なんだい、終いのそのホゥホゥってのァ?
辰: えェ、声が北風に震えてるんだ
月番: 話が細かいんだ、どうも。(番小屋へ戻って) さァさ、ご苦労さま。うぅ・・・(と中へ入って改めて凍えた体を震わせ) どうも・・・だたいま帰りました。さァさァ、みんなこっちへお入んなさい。さァさ二の組、出てってください、出てってください。お替りお替りお替りッ
二組: ええ、外はたいそう寒かったでしょうな
月番: いいえ、ンなことありません。ぽかぽかと春のような陽気で
二組: 嘘だようゥ、あァた・・・。そうですか、じゃ、二の組のほうは出掛けましょう。行ってまいりますよ
この火の廻りというのは、血気盛んな若者というわけにはいかない。血気なんてえのはもうかなり前になくしちゃったような、えェ、お年寄りがなる。そのお年寄りも、若い時分に、ちょいと世の中やり損ねちゃったなんというような人・・・だいたいが道楽者ですな。
「なんにもすることがねえから、ひとつよ、番太にでも雇ってもらおう」
なんてんで、この番太郎を詰めて番太といったんですな。で、この人たちが火の廻りをするんですが、今言ったように道楽者ですから、寒い晩に火の廻りをただするのはとてもつらい。
「こりゃァできねえや、ンなことァ、ただじゃ。いっぺえやろう」
なんてんでキュウッとひっかける。いい心持ちでもってふらふらふらふら一廻り廻ってくる。それで番小屋へ入っちゃうってェと、そこでもって寝ちゃったりなんかする。そうすると、すぐそばから火の手が上がったのにも
気がつかないで・・・寝てますから・・・、ぼやでおさまるやつが大火ンなる、なんということンなって、これァもう、あの連中に任しておいちゃとても物騒でいられない、自分たちの財産なんだから自分たちで守ろうじゃないかというんで、えェ、今度は一軒から一人っつ、この番小屋へ出張ってまいりまして、旦那方や
なんかがみんなでもって、火の廻りをしたんだそうですな。これをまた、きちっと廻っているかどうか改めて廻るというお役人もいたんだそうですが・・・
月番: (律儀な商人の旦那口調で) どうもこんばんは。ご苦労様でございます。ええ。お寒いところをどうも・・・。
へへ。えー、これでなんですか、皆さんお揃いンなったんですか? あァそうですか、へいへい。じゃァあの、出掛ける前にに、月番のあたくしから一言申し上げたいことがございましてな。というのがね、えェ、毎晩これだけの人数でぞろぞろぞろぞろ廻るてえのァねェたいへんねあたしゃァ無駄なことのような気がするんですよォ、ええ。ですからねェ、どうでしょうな、これをこう、二組に分けましてね、仮に一の組、二の組といたします。ねえ。ま、一の組が廻っている間、二の組はここで休んでてもらう。一の組が廻って来たら入れ替わりに二の組が出て行くという具合に代わる代わるに廻っていたら、みんな疲れなくてすむと思いますが、ええ、いかがでございましょうなあ
尾張: (やはり旦那口調) いやァ、それァ結構ですなあ、月番さん。いえ、あたくしなんぞはね、歳とってますんで、是非ともそうしていただきたいです。ねえみなさん。よろしいじゃございませんかねェ? (と確め) えェ、みなさんあの、いいということなんで、ひとつ月番さん、お願いしますよ
月番: ああそうですか。えェ、みなさんにご異議がなければ、そうさしていただきましょう。あたくしがまず一の組のほうを取り仕切らしていただきます、ええ。えー、二の組のほうは、尾張屋さん、おそれいりますが長(オサ)を務めていただきやしょう、ねえ。ええッと・・・それじゃあね、伊勢屋さん、すいません、(一の組に) お付き合い願います。鳴子をお持ちいただきたいン。ええ。そいから黒川先生、すいませんがな、拍子木を持ってください、ええ。そいから、辰つァん、金棒・・・頼むよ、うん。惣助さん、お前さん提灯だ、ね。
えー、それじゃァこれだけでちょいと廻ってきますんでな、えェ、あとの方はここで休んでてくださいまし、では行ってまいりますから
A: あァそうですか、ええ、行ってらっしゃいまし
B: どうーぞごゆっくりィ
月番: 冗談言っちゃいけませんよ。すぐに帰ってきますよ。さァ、じゃ、みなさん、行きますよ。おぉーーーッ(と外の寒風に身を縮めて歩き) アァーッ。あァ・・・どうも恐れ入りましたな、この寒さてえのは、ええッ?
あーアッ。みなさんねェ、あの、風邪引いちゃつまりませんから気を付けてくださいましよ、いいですか。
ねえ! 火の廻りしてて風邪引いたなんて、ンなばかばかしい話はありませんですから、ええ。えェ、それからね、あの・・・あんです、足元気を付けてください、怪我しちゃァいけませんよゥ? ねえ。ええ、お歳を召してる方なんぞァことにねェ、怪我するってェと治りが悪いですからなァ。いえェ、本当です。おーい、ちょっとっとっと、おい惣助さん、お前さん先ィ一人でどんどん行っちゃいけないよっ。提灯持ってんだろ?
え、みなさんと一緒に歩いて、みなさんの足元を照らしておくれよっ、ねえ。あーァ、そうそう・・・そんなもんだ。
な! いやァ、しかし、たいへんなことンなってきましたがねえ、ええ? ま、しかたがないですな、これも。
ええ。(年長の伊勢屋に気配りし) アッハハ、どうも、え、伊勢屋さん、へへ、ェェ、今夜はご主人自らの出陣で、へへ、おそれいりますな
伊勢: (少し老いた静かな口調で) いや、どういたしまして。ええ、いつもは番頭がたいへんにお世話ンなってましてな、ありがとう存じます、ええ。その番頭がね、風邪ひきましてな、ええ。番頭だけじゃないんですよ、もう店の者が小僧に至るまでみんな風邪っぴきなン、ええ。でまァ、倅はね、二、三日前から遊びに行っちゃったっきり戻ってきませんしね、達者なのはあたsとばあさんだけなン、ええ。いくらなんでもばあさん火の廻りに出すわけにいかないんでな、あたくしこうして出てきましたが、考えてみるってェとばかなはなしですなァ
月番: 何がです?
伊勢: 何がったって、そうじゃありませんか、ねえ。奉公人があったかい布団の中でいい心持ちで寝ているのにですよ、主がこうして寒い中、火の廻りをしてあるくなんてえのは本当にあたしゃァね、間尺に会わないと思いますよ
月番: そんなこと言っちゃァいけませんよゥ、ねえ。昼間一生懸命奉公人がですよ、ねえ、働いてくれて、あなたの身代を大きくしてくれてるン。ねえ? で、大きくしてもらった身代を自分で守るてえのは、あたしゃ大変にいい話だと思いますよ
伊勢: いや、そりゃ、そりゃそりゃ、話はいいン。話はいいんですが、・・・やっぱり寒い
月番: 寒いのはしかたがありませんよ。ねえ、なんか愚痴ィこぼしてちゃいけません。ええ! 愚痴をこぼしに歩いてるわけじゃないんですからな。火の廻りに歩いてるン。えー、みなさんね、音の出るものをお持ちいただいてんですがな、どうしました?
伊勢: え、・・・どうもね、いったん懐へ手をいれましたら、とてもじゃァないがおもてへこう、手ェ出しにくくなりましたもんでな、ええ、鳴子をさっきね、このォ、お、帯のところにこう挟みましてな、紐を、ええ。で、前へぶる下げて、歩くたんびにこうして膝で蹴ってるんですが、あんまりいい音が出ませんな
月番: そら、そうだよ、あァたァ。だめだよ、それじゃァ。ばさばさいってますよゥ。ええ? 鳴子なんてェのァ、カラカラカラカラっていわなきゃいけないんですよ、カランカランッと・・・。ねえ!えェ。黒川先生、あなたの拍子木も妙ですな。ええ? 変な音ですね。なんかコツンコツンいってますが、拍子木なんてのァ、チョン、チョーンといってもらいたいんですよ、ええ。どうしてそんな音になるんです?
黒川: いやどうも・・・。ウハハ、あまりの寒さに、拍子木もいったん袂の中に入れましたるところ、出たがりません。しかたがございませんから、こうして袂の中にいれたまんま、こう・・・コツーン、コツーン
月番: 嫌な音だなァどうもォ。えェ? ンな不精しないでチョーン、チョンとやってくださいよ、ねえ。辰つァん、お前さんもそうだよゥ、金棒の音はどうしたんだい?
辰: えー、聞えませんかァ
月番: 聞えませんかって、・・・聞えないよゥ
辰: 聞えるでしょう。ほら、ねえ。ズルズルーッ、カタン、バシャーン。ズルズルーッ、カタン、バシャーン
月番: なんだい、その音は。どうしてそんな音がすんの?
辰: ええ、もうねェ、金棒がねェ、もう本当に冷え切っちゃって、まるで水みてェなんだい。握れやしませんよ。
しょうがねえからね、金棒の紐をね、指に引っ掛けてこゥやって懐ン中にこう、手は入れてるン、ええ、でもって、こう引きずって歩いてんですよゥ。そうするとズルズルズルッと音がするン、ええ。小石にあたるってェとカターンと音がしてね、えェ、道悪ィ飛び込むってェとバシャーンて・・・
月番: 嫌な音だなあ、ええッ。チャリーンッとやっておくれよ、威勢よくひとつさァッ! ン、しょうがないね、どうも。
あァ、それからねえ、あのォ、黙って歩いてちゃいけませんよ。『火の用心、火の廻り』 と言って歩かなくちゃいけない。ね、えェ。惣助さん、お前さん先歩いてんだ、えェ、ひとつやっておくれ
惣助: あァ、さいですか。へぇ。え、あたくしね、やったことァございませんですが、ひとつやってみましょう。ええ。うまくいけばよろしいんですが・・・。えへ、うン、あッ、え、えー、火、火、火の(せっかちに抑揚なく) 火の用心、えー、火の用心、えー、火の用心火の廻り、え、火の用心はいかがですな
月番: 売ってちゃいけないよォ。しょうがないねどうも。不器用だな、ええ?・・・あ、そう、黒川先生、あァたねェ、謡の先生だ、ねえ! 謡で喉を鍛えていらしゃるんだ、ひとつあってくれませんか
黒川: そうですか。あたくしも初めてでございますのでな、うまくいくかどうかはわかりませんが、やってみましょう。うん。(とひとつ咳払いして拍子木を打ち) コツーン、コツーン。(まるで謡で) ♪火ィのよォオじィん、火のーォまわァりィィ
月番: (あきれて) いいよ、それァもう。だめだよそれじゃァ。ええ? ちっとも『火の用心、火の廻り』 ンならないんだよ、それじゃァ・・・、ねえ。弱ったな、どうも・・・、あ、そうだ、伊勢屋さん、あァたお願いしますよ。え?(辞退され) いえ、だってあァたは若い時分からいろいろとお稽古事をしてるでしょ? ねえ? 声を出しつけてんだ、ねえ。ひとつ、やっていただけませんかな
伊勢: いえェ、いけませんよゥ。だめです、勘弁してくだはいな。え? いえ、もうここンところねェ、ちょいとね・・・
こないだうち辛いものをやりすぎたんでね、えェ、あんまりいい声がでないんでござンす。ええ。ですからま、ひとつ・・・それだけはひとつ、勘弁していただいて・・・。誰がどこで聴いてるかわかりませんからなァ
月番: あァた、色っぽいこと言ってちゃいけませんよ。別におさらいへ出てるわけじゃないんですよ、ね? 声を出しつけてんだからやってください・・・てんですから、おねがいしますよ
伊勢: う、そうですか・・・。まァ月番さんにそう言われればねえ、しかたがございません。やってはみますがねえ、いい声が出りゃいいんですがなあ。ウ、ウン、(絞った音曲調の発声) ♪あー、ウン、♪アー、ウン、♪アア
月番: 大変だなァどうも。大丈夫ですか?
伊勢: ええ、まァ、何とかなるでしょう、へぇ。うん、・・・チャチャチャチャーン、チャーンチャーン
月番: お? 三味線が入るんですか
伊勢: え、三味線を入れないってえと声がでないんだ、ねェ! (清元の節で) ♪火のよォォォ字ィンンンン、火のォォォまわァりィィィ、互いィィィにィィィーイイ火のォォもォとォォォゥう、気をつけェェェェェまァッ・・・
(陶酔して声が裏になり) しょーォ・・・
月番: (あきれかえり) 冗談じゃないよ、あァた。あのねえッ、自分ばかり気持ちよくなったってしょうがないんだよ。ほんとォに弱ったなあ。辰つァん、何とかしとくれよォッ
辰: タハハハハ、旦那方のを聴いてたら、ばかばかしくなっちゃってね、冷たい金棒握っちゃった、あっしゃア、えぇーッ、それァね、ま、素人にゃ無理なんですよゥ。ええ。あっしなんぞァね、今じゃこんなンなってくすぶ
っちゃってるが、若え時分にゃァ道楽がもとで勘当されてね、なかの鷲頭(カシラ)ンとこに転がり込んでた。ねえ。そんときに火の廻りやったことァありますよ。えェ。あいつァまたねえ、なりのこしらえがいいんだ。ねえ、ええ。腹掛けに股引き、え? 刺子の長半纏を着てねェ、ええ! こんな恰好をして腹ンところィ提灯だ。ねえッ、こうやって、(金棒を突いて) チャリーンッとこう歩いてる。ねェ! そうするってェと女がみんな心配してくれるよ。ええッ。あたしたちのためにこうやって火の廻りを廻っててくれるんだ、うれしいねッ、なんてんでね、『ちょいとォ、火の廻り、ご苦労だねェ、こっちィ来て、ま、一服やっておくんなまし』 なんてんでね、(助六気取りで) ま、キセルの雨がァ・・・降るようだァ
月番: 何を気取ってんだよォ。ンなことどうでもいいからは早くおやりよ
辰: はい、わかってます、やりますよ、ええ。こうやってね、こんな恰好して、チャリーンッとォ、こうくるよゥ。・・・(本調子で) ♪火のよォオーゥじィんーーー、さっしゃァーりやしょォオーーう!
月番: (感心して) ・・・なるほど。なるほどねえ・・・。ヘヘーエ、おそれいりましたね、伊勢屋さん
伊勢: え、え、本当ですな。へーえ、あの、辰っつァん、たいした喉だねえ
月番: そんなことはどうでもいいんだよ。え、続けておくれ
辰: へいへい、どうもありがとうごさんす。え、こういう具合にね、チャリーンッとォ、エッヘッヘヘ、♪えーエエ、お二階をーゥ廻らっしゃりやしょォォォゥォゥォゥ・・・・・
月番: なんだい、終いのそのホゥホゥってのァ?
辰: えェ、声が北風に震えてるんだ
月番: 話が細かいんだ、どうも。(番小屋へ戻って) さァさ、ご苦労さま。うぅ・・・(と中へ入って改めて凍えた体を震わせ) どうも・・・だたいま帰りました。さァさァ、みんなこっちへお入んなさい。さァさ二の組、出てってください、出てってください。お替りお替りお替りッ
二組: ええ、外はたいそう寒かったでしょうな
月番: いいえ、ンなことありません。ぽかぽかと春のような陽気で
二組: 嘘だようゥ、あァた・・・。そうですか、じゃ、二の組のほうは出掛けましょう。行ってまいりますよ