女房: ねえ、おまえさん、おまえさんっ
亭主: ・・・・・おう・・・・・あゥ・・・・・、なんだなぁ、人がいい心持ちで寝ているのに、おい、こん畜生、邪険な起こし方ァしやがって・・・・・なんでえ?
女房: ねえ、早くってすみませんけどねえ、起きて河岸へいってくださいよ
亭主: えッ?
女房: 商いに行ってくださいよ
亭主: なんでえ、商いに行けってェなァ?
女房: なんだじゃァないよ、きのうお前さん言ったじゃァないか、あしたの朝っからおれァもうまちがいなく商いに行くから、今夜は飲むだけ飲ましてくれってお前さん、ぐでんぐでんに酔っ払うほど飲んだじゃないか
亭主: うふん・・・・・ゆんべ? そんなことを言ったか、おれァおめえに? え? ふうん? 商いってェやつも、いえ、行かねえってわけじゃァねえけどもよッ、ものにゃァついでてえこともあらァな、いいじゃァねえか、まだ、行かなくったって、もう二、三ン日
女房: ばかなことを言っちゃァいけないよ。もう、おまえさん、十日も二十日も商売を休んでるじゃないか。
暮れもちかいってェのに、どうするつもりなんだい?
亭主: わかってるよ。おめえがなにも鼻の穴ァひろげて、暮れが近いって言わなくったって、うちだけが暮れが近けェわけじゃねえや
女房: なにを呑気なことを言ってんのさ。釜の蓋ァあきゃァしないよ
亭主: 釜の蓋があかなきゃァ、鍋の蓋かなんかあけときゃァいいじゃねえか
女房: 釜も鍋もあかないんだよッ
亭主: うふん・・・・・なにもうおめえ釜だの鍋だの無理にあけるこたァねえじゃねえか、あかねえもんなら。
どうしてもあけてえなら水がめの蓋かなんかあけて、間に合わしときねえ
女房: 鮒や鯉じゃないから、水ばっかし飲んで生きてるわけにゃァいかないじゃないか。そんなことを言わないでさァ、しっかりしとくれよ、ねえ、昨日あれだけ約束したんだから、行っとくれよ、商いにッ
亭主: そんな約束したかい? 昨夜?・・・・・行かねえとは言わねえけどもよう、考げえてみねえな、そう、すらっといくもんじゃァないよ。そうだろう。十日も二十日もおめえ、商い休んじゃったんだぜェ。得意先がおめえ芋だのごぼう食ってつないでるわけァねえだろ? どっかほかの魚屋が入ってるとか、な? なんかしているとこへ、間抜けな面ァして荷を担いで 『こんちァ、魚勝でござんす』 『なんだい勝っぁん十日も二十日も来ねえでいまごろ来たってしょうがねえや、ほかの魚屋が入ェってるんだい、だめだよ』 ・・・・・なんてンで剣のみォ食って引き下がってくるなんざァ気がきかねえじゃァねえか
女房: なにを言ってるんだよ、おまえさんが行かないからほかの魚屋でもなんでも入るんじゃァないか、お前さんの得意なんだよ、お前さんが行きゃァ、『どうしたんだい魚勝、また酒に飲まれやがった』 ぐらいそれァ一度は小言はいわれるだろうけれどもさ、蟹の一杯でもかれいの一枚でも買ってくださるんだよ。そりゃはなのうちは少しぐらい、いやな顔をされて断わられたって、そこはお前さん十日も二十日も休んだほうが悪いんだからしょうがないよう、ね? それともなにかい? お前さん、もうひとにとられた得意先を取り返すだけの腕ァねいのかい?
亭主: なによゥ言ってやがんでえ、こちとらァ餓鬼のうちから腕でひけェとったこたァねえや
女房: そんなら行っておくれな
亭主: 行けったっておめえ、・・・・・二十日も休んじゃってんだろう? 飯台がしょうがねえじゃァねえか・・・・・
たがァはじけちゃっておめえ、水がたらたら洩れる飯台なんぞ担いで歩けるけえッ
女房: なにを言ってんだい、きのう今日魚屋の女房になったんじゃァないよ。ちゃんと糸底ィ水が張ってあるからね、ひとッ垂らしでも水の洩れるようにゃァなっちゃァいないんだよ
亭主: ・・・・・包丁はどうなったい?
女房: ゆんべ出して見たんだけどねえ、お前さんがちゃんと研いで、そば殻ン中へつっこんであったろう?ピカピカ光って、生きのいい秋刀魚みたいな色ォしているよ
亭主: ・・・・・草鞋(ワラジ)ァ?
女房: 出てます
亭主: フッ、よく手が回ってやがんな。商えに行くったっておめえ、仕入れの銭だっているんだぜ?
女房: 馬入(バニュウ)に入ってるよ
亭主: ふ・・・・・煙草ァ?
女房: 馬入に入れといたよ
亭主: いけねえ、こっちィくれ、どうも煙草ァ馬入ィ入れとくてえと、すぐ出そうったって間に合わなくってしょうがねえ、こっちィかしねえ、・・・・・やっぱし煙草てえやつァ腹掛けのどんぶりに突っ込んどくのが一番いいんだい。ええ? 行くよゥ、行きゃァいいんじゃねえか、行きゃァ・・・・・やいやい言うない、うるせえなッ
女房: ・・・・・いやな顔しないで行っとくれよ。久しぶりで商いに出るんじゃないか、ね? ほうらごらんな、支度をすればやっぱしいい気持ちだろ? 草鞋ァ新しいからさあ、気持ちがいいだろう?
亭主: よかないよ・・・・・気持ちがいいってえのは、好きな酒飲んで、ゆっくり朝寝しているときを言うんだ
女房: 勝手なことを言うんじゃないよ。しっかりやっとくれよ、河岸行って喧嘩しちゃァいけないよ
亭主: あー、言ってくるよ (と天秤を肩に)・・・・・うー、寒い、寒い。眠気なんかすっかり覚めちまった・・・・・
ちぇッ、やだやだ・・・・・なあ、考げえてみると、魚屋なんてなァ、つまらねえ商売だなァ。どこの家だってみんないい気持ちでいびきィかいてるさかりだあ、なあ? あたりは真っ暗だし、起きてるとこなんざ一軒もありゃァしねえや、なあ? 起きてンなあおれとむく犬ぐれえなもん・・・・・
シッ、シッ、こん畜生ッ、なんでえ吠えつきやがって、よせやい、二十日も面ァ見せねえもんだからこん畜生忘れちまやがって、おれだいおれだい、あッはッは、やっと気がつきやがって尻尾ォ振ってやがら、なんでえ、ええ? 犬に忘れられちまうようじゃァ商えに行っても心細えな、・・・・・あーあ、しかしなんだな、愚痴をこぼすようなもんの、餓鬼のうちからやってる商売ェだ、な? だんだん浜ァ近くンなってきて、こう磯臭え匂いがぷうんと鼻へ入ェってくると、この匂いはまた忘れられねえや。
けどなんだねえ。ここまで来るとてえげえ明るくなるんだけどなあ・・・・・いやにうすっ暗えじゃねえか。
ああ、なんでえ・・・・・問屋ァまだ一軒も起きてねえじゃァねえか、なんでえ浜ァ休みか、今日は? ええ?
おれが出てきたら問屋ァ休みだなんてんじゃまずいじゃねえか、やすみなわけァねえやァ、どうしやがったんだい、浜へくれァいつもいまごろは夜が明けてこなくちゃならねえんだがなあ、(と、空を見て) おかしいなあ・・・・・あ、切り通しの鐘だい、ええ? ああいい音色だな、おまけに海へぴィんと響きやがるからたまらねえなあ、あの味がよォ、また、なん・・・・・一つ刻(トキ)ちげえやがるじゃねえか (と、も一度空を見上げ) 暗えわけだ。かかあ、ときィまちがえて早く起こしやがったッ・・・・ちぇッ忌々しいなあ、本当に・・・・といって家ィ帰ェってかかあおどかしたって、またすぐここへ出直してこなくちゃならねえんだ、まあま、しょうがねえや、浜へ出て一服やってるうちにゃァ、しらしら明けになんだろう・・・・・
よッ、どっこいしょっと (と飯台を肩から降ろし) ああいい心持ちだい、ああゆんべ飲み過ぎてやがんだ、そいでなんかこうにたにたしてやがんだな、塩水で口でもゆすいで、な? (両手に水をすくって、口をゆすぎ、ペッペッと唾を吐き、それから顔を) ううッなまらねえ、たまらねえッ、(と二、三度ぶるぶるッと洗って) ああいい気持ちだ・・・・・ああさっぱりしてきやがったい、ありがてえありがてえ、はっきり目が覚めてきやがった、ここらで一服やるかなあ
*飯台を左右に置いて、その上に天秤を渡して、傍らへどっかりと腰をおろした。火口(ホグチ)とって、石をカチッカチッと打って、煙管の煙草に火をつけて、ぷうッと吸い、
亭主: ・・・・・あっ、ぽおゥッと白んできやがった・・・・・ああ、いい色だなあ、ええ? あーあ後光がさすってえことをよく言うが、なるほど雲の間から黄色い色がでてくるなァたまらねえな、え? どうでえ、だんだん薄赤くなってきやがるなあ、どうみても、鯛(テエ)の色だな・・・・・あ、帆掛け舟が見えやがらあ。なんだ、もう帰ェるんだな、あいるァ、え? おれが早ェえと思ったら船の方はまだ早ェえや、愚痴も言えねえやな、考えてみりゃァ・・・・・ああ、海ってえやつァいつ見ても悪くねえが、こいつを十日も二十日も見ねえで暮らしていたんだ・・・・・へッ、どうでえこの海・・・・・
*と、一服吸って、火玉をはたき、ふと、その火玉がすうッと波打ち際に消えたところへ目がいってじいっと見ながら、も一つぷッと煙管吹いて、持っていた煙管をぐうッと伸ばして、その雁首に砂に埋まっている紐をひっかけて、ぐいッとたぐり寄せた。
亭主: ・・・・・なんでえ、え? あれっ、汚え財布(セエフ)だな、ええ? 革にゃァ違えねえが、ぬるぬるだよ。ながく水に入ェってやがったんだよ。砂ァ入ェttるとめえて、なんだか重いてえな、なげえあいだ波にもまれてる間(マ)に、いつ入ェるともなく、な? 砂を出しちまわなきゃどうにもしゃあねえや・・・・・あッ―――
*覗き込んで中身を認めると、身体が小刻みに震え出し、あたりを見回すと、あわてて財布の紐をくるくるッと巻き、ぐうッっと水を絞って、腹掛けのどんぶりへねじこに、飯台を肩へ・・・・・。
ドンドンドンドン~~~~・・・・・。
亭主: おっかァ、ちょっと開けつくれッ、おい、おっかァ・・・・・
女房: はい、いま開けます、すみませんねえ、いえ、一つ時刻ちがえちゃったんでねえ、お前さん怒って帰ってきやしないかと思って気にしてたんだよ、すみません、いま開けるから待っとくれ・・・・・なんだよう、そうドンドン叩かないでさあ、近所へみっともないからさ、いえいま開けるからお待ちなさいよ。いま開け・・・・・どうした? お前さん、喧嘩でもしてきたんじゃないのかい?
亭主: おっかァ、あとォ締めろいッ、だれもついてこねえか、え?・・・・・おっかァ、おめえ時刻ィまちげえて早く起こしたな?
女房: すみません、お前さんが出ちゃってから気がついたんだよゥ。また怒られるとおもって、追っかけて行こうかなと思ったんだけど、女の足じゃァ間に合やァしないし。すみません、ほんとうに
亭主: それァいいんだよ・・・・・おれァ河岸ィ行くとねえ、問屋ァ一軒も起きてねえや。起きてねえわけだ、早ェえんだもの、え? ま、浜へ出て一服やってようとひょいと波打ち際ンところを見ると、なんかこう動くもんがありやがる・・・・・はなァ魚だと思ったんだ。それから煙管の雁首ィ、引っ掛けて引きずってみたら、やけに重いんだ、たぐっていくとおめえ・・・・・(小声で) だれもいねえか、革の財布が上がってきやがった。
汚ねえ財布なんだ、そいからおめえ、なんお気なしに中ァのぞいてみるとなあ、おっかァ・・・・・これだ、見つくれ、おい、銭で一杯ェだ
女房: え? なんだって? お前さん革の財布を芝浜で拾ってきた?
亭主: ま、黙ってみてみろいッ、勘定してみろいッ
女房: まあ・・・・・ほんとうかい、お前さん、え?・・・・・たいそうな目方だねえ・・・・・おや、銭じゃない、金(カネ)だよッ。二分金じゃァないか、たいへんな・・・・・いえ、勘定してみるからさあ・・・・・
ちゅう、ちゅう、たこ、かい、な・・・・・
亭主: じれって勘定のしかたをしてやがんなあ、ええ? いくらあるィ?
女房: 待っとくれよ、数えてんのにわきからなんか言っちゃだめだよ・・・・・だいいち手が震えて、勘定しているうちにあとにもどってしまうんだよう
亭主: こっちィかしてみなこっちィ・・・・・ェェひとよひとよ・・・・・ふたふたふた、みッちョみッちョ、みッちョみッちョ、よッちョよッちョ・・・・・(小声で) おいっ、おい四十八両あるぜ!
女房: まあ、たいへんなお金だねえ・・・・・どうするい、お前さん
亭主: なによゥ言ってやんでえ、どうするってことァねえじゃねえかなあ、おれが拾ってきたんだ、おれの銭だあ、商えなんぞに行かなくったって、釜の蓋でもなんでもあくだろう、ええ? へっ、ざまあみやがれってんだ。ありがてえありがてえ。これだけ銭がありゃァ、おまえ、明日っから商えなんぞに行かなくっても大いばりだあ。毎日毎日ぐうッと好きな酒を何升飲んだって、びくともしねえや。おっかァ、江戸中捜したって四十八両も持ってる金持ちァ一人もあるめえッ、ここんところねえ、金公だの寅公、竹、みんなにもう借りっぱなしだよ、いつでも向こうに銭払わしちゃってたんだよ、きまりが悪いッたってねえやな。おればっかり飲んじゃあいねえや、え? 呼んできてやってくれ、でな、あいつら好きなものをうんとな、山ほど誂えてきて、で、みんなで、今日はもう、祝え酒だ、うんとやるんだから、おい、ちょっと声かけてきてくれ
女房: なにを言ってんだよう、お前さん。いま夜が明けたばかしじゃないか、金ちゃんだって寅さんだって、商いもあれば仕事もあるんだよう、お昼過ぎンでもならなけりゃ、どうもしょうがないやね
亭主: ちげえねえッ、へっへっへっ・・・・・あんまりうれしいんで夢中ンなっちゃったい。そうか・・・・・といって昼過ぎまでつないじゃァいられねえなァ。ゆんべの酒ァまだ残ってるだろう? え? 今朝ァ早えからよ、眠くってしょうがねえやな、うん、ぐうッと一杯ェやってね、ひと眠りをして、そいから昼過ぎンなったらみんな呼んできて、家で飲むから・・・・・ああ、湯飲みでいいよ、めんどうくせえから、うん、注いでみつくれ・・・・・ああ、うめえなあ。ああ、ありがてえありがてえ。ええ?
正直な事をいうとねえ、ゆんべは明日から商え行くんだってやつが胸につけえやがってよ、飲む酒がうまくねえや・・・・・ああ、もうこれで商えなんぞ行かなくていいってんだから、どうでえ、酒の味がちがうなあ。
ああ、たまらねえなあ、・・・・・え? 香こでもなんでもいいや、なんでえハゼの佃煮があったかい? ちょっとつまみゃァいい・・・・・はあ、ありがてえなあ・・・・・まだあるか? 注いじゃってくれ・・・・・うん、おっとっとっと、なんでえ、ずいぶん残ってやがるじゃねえか、そうか、ふふ、ヘッこのごろ弱くなったのかな・・・・・ああ、ありがてえありがてえッ、ええ? おれは運がいいんだな、昔っからよく早起きは三文の得てえが、三文どころの得じゃァねえや、まさかおめえ浜で財ェ布を拾おうたァおもわねえじゃァねえか・・・・・
ちゅうッ、ちゅうっ・・・・・よしよし、そいでおつもりか。またあとでみんなとふんだんに飲めるんだから、もういい・・・・・ああ、利きやあがんな今朝ァ・・・・・あっ、いけねえッ、さっきから妙だと思ってたら褌もなにもびしょびしょだ。おい、褌出してくれッ、ああ腹掛けも取らなくちゃァ、・・・・・おいおっかァ、腹掛け脱がしてくれよ。おう、おれァ寝るからな、昼ンなったら起こしてくんな
*床の中へ入ると、ぐうーッと・・・・・。
女房: ねえ、おまえさん、おまえさんっ
亭主: ・・・・・おう・・・・・あゥ・・・・・、なんだなぁ、おうッ、畜生、びっくりするじゃねえか・・・・・なんだ火事か?
女房: 火事じゃァないよう、商いに行っとくれよ
亭主: ・・・・・なに?
女房: 商いに行ってくださいよう。ぐずぐずしてると河岸ィ行くのが遅くなるよう
亭主: なんでえ、商えてェなァ?
女房: お前さんが商いに行ってくれなきゃァ家の釜の蓋ァあかないじゃないか
亭主: ・・・・・また始まりゃがったな、こん畜生。釜の蓋も鍋の蓋もあるかってんだ、きのうのアレであけときゃいいじゃァねえか
女房: なんだい、きのうのアレって?
亭主: おい、よせよゥ、おい。なんだってえこたァねえじゃねえか、え? おめえに渡したろう?・・・・・(小声で) 四十八両! あれであけとけってんだい
女房: なんだい、四十八両ってなァ・・・・・・?
亭主: おッ、畜生、この野郎ッ・・・・・いい加減にしろよう、少ゥしぐれえいくなァかまわねえけどもよ、そっくりいくなァひでえじゃァねえか、なんだいそのうすっとぼけて四十八両なんだなんで・・・・・おれが昨日芝の浜で拾って来た四十八両があるだろう?
女房: なにを言ってんだよう、お前さん昨日芝の浜なんぞに行きゃァしないじゃァないか
亭主: なにィ? おれが芝の浜へ行かねえ? そんなことがあるもんか。おい、お、お、おめえが起こしたろう、え? そいで、おれァ芝の浜へ行ったじゃァねえか? そうしたら時刻間違ェて起こしたもんだから、まだ問屋も一軒も開いちゃァいねえ。しかたねえから、おれが浜へおりて、一服やってるうちに革の財布を拾って、家ィ帰ってきて、おめえと勘定してみたら、四十八両あって、おめえに渡したじゃァねえか
女房: ・・・・・情けないねえ、この人ァ・・・・・いくら貧乏しているからって、お前さんそんなものを拾った夢ェ見たのかい?
亭主: おいッ、夢ェ・・・・・? 夢じゃねえ、おれァちゃんとおめえに渡し・・・・・
女房: なにを言ってるんだよ、おまえさん、しっかりしておくれよ。四十八両、どこにそんなお金があるんだよう・・・・・・そんなお金がありゃァ、この寒空にあたしゃァ洗い晒しの浴衣ァ重ねて着ちゃァいないよ、いいかい?
たいして広い家じゃァない、天井裏でも縁の下でもどこでも捜してごらんな、どこに四十八両なんてお金があるんですよう、しっかりしておくれよ。お前さん、情けない夢ェ見るねえ、いいかい? よくお聞きな、昨日の朝起こしたとき、なんったんだい。うるせえッて、ひとのことをどなりつけてさ、ね? あんまりしつこく言ってまた手荒なことォされちゃつまらない。だからあたしゃァ、いま起きてくれるだろうと思ってそのままにしといたら、いつの間にかお前さんはまた床の中へもぐりこんで寝ちまって、そして今度ァ、起こそうとゆさぶろうと、どうしたって起きるどころかじゃァ、ありゃしないじゃないか。そいでお昼時分にぽっくり目を覚まして、『おッ、手拭出しな』 ・・・・・手拭持って朝湯へ行っちゃって、帰りに寅さんだの、金ちゃんだの、竹さんだの大勢お友だちをいっしょに連れて来て、『おう、酒ェ買ってきねえ、天ぷらそういってこい、鰻を誂えてこう』 友だちのいる前でおまえに恥をかかせるようなこともできないと思うから、どうしたんだろうとは思いながらも、お酒を無理に都合して借りてきたり、天ぷらを頼んだり、鰻を誂えたりしてさ、なにがうれしいんだか知らないけれども、さんざんお前さん飲んだり食ったりしてさ、お前さん、もうぐでんぐでんになるほど酔っ払ってさあ、そのまま寝ちまったじゃァないか、そうだろ? いつお前さん芝の浜ィ行ったんだい?
亭主: ・・・・・ちょっと待ってくれ、おい!・・・・・えッ? 昨日、おれァ、朝、おれァ芝の浜へ行かなかったか?
女房: 行きゃしないじゃないか、起こしたって起きないで、床ン中へまたもぐずりこんで寝ちまったじゃないか
亭主: えッ? じゃァなにか? おれ、昨日の朝、行かねえ? 夢だ?・・・・・ずいぶんはっきりした夢だなあ・・・・・・なにをゥ言ってやんでえ・・・・・え? おッ、切り通しの鐘はどこで聞いたんだい?
女房: なに言ってるんだよ、鐘ァここだって聞えるじゃァないか。いま鳴ってるのは切り通しの明六刻(アケムツ)ですよう
亭主: ・・・・・おう・・・・・あゥ・・・・・、なんだなぁ、人がいい心持ちで寝ているのに、おい、こん畜生、邪険な起こし方ァしやがって・・・・・なんでえ?
女房: ねえ、早くってすみませんけどねえ、起きて河岸へいってくださいよ
亭主: えッ?
女房: 商いに行ってくださいよ
亭主: なんでえ、商いに行けってェなァ?
女房: なんだじゃァないよ、きのうお前さん言ったじゃァないか、あしたの朝っからおれァもうまちがいなく商いに行くから、今夜は飲むだけ飲ましてくれってお前さん、ぐでんぐでんに酔っ払うほど飲んだじゃないか
亭主: うふん・・・・・ゆんべ? そんなことを言ったか、おれァおめえに? え? ふうん? 商いってェやつも、いえ、行かねえってわけじゃァねえけどもよッ、ものにゃァついでてえこともあらァな、いいじゃァねえか、まだ、行かなくったって、もう二、三ン日
女房: ばかなことを言っちゃァいけないよ。もう、おまえさん、十日も二十日も商売を休んでるじゃないか。
暮れもちかいってェのに、どうするつもりなんだい?
亭主: わかってるよ。おめえがなにも鼻の穴ァひろげて、暮れが近いって言わなくったって、うちだけが暮れが近けェわけじゃねえや
女房: なにを呑気なことを言ってんのさ。釜の蓋ァあきゃァしないよ
亭主: 釜の蓋があかなきゃァ、鍋の蓋かなんかあけときゃァいいじゃねえか
女房: 釜も鍋もあかないんだよッ
亭主: うふん・・・・・なにもうおめえ釜だの鍋だの無理にあけるこたァねえじゃねえか、あかねえもんなら。
どうしてもあけてえなら水がめの蓋かなんかあけて、間に合わしときねえ
女房: 鮒や鯉じゃないから、水ばっかし飲んで生きてるわけにゃァいかないじゃないか。そんなことを言わないでさァ、しっかりしとくれよ、ねえ、昨日あれだけ約束したんだから、行っとくれよ、商いにッ
亭主: そんな約束したかい? 昨夜?・・・・・行かねえとは言わねえけどもよう、考げえてみねえな、そう、すらっといくもんじゃァないよ。そうだろう。十日も二十日もおめえ、商い休んじゃったんだぜェ。得意先がおめえ芋だのごぼう食ってつないでるわけァねえだろ? どっかほかの魚屋が入ってるとか、な? なんかしているとこへ、間抜けな面ァして荷を担いで 『こんちァ、魚勝でござんす』 『なんだい勝っぁん十日も二十日も来ねえでいまごろ来たってしょうがねえや、ほかの魚屋が入ェってるんだい、だめだよ』 ・・・・・なんてンで剣のみォ食って引き下がってくるなんざァ気がきかねえじゃァねえか
女房: なにを言ってるんだよ、おまえさんが行かないからほかの魚屋でもなんでも入るんじゃァないか、お前さんの得意なんだよ、お前さんが行きゃァ、『どうしたんだい魚勝、また酒に飲まれやがった』 ぐらいそれァ一度は小言はいわれるだろうけれどもさ、蟹の一杯でもかれいの一枚でも買ってくださるんだよ。そりゃはなのうちは少しぐらい、いやな顔をされて断わられたって、そこはお前さん十日も二十日も休んだほうが悪いんだからしょうがないよう、ね? それともなにかい? お前さん、もうひとにとられた得意先を取り返すだけの腕ァねいのかい?
亭主: なによゥ言ってやがんでえ、こちとらァ餓鬼のうちから腕でひけェとったこたァねえや
女房: そんなら行っておくれな
亭主: 行けったっておめえ、・・・・・二十日も休んじゃってんだろう? 飯台がしょうがねえじゃァねえか・・・・・
たがァはじけちゃっておめえ、水がたらたら洩れる飯台なんぞ担いで歩けるけえッ
女房: なにを言ってんだい、きのう今日魚屋の女房になったんじゃァないよ。ちゃんと糸底ィ水が張ってあるからね、ひとッ垂らしでも水の洩れるようにゃァなっちゃァいないんだよ
亭主: ・・・・・包丁はどうなったい?
女房: ゆんべ出して見たんだけどねえ、お前さんがちゃんと研いで、そば殻ン中へつっこんであったろう?ピカピカ光って、生きのいい秋刀魚みたいな色ォしているよ
亭主: ・・・・・草鞋(ワラジ)ァ?
女房: 出てます
亭主: フッ、よく手が回ってやがんな。商えに行くったっておめえ、仕入れの銭だっているんだぜ?
女房: 馬入(バニュウ)に入ってるよ
亭主: ふ・・・・・煙草ァ?
女房: 馬入に入れといたよ
亭主: いけねえ、こっちィくれ、どうも煙草ァ馬入ィ入れとくてえと、すぐ出そうったって間に合わなくってしょうがねえ、こっちィかしねえ、・・・・・やっぱし煙草てえやつァ腹掛けのどんぶりに突っ込んどくのが一番いいんだい。ええ? 行くよゥ、行きゃァいいんじゃねえか、行きゃァ・・・・・やいやい言うない、うるせえなッ
女房: ・・・・・いやな顔しないで行っとくれよ。久しぶりで商いに出るんじゃないか、ね? ほうらごらんな、支度をすればやっぱしいい気持ちだろ? 草鞋ァ新しいからさあ、気持ちがいいだろう?
亭主: よかないよ・・・・・気持ちがいいってえのは、好きな酒飲んで、ゆっくり朝寝しているときを言うんだ
女房: 勝手なことを言うんじゃないよ。しっかりやっとくれよ、河岸行って喧嘩しちゃァいけないよ
亭主: あー、言ってくるよ (と天秤を肩に)・・・・・うー、寒い、寒い。眠気なんかすっかり覚めちまった・・・・・
ちぇッ、やだやだ・・・・・なあ、考げえてみると、魚屋なんてなァ、つまらねえ商売だなァ。どこの家だってみんないい気持ちでいびきィかいてるさかりだあ、なあ? あたりは真っ暗だし、起きてるとこなんざ一軒もありゃァしねえや、なあ? 起きてンなあおれとむく犬ぐれえなもん・・・・・
シッ、シッ、こん畜生ッ、なんでえ吠えつきやがって、よせやい、二十日も面ァ見せねえもんだからこん畜生忘れちまやがって、おれだいおれだい、あッはッは、やっと気がつきやがって尻尾ォ振ってやがら、なんでえ、ええ? 犬に忘れられちまうようじゃァ商えに行っても心細えな、・・・・・あーあ、しかしなんだな、愚痴をこぼすようなもんの、餓鬼のうちからやってる商売ェだ、な? だんだん浜ァ近くンなってきて、こう磯臭え匂いがぷうんと鼻へ入ェってくると、この匂いはまた忘れられねえや。
けどなんだねえ。ここまで来るとてえげえ明るくなるんだけどなあ・・・・・いやにうすっ暗えじゃねえか。
ああ、なんでえ・・・・・問屋ァまだ一軒も起きてねえじゃァねえか、なんでえ浜ァ休みか、今日は? ええ?
おれが出てきたら問屋ァ休みだなんてんじゃまずいじゃねえか、やすみなわけァねえやァ、どうしやがったんだい、浜へくれァいつもいまごろは夜が明けてこなくちゃならねえんだがなあ、(と、空を見て) おかしいなあ・・・・・あ、切り通しの鐘だい、ええ? ああいい音色だな、おまけに海へぴィんと響きやがるからたまらねえなあ、あの味がよォ、また、なん・・・・・一つ刻(トキ)ちげえやがるじゃねえか (と、も一度空を見上げ) 暗えわけだ。かかあ、ときィまちがえて早く起こしやがったッ・・・・ちぇッ忌々しいなあ、本当に・・・・といって家ィ帰ェってかかあおどかしたって、またすぐここへ出直してこなくちゃならねえんだ、まあま、しょうがねえや、浜へ出て一服やってるうちにゃァ、しらしら明けになんだろう・・・・・
よッ、どっこいしょっと (と飯台を肩から降ろし) ああいい心持ちだい、ああゆんべ飲み過ぎてやがんだ、そいでなんかこうにたにたしてやがんだな、塩水で口でもゆすいで、な? (両手に水をすくって、口をゆすぎ、ペッペッと唾を吐き、それから顔を) ううッなまらねえ、たまらねえッ、(と二、三度ぶるぶるッと洗って) ああいい気持ちだ・・・・・ああさっぱりしてきやがったい、ありがてえありがてえ、はっきり目が覚めてきやがった、ここらで一服やるかなあ
*飯台を左右に置いて、その上に天秤を渡して、傍らへどっかりと腰をおろした。火口(ホグチ)とって、石をカチッカチッと打って、煙管の煙草に火をつけて、ぷうッと吸い、
亭主: ・・・・・あっ、ぽおゥッと白んできやがった・・・・・ああ、いい色だなあ、ええ? あーあ後光がさすってえことをよく言うが、なるほど雲の間から黄色い色がでてくるなァたまらねえな、え? どうでえ、だんだん薄赤くなってきやがるなあ、どうみても、鯛(テエ)の色だな・・・・・あ、帆掛け舟が見えやがらあ。なんだ、もう帰ェるんだな、あいるァ、え? おれが早ェえと思ったら船の方はまだ早ェえや、愚痴も言えねえやな、考えてみりゃァ・・・・・ああ、海ってえやつァいつ見ても悪くねえが、こいつを十日も二十日も見ねえで暮らしていたんだ・・・・・へッ、どうでえこの海・・・・・
*と、一服吸って、火玉をはたき、ふと、その火玉がすうッと波打ち際に消えたところへ目がいってじいっと見ながら、も一つぷッと煙管吹いて、持っていた煙管をぐうッと伸ばして、その雁首に砂に埋まっている紐をひっかけて、ぐいッとたぐり寄せた。
亭主: ・・・・・なんでえ、え? あれっ、汚え財布(セエフ)だな、ええ? 革にゃァ違えねえが、ぬるぬるだよ。ながく水に入ェってやがったんだよ。砂ァ入ェttるとめえて、なんだか重いてえな、なげえあいだ波にもまれてる間(マ)に、いつ入ェるともなく、な? 砂を出しちまわなきゃどうにもしゃあねえや・・・・・あッ―――
*覗き込んで中身を認めると、身体が小刻みに震え出し、あたりを見回すと、あわてて財布の紐をくるくるッと巻き、ぐうッっと水を絞って、腹掛けのどんぶりへねじこに、飯台を肩へ・・・・・。
ドンドンドンドン~~~~・・・・・。
亭主: おっかァ、ちょっと開けつくれッ、おい、おっかァ・・・・・
女房: はい、いま開けます、すみませんねえ、いえ、一つ時刻ちがえちゃったんでねえ、お前さん怒って帰ってきやしないかと思って気にしてたんだよ、すみません、いま開けるから待っとくれ・・・・・なんだよう、そうドンドン叩かないでさあ、近所へみっともないからさ、いえいま開けるからお待ちなさいよ。いま開け・・・・・どうした? お前さん、喧嘩でもしてきたんじゃないのかい?
亭主: おっかァ、あとォ締めろいッ、だれもついてこねえか、え?・・・・・おっかァ、おめえ時刻ィまちげえて早く起こしたな?
女房: すみません、お前さんが出ちゃってから気がついたんだよゥ。また怒られるとおもって、追っかけて行こうかなと思ったんだけど、女の足じゃァ間に合やァしないし。すみません、ほんとうに
亭主: それァいいんだよ・・・・・おれァ河岸ィ行くとねえ、問屋ァ一軒も起きてねえや。起きてねえわけだ、早ェえんだもの、え? ま、浜へ出て一服やってようとひょいと波打ち際ンところを見ると、なんかこう動くもんがありやがる・・・・・はなァ魚だと思ったんだ。それから煙管の雁首ィ、引っ掛けて引きずってみたら、やけに重いんだ、たぐっていくとおめえ・・・・・(小声で) だれもいねえか、革の財布が上がってきやがった。
汚ねえ財布なんだ、そいからおめえ、なんお気なしに中ァのぞいてみるとなあ、おっかァ・・・・・これだ、見つくれ、おい、銭で一杯ェだ
女房: え? なんだって? お前さん革の財布を芝浜で拾ってきた?
亭主: ま、黙ってみてみろいッ、勘定してみろいッ
女房: まあ・・・・・ほんとうかい、お前さん、え?・・・・・たいそうな目方だねえ・・・・・おや、銭じゃない、金(カネ)だよッ。二分金じゃァないか、たいへんな・・・・・いえ、勘定してみるからさあ・・・・・
ちゅう、ちゅう、たこ、かい、な・・・・・
亭主: じれって勘定のしかたをしてやがんなあ、ええ? いくらあるィ?
女房: 待っとくれよ、数えてんのにわきからなんか言っちゃだめだよ・・・・・だいいち手が震えて、勘定しているうちにあとにもどってしまうんだよう
亭主: こっちィかしてみなこっちィ・・・・・ェェひとよひとよ・・・・・ふたふたふた、みッちョみッちョ、みッちョみッちョ、よッちョよッちョ・・・・・(小声で) おいっ、おい四十八両あるぜ!
女房: まあ、たいへんなお金だねえ・・・・・どうするい、お前さん
亭主: なによゥ言ってやんでえ、どうするってことァねえじゃねえかなあ、おれが拾ってきたんだ、おれの銭だあ、商えなんぞに行かなくったって、釜の蓋でもなんでもあくだろう、ええ? へっ、ざまあみやがれってんだ。ありがてえありがてえ。これだけ銭がありゃァ、おまえ、明日っから商えなんぞに行かなくっても大いばりだあ。毎日毎日ぐうッと好きな酒を何升飲んだって、びくともしねえや。おっかァ、江戸中捜したって四十八両も持ってる金持ちァ一人もあるめえッ、ここんところねえ、金公だの寅公、竹、みんなにもう借りっぱなしだよ、いつでも向こうに銭払わしちゃってたんだよ、きまりが悪いッたってねえやな。おればっかり飲んじゃあいねえや、え? 呼んできてやってくれ、でな、あいつら好きなものをうんとな、山ほど誂えてきて、で、みんなで、今日はもう、祝え酒だ、うんとやるんだから、おい、ちょっと声かけてきてくれ
女房: なにを言ってんだよう、お前さん。いま夜が明けたばかしじゃないか、金ちゃんだって寅さんだって、商いもあれば仕事もあるんだよう、お昼過ぎンでもならなけりゃ、どうもしょうがないやね
亭主: ちげえねえッ、へっへっへっ・・・・・あんまりうれしいんで夢中ンなっちゃったい。そうか・・・・・といって昼過ぎまでつないじゃァいられねえなァ。ゆんべの酒ァまだ残ってるだろう? え? 今朝ァ早えからよ、眠くってしょうがねえやな、うん、ぐうッと一杯ェやってね、ひと眠りをして、そいから昼過ぎンなったらみんな呼んできて、家で飲むから・・・・・ああ、湯飲みでいいよ、めんどうくせえから、うん、注いでみつくれ・・・・・ああ、うめえなあ。ああ、ありがてえありがてえ。ええ?
正直な事をいうとねえ、ゆんべは明日から商え行くんだってやつが胸につけえやがってよ、飲む酒がうまくねえや・・・・・ああ、もうこれで商えなんぞ行かなくていいってんだから、どうでえ、酒の味がちがうなあ。
ああ、たまらねえなあ、・・・・・え? 香こでもなんでもいいや、なんでえハゼの佃煮があったかい? ちょっとつまみゃァいい・・・・・はあ、ありがてえなあ・・・・・まだあるか? 注いじゃってくれ・・・・・うん、おっとっとっと、なんでえ、ずいぶん残ってやがるじゃねえか、そうか、ふふ、ヘッこのごろ弱くなったのかな・・・・・ああ、ありがてえありがてえッ、ええ? おれは運がいいんだな、昔っからよく早起きは三文の得てえが、三文どころの得じゃァねえや、まさかおめえ浜で財ェ布を拾おうたァおもわねえじゃァねえか・・・・・
ちゅうッ、ちゅうっ・・・・・よしよし、そいでおつもりか。またあとでみんなとふんだんに飲めるんだから、もういい・・・・・ああ、利きやあがんな今朝ァ・・・・・あっ、いけねえッ、さっきから妙だと思ってたら褌もなにもびしょびしょだ。おい、褌出してくれッ、ああ腹掛けも取らなくちゃァ、・・・・・おいおっかァ、腹掛け脱がしてくれよ。おう、おれァ寝るからな、昼ンなったら起こしてくんな
*床の中へ入ると、ぐうーッと・・・・・。
女房: ねえ、おまえさん、おまえさんっ
亭主: ・・・・・おう・・・・・あゥ・・・・・、なんだなぁ、おうッ、畜生、びっくりするじゃねえか・・・・・なんだ火事か?
女房: 火事じゃァないよう、商いに行っとくれよ
亭主: ・・・・・なに?
女房: 商いに行ってくださいよう。ぐずぐずしてると河岸ィ行くのが遅くなるよう
亭主: なんでえ、商えてェなァ?
女房: お前さんが商いに行ってくれなきゃァ家の釜の蓋ァあかないじゃないか
亭主: ・・・・・また始まりゃがったな、こん畜生。釜の蓋も鍋の蓋もあるかってんだ、きのうのアレであけときゃいいじゃァねえか
女房: なんだい、きのうのアレって?
亭主: おい、よせよゥ、おい。なんだってえこたァねえじゃねえか、え? おめえに渡したろう?・・・・・(小声で) 四十八両! あれであけとけってんだい
女房: なんだい、四十八両ってなァ・・・・・・?
亭主: おッ、畜生、この野郎ッ・・・・・いい加減にしろよう、少ゥしぐれえいくなァかまわねえけどもよ、そっくりいくなァひでえじゃァねえか、なんだいそのうすっとぼけて四十八両なんだなんで・・・・・おれが昨日芝の浜で拾って来た四十八両があるだろう?
女房: なにを言ってんだよう、お前さん昨日芝の浜なんぞに行きゃァしないじゃァないか
亭主: なにィ? おれが芝の浜へ行かねえ? そんなことがあるもんか。おい、お、お、おめえが起こしたろう、え? そいで、おれァ芝の浜へ行ったじゃァねえか? そうしたら時刻間違ェて起こしたもんだから、まだ問屋も一軒も開いちゃァいねえ。しかたねえから、おれが浜へおりて、一服やってるうちに革の財布を拾って、家ィ帰ってきて、おめえと勘定してみたら、四十八両あって、おめえに渡したじゃァねえか
女房: ・・・・・情けないねえ、この人ァ・・・・・いくら貧乏しているからって、お前さんそんなものを拾った夢ェ見たのかい?
亭主: おいッ、夢ェ・・・・・? 夢じゃねえ、おれァちゃんとおめえに渡し・・・・・
女房: なにを言ってるんだよ、おまえさん、しっかりしておくれよ。四十八両、どこにそんなお金があるんだよう・・・・・・そんなお金がありゃァ、この寒空にあたしゃァ洗い晒しの浴衣ァ重ねて着ちゃァいないよ、いいかい?
たいして広い家じゃァない、天井裏でも縁の下でもどこでも捜してごらんな、どこに四十八両なんてお金があるんですよう、しっかりしておくれよ。お前さん、情けない夢ェ見るねえ、いいかい? よくお聞きな、昨日の朝起こしたとき、なんったんだい。うるせえッて、ひとのことをどなりつけてさ、ね? あんまりしつこく言ってまた手荒なことォされちゃつまらない。だからあたしゃァ、いま起きてくれるだろうと思ってそのままにしといたら、いつの間にかお前さんはまた床の中へもぐりこんで寝ちまって、そして今度ァ、起こそうとゆさぶろうと、どうしたって起きるどころかじゃァ、ありゃしないじゃないか。そいでお昼時分にぽっくり目を覚まして、『おッ、手拭出しな』 ・・・・・手拭持って朝湯へ行っちゃって、帰りに寅さんだの、金ちゃんだの、竹さんだの大勢お友だちをいっしょに連れて来て、『おう、酒ェ買ってきねえ、天ぷらそういってこい、鰻を誂えてこう』 友だちのいる前でおまえに恥をかかせるようなこともできないと思うから、どうしたんだろうとは思いながらも、お酒を無理に都合して借りてきたり、天ぷらを頼んだり、鰻を誂えたりしてさ、なにがうれしいんだか知らないけれども、さんざんお前さん飲んだり食ったりしてさ、お前さん、もうぐでんぐでんになるほど酔っ払ってさあ、そのまま寝ちまったじゃァないか、そうだろ? いつお前さん芝の浜ィ行ったんだい?
亭主: ・・・・・ちょっと待ってくれ、おい!・・・・・えッ? 昨日、おれァ、朝、おれァ芝の浜へ行かなかったか?
女房: 行きゃしないじゃないか、起こしたって起きないで、床ン中へまたもぐずりこんで寝ちまったじゃないか
亭主: えッ? じゃァなにか? おれ、昨日の朝、行かねえ? 夢だ?・・・・・ずいぶんはっきりした夢だなあ・・・・・・なにをゥ言ってやんでえ・・・・・え? おッ、切り通しの鐘はどこで聞いたんだい?
女房: なに言ってるんだよ、鐘ァここだって聞えるじゃァないか。いま鳴ってるのは切り通しの明六刻(アケムツ)ですよう