化石の日記Ver.2

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明治時代のウズベク舞踊

2012-03-29 00:04:46 | 音楽の話
「中央アジアに入った日本人」という本を読んでいます。

今、海外を旅するというと、かんぺきに個人の趣味ですが。

明治時代は、国益のためという意味合いが強かったようです。

この本では、3人の日本人を扱っていますが、


最初に登場する、西 徳二郎。

明治維新になったほやほやの明治3年にロシア留学。

大久保利通にロシア情報を送っていた。

当時のロシアはトルキスタンを皮切りに侵略を進めていて

もしかしてそのうち中国→日本???ということが懸念される。

中央アジア情勢をこの目でみたいと熱望するようになる…と

「坂の上の雲」みたいな話であります。


それで、ペテルブルグを出発してモスクワ→オルレンブルグ→イルギス
→カザリンスク→トルキスタン→チムケントときて

現在のウズベキスタンの首都である、タシケントに到着。

街についてかなり詳細な記録が残されているのですが、

ダンスについても、ありました!!!



>このトルキスタン地方には、見るべきものとしてバチャ(batcha)という少年の舞踏がある。

(中略)

>舞台の一隅に楽師が5,6人から7,8人。多いときには10数人

(中略)

>こういった(踊り手)の少年たちは大体少ないときで7,8人。
>多いときは14、5人から20人以上にも及び、

>年齢は12、3歳から16、7歳くらいの美少年で
>女装をしたり、男装をしたりさまざまで、みな華麗な絹の衣装を身にまとい、
>お互いに美を競っている。

>学期には半面の鼓(ソルマンタ)、胡弓、携琴(チダラ)、八孔の木管(スルナイ)、
>太鼓(ジル)などで、その音曲は鼓が主で、恋を主題としたものが多い。

(中略)

>この踊りというのが、各々手を上げ、指を弾き、あるいは両手で物を拍ちならしたり、

>くるくると激しく踊り狂うので、目がまわるようだが、
>一方、見物客のほうでも手拍子をうってこれに調子をとり、喝采が続く。


ですって!!!

これには補足があり、

バチャというのは「酒姫」のこと、姫といっても女性ではなくて、

イスラム社会で女性は公の場に出られないので、

美少年がホステス役をつとめたそうで(@@)…



手を上げるとか、くるくる回るみたいなのは、まさにウズベク舞踊なのですが、

この当時は、某アイドル事務所みたいな編成だったんですかねえ。。

タイムスリップして見てみたい。。。


動画はタシケント今昔





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