ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

初陣

2005-10-12 06:59:45 | テニス
本日火曜日、授業が12時に終わり、そのままオリンピックスタジアムへ直行。
今日はテニス海外初観戦。
会場に着くと、げ!20人以上の列が。
チケット売り場が窓口一つしか空いておらず、どんどん混んでゆきます。
待つこと20分、本日分と木~日の4日分、〆てお値段1720ルーブル(7000円弱)。
最後の二日間で1200ルーブルなので、それ以外の安いこと!

会場に入ると自分の席を探すのも一苦労。ロシアではサービスを当てにしてはいけない。
やっとのことで席を探し当てると、この日のセンターコート第2試合は終盤。
ロシアのガバシヴィリが、ギレス・ミュラーを追い詰めているところでした。
(結果は6-3、6-1の圧勝)

センターコート、次の試合はディナラ・サフィーナvsシルビア・ファリナ・エリア
Farina Elia(ITA)1 5
 Safina  (RUS)6 7

1stセットはサフィーナのストロークがファリナ・エリアを完封。
2ndセットもダブルブレイクアップで4-1とし、このまま圧勝かと思われた。
しかしここからの粘りがファリナ・エリアの真骨頂。
第6ゲームでものすごいストローク戦が展開され、5~6度のデュースの末、
ファリナ・エリアがブレイクバック。
サフィーナはスーパーショットの後のWフォルトなどで乗り切れなかった。
そしてそのままファリナ・エリアが4ゲーム連取。
第7ゲーム終了後にはサフィーナがメディカルタイムアウトをとるも流れを押し戻せず、
結果4-5でファリナ・エリアに1ゲームリードを許すことに。
第9ゲーム終了時には、イライラでラケットを叩きつけて折るなど、
随所に兄譲りの激しい気性も垣間見せてくれた。
ただ、これで気持ちが治まったのかどうかは知らないが、次のゲームをキープすると、
続く相手のサービスゲームでは15-40とし、ダブルのブレイクポイントを手に。
一度デュースに追いつかれるも、執念のブレイクで大きな声が出た。
ラストゲームはストロークのパワーで押し切り、結果ストレートセット。
しかし2ndセットはとても見ごたえのあるものだった。
会場にもサフィーナのファンが多くいて、さすがロシアを2年連続フェド杯優勝に導いた
立役者の1人だと思った。

センターコート第4試合はクズネツォーワvsガグリアルディ。
序盤からパワーショットで相手コートにウィナーを突き刺し、クズネツォーワが貫禄の立ち上がり。
(結果6-0、6-4)
実は途中、寮の日本人からお誘いがあり抜けてしまいました。残念。
この後、アンドレーエフ&ダビデンコvsロドラ&サントロのダブルスもあったのだが。

会場内では露天?が出ており、飲食物のほかに、テニスの大会らしくラケットやウェアも販売してました。
その中で目を引かれたのは、テニスグッズ販売。
テニスの参考書や、レッスンビデオ、さらに02年のロシアのデ杯初優勝のビデオが!
残念ながらDVDは無いようだが、お値段800円はとってもお得。
次行ったときに買ってしまおうと思います。
他にマラトTシャツやシャラポワカレンダー、ロシアのテニス雑誌のバックナンバーなどが豊富にある。
写真のマラト表紙の雑誌は、昨年のマドリッド&パリ勝利後と今年の全豪特集号。
各15、20ルーブル(60円、80円)とべらぼーな安さ。
お土産にもう何冊か買おうかしら。欲しい方居ればコメント下さい。
(マラトファンの皆様、いかがでしょうか?全部ロシア語ですが)
他にもイベントブースなどもありそうなので、次回木曜はもう少し探検してみようと思います。

尚、その後友人からお誘いのあったロシア人との会合は、7時くらいから10時半まで続きました。
とても日本のことをよく知っている人たち3人で、空手家も1人。
モスクワの綺麗な夜景の場所を案内してもらい、さらに公園でビール片手に語り合い、
もちろん片言のロシア語と日本語と英語混ぜながら。
次の機会もあると思うので、詳しくはその時に。

前途遼遠

2005-10-11 05:32:08 | テニス
本日(月曜)テレビでチラ見したクレムリンカップの感想と、明日の観戦の心構えをば。

女子1回戦、ドゥシェビーナvsリホベツェワの若手vsベテラン同国対決。
Douchevina(RUS)6 2 5
Likhovtseva(RUS)3 6 7

1stセットを勢いで物にしたドゥシェビーナだが、
2ndセット、リホベツェワの粘りのテニスにイライラし始める。
時にラケットを放り投げる若手に対し、リホベツェワはベテランらしく淡々と、
しかし確実にポイントを奪っていく。しつこいテニス健在だ。
1-1のタイとなり迎えた3rdセット、5-5まで互角の戦い。
第11ゲーム、ドゥシェビーナのサービスで2つのブレイクポイントを手に入れたリホベツェワだが、
ここはプレッシャーからか、2つとも逃してしまう。
ドゥシェビーナも土壇場で粘り強くポイントを返す。
しかしこのゲーム4つ目(だったかな?)のブレイクチャンスをコンバートしたリホベツェワは、
続く第12ゲームを危なげなくキープし、若手に引導を渡した。

同じく女子1回戦、シュニーダーvsチャクベターゼ
Chakvetadze(RUS)6 2 5
  Schnyder (SUI)2 6 7

シュニーダーは気性が荒く、攻めっ気が強いので結構好きな選手。
チャクベターゼのプレーは初観戦。
ところが、観戦初めて数分で撃沈。しっかり寝てしまいました・・・orz
それにしても上の試合とそっくりのスコアだな。

男子1回戦、ロシア期待の若手アンドレーエフvsドイツのコールシュライバー
Kohlschreiber(GER)4 2
   Andreev (RUS)6 6

アンドレーエフ圧勝でした。
1stセットは第5ゲームから見たが、この時点で既に1ブレイクアップ。
しかも1stサーブ%が70%vs34%とコールシュライバーがサーブに苦しむのに対し
アンドレーエフは2ndサーブポイント率でも100%(だったと思う)と圧倒。
順調に試合を進めて1stセットをキープ。
2ndセットは第5ゲームでブレイクアップ。
直後の第6ゲームで0-40のピンチを迎えるが、そこから5ポイントが圧巻。
サービスとストロークのまさにパワーでポイントをもぎ取り逆転キープ。
その後ダブルブレイクアップとし、第8ゲームのServing for Matchでは
ラスト3ポイントの全てがエースを含むサービスポイント。
先々週の優勝の勢いそのままに、地元大会に乗り込んできた感じだ。
スタッツはこちら(2ndサーブのポイント率が段違いですな)

余談だが、マックス・ミルニーvsエフゲニー・キリーロフ戦の最中に、
やたらとアナウンサーがマラト・サフィンの名を話してたが、詳細分からず。

明日は現地観戦です。たぶん会場入りは1時半くらいになりそう。
Schedule of playによると、カラタンチェワやモリックの1回戦は見られなそう。
面白そうなのは男子ダブルス。ロドラ&サントロvsアンドレーエフ&ダビデンコ。
これ、かなりすごくない?
気になるのは3日目にしてミスキナvsマレーバの1回戦が予定に入ってない。
パチェムー?(なぜ?)

『(テニスの)神々の黄昏~ラグナロック~』

2005-10-10 23:11:58 | テニス
今日から、待ちに待ったクレムリンカップが始まった。
テレビでも1日3回の放送があり、ロシア選手を中心に生放送する。

男子は、残念ながらサフィンが欠場となってしまったが、
ダビデンコ、ユーズニー、先日イタリアで優勝したアンドレーエフといった
地元選手がかなり期待できるので、盛り上がることだろう。
トゥルスノフのバックハンドを見て、サフィンを思い出すのも良い。
女子はすごい。
出場選手はロシアが中心、というかモレスモー以外ほとんどロシア!?って感じだ。
しかしそれでいて現WTA上位ランカーの半分は出場すると言っていいほど
豪華な顔ぶれが集まっている。
シャラポワ(1)、デメンティエワ(8)、ミスキナ(12)、クズネツォーワ(15)、
リホベツェワ(16)、サフィーナ(24)、ズボナレワ(25)、キリレンコ(26)、
チャクベターゼ(35)、ドゥシェビーナ(37)、リネツカヤ(55)。
↑()内は現WTAランク
他にはモリック、シュニーダー、カラタンチェワが要注目。
イヴァノビッチは欠場のようで残念。
でも、何よりもキリレンコのWCでの出場決定が嬉しい。
2年前のAIGオープン・ヨネックスイベントで見たときからのファンでござります。
これだけ女子のメンバーが豪華に開かれるクレムリンカップは、
神々の、というよりは、まさしく女神達の黄昏だ。
一国でこれほどビッグネームが集まる国は他にアメリカくらいしかない。
グランドスラム覇者が3人も!だよ。さすが2年連続世界一の国。

今日は授業が午後だったので、家で宿題。あらかた終わってテレビ見てます。
宿題はこの後水曜日の分までやっておいて、午前中で授業が終わる明日は
思う存分に生観戦楽しんでこようと思います。
今週はトータルで火曜・木曜・金曜の午後と土・日の全日、計5日間行く予定。
是非とも、熱い試合が続くことを祈ってる。

訪問者

2005-10-08 21:48:34 | モスクワ留学記
金曜日、毎週の例に漏れず飲み会をした。
9月4日にモスクワに来て以来、9日、16日、23日と、
毎週金曜日には同期で必ず飲み会を開いてきた、俺の部屋でな!

次の日、起きると床には大量のお菓子が散らばっているのもまた、毎週のことだ。
別に先週の9月30日はそれが理由で飲み会をしなかった訳ではない。
飲み会はとても楽しいから、部屋が汚れようと自由に騒げる俺の部屋が一番都合が良いのだ。
今週は一部女性陣から、飲み会をしないと一週間の区切りが締まらない、
との良く分からない理由で開催決定。
4月から来ている先輩留学生も交えて、大々的に催すことにした。
さすがに自分の部屋では狭いので、寮にある日本人留学生用の公共の部屋にした。
終了は午前4時。久しぶりにかなり酔った。
そのせいか、風呂に入らずそのまま夢の中へ・・・

翌日土曜日。
朝8時、ドアを激しく叩く音。同期のA嬢とY嬢だ。
実はこんな早朝から約束があった。
前日、切れてしまった部屋の電球を取り替えてもらう際に、
Y嬢がその取り替えのおじさんと親しくなり、おじさんの家に訪問することに。
18歳の娘が居るという言葉に踊らされて、俺も行くことに。(←軽いな、オイ!)
2日酔いの頭を抱えながら地下鉄に揺られること1時間。
ショッセ・エントゥージアストフ駅に行き着いた。
(こんな機会がなければ、たぶん2度と来る事はないだろう場所だ)

おじさんの家はアパートの5階(たぶん)。中は意外と広い。
おじさんの部屋には豪華オーディオが。スピーカーが10個あった。
娘の部屋、奥さんの部屋、リビング(高そうな書棚とドイツ製テレビ、韓国製DVD)
他にキッチン、風呂&洗面所、トイレ。
結構住み心地の良さそうな、いい家だった。金持ちなのかな?
おじさんは年齢不詳、昔2年間軍でドイツに行ってたことがあるらしいが。

台所からマスカット、メロン、すいか、自家製ピクルス、ウォッカを出してきて、
おじさんの独演会が始まった。
CDやレコード、カセットを使って好きな音楽を披露。
軍時代のナイフを出してきてナイフの扱いを披露。
戦車の図鑑を披露。
ロシア語なので所々停まって、辞書を出して単語を確認。
酔いの回った頭には結構骨が折れる作業だ。
果物やピクルスはうまく、ウォッカもとても飲み易い上物だった。
でもスタカーン(ウォッカ用の小さなコップ)に5杯は結構クるものがある。
(ロシアでは乾杯をしたらウォッカは一気に飲み干します。俺も当然そうしました)
10時前から訪問して、さすがに1時を回るとしんどくなってきたので、
2人と相談して「もう帰ろう」ということに。
こちらもお土産を渡してたのだが、おじさんもお土産に、と
ロシアのグループのCDをくれた。
おじさんは名残惜しいというか、もっといてくれよ、という感じで寂しそうだった。
女性陣2人は帰る気満々だったが、自分の性格としては、
相手が気分よく話しているのを途中で遮りさようなら、というのはかなり気が引けた。
次に会う約束を火曜日にしたかったが、授業時間と合わずに流れてしまった。
最後、固く握手をして別れを告げる。

帰り、ムー・ムーで昼飯を食った後にすごく酔いが回ってきて、帰ってから寝た。
おじさんは俺たちのことをどう思っただろうか。
もしかしたらもっと長く居てもらうつもりだったかもしれない。
大体朝8時に寮に迎えに来るということは、朝6時に起きて来たということだし。
俺がおじさんの立場だったら、やはり寂しいと思うだろう。悲しいと思うかも。
酔っているときは自分のことしか考えられなかったが、今考えるとかなり後悔を感じる。

異文化の交流は時に擦れ違いを起こす。
過去にも、たくさんの受けた感謝に対して、何も報いていないことが多々ある。
今後9ヶ月間ロシアで生活していくうえで、注意すべき点だろう。
もう一度おじさんと会い、2度目の訪問があるのなら、
次はもっとロシア語で会話できるようにし、心ゆくまでお邪魔しよう。
娘目当てではなく。
↑結局、娘はチラリと見ただけでどこかへ出掛けてしまってましたorz

帰還

2005-10-07 20:24:41 | テニス
木曜夜、テレビを見ていたらロシア国営テレビPTPのスポーツ番組
(Вести-спорт=ベスチースポルト)で、いきなりサフィンが出てきた。
スーパーにカザン(ロシア連邦タタルスタン共和国の首都)と書いてあったので、
どうやら故郷を訪問したらしいですな。
共和国の偉い方々と握手なりしてました。
街中に移ると小さな子達が何人か、ラケットを抱えてサイン待ちをしていたり、
1人選ばれた小さな女の子が自分の身長ほどもある大きな花束を渡したり。
屋外のコートや室内コートなどを見て周りながら何かインタビューに応えていたが、
何を言ってるかさっぱり分かりませんでした・・・orz
でもとても機嫌よく質問に応えていて、ひざの経過はいいのかな?

同テレビのサイトでは記事は見つけられなかったんですが、
ロシア語のファンサイトに記事がありましたのでリンクしときます。
短かったら訳して載せようと思いましたが、長かったので止めました。すいません。

Приезд Марата Сафина в Казань дает начало широкому развитию
и пропаганде тенниса в нашей республике, считает Минтимер Шаймиев

故郷カザンに到着したマラト・サフィンは、わが国のテニスの発展と宣伝に大いなる貢献をした、と同国のシャイミエフ大統領は語る。
(とりあえず頭の見出しだけ)

細い一本の糸

2005-10-06 22:54:27 | モスクワ留学記
木曜は授業が午前中で終了。
なので午後に、4月から来てる先輩留学生に誘われて、
ロシア人の(東洋なんちゃら大学?)日本語専攻クラスの授業にお邪魔してきた。
3年生のクラスでロシア人は10人(こちらは9人)。ほぼマンツー。
日本人の人が先生をやっていた。
自己紹介でびっくりしたのは、無茶苦茶日本語上手い。
3年生ってことは、2年半日本語やってたってことだよね?
何でそんなことまで知ってんの?ってくらい知ってた。
半分くらいは日本に行った事ある子達で、結構良い印象を持ってくれていた。

こちらの自己紹介では、当然日本語。
でも外国人と話すときに、友達と話すような口調の日本語は通じないと思うと、
一語一語丁寧に、って意識が強くて余計にシドロモドロしてしまう。
言葉がスラスラ出てこない。ゆっくり話すって難しいね。
「ロシアの歴史、クラシック音楽、政治、そしてスポーツに興味があります。テニスが大好きで、マラト・サフィンの大ファンです」
って言ったら拍手が起こった。パチェムー?(なぜ?)

そのあとしばらく質問タイムが続いた後、2対2でお話タイム。
相手はエレーナとクセーニャ。
「サフィン」で沸いたから皆結構テニス好きかな、と思いきやそうでもなかった。
あれ?
さすが世界でも有数のシャイな民族、日本vsロシア。
微妙な緊張感の中で話が進んでいきます。
日本に行った事あって興味もあるらしいが、イマイチ突っ込んだ会話が出来ない。
まだ初対面の距離感がとれないまま、お話タイムは終わってしまった。

最後に、お互いの連絡先を全員でまとめて交換して終了。
まとめての交換なので、気軽に電話しづらい。
1人、ユリアンというとても気さくな男の子(19歳?)がいて、
今度クラブに飲みに行こうぜ、見たいなことを言っていた。
頼みは彼だけ。連絡来るといいのだが。
次に機会があったら、是非また行きたいですな。

ラケットに生き・・・

2005-10-05 23:48:23 | モスクワ留学記
日本からラケットが届きました。
(下がリキッドメタル・プレステージMP、上はTiカーボン1300)

月曜にテレグラムという名のお知らせを受け取ってみたら、
日本から郵便物が届いたというお知らせが。
実家からテニスラケットを送ってもらったのでした。
しかし寮まで届けてくれるのかと思いきや・・・

モスクワ中心部から南へ伸びるバルシャフスカヤ街道、
そこにあるEMS預かり所まで、荷物を受け取りに行かねばならないとの事。
何て面倒くさいことさせるんだ!
結局、水曜に授業が終わってすぐ、地下鉄を乗り継いで取りに行きました。

駅から迷うこと20分、ようやくついた場所は日本の郵便局並みに整然としてるロシア式郵便局(?)。
厳密には郵便局じゃありませんが。
まず受け取りの書類を書かねばならないということで、別室へ。
待つこと30分、ようやく順番が来ました。
待ってる間のほとんどは、係員がいなくて作業が滞っていただけの時間。
窓口に行って「テレグラムを受け取ったんですけど・・・」と紙を見せると、
すげぇ面倒くさそうに書類を渡してきた。
「全て書け」
げ!みんなロシア語で書いたるし。
「ココは何を書クノデスカ?」と恐る恐る聞いてみる。
案の定不機嫌な顔で、住所だ、パスポートナンバーだ、と言ってくる。
他の項目は聞いても全く分からないので持っていた辞書で調べてみると、
・輸入品の使用目的→テニスをするだけデス。
・私は~を必ずしないと約束します→?(空欄)
・他、訳の分からない単語の羅列で3項目→?(当然空欄)
とりあえずこれでイイデスカ?と出してみたら、OKだった。
4項目も空欄だったのに。

次に受け取りのため荷物受取所へ。
順番待ちをどこですればいいか分からず、聞いても「あっちだ」としか教えてくれない。
“あっち”には窓口が6つくらいあって、そのどれか知りたいんですけど!
迷っていたら、窓口に居たおばちゃんが、
私がやったげるとばかりに空いている窓口に誘導してくれた。
でもそこでも書類に何か書けと。そして言われたことが分からないと。
必死で書く項目を指差ししながら、必要事項を書きました。
その間に順番を待ってた後ろのお姉さんがやってきて、手続き始めちゃいました。
あなたを待ってたら日が暮れるわ、とばかりに。
書類を書き終わったらサインをして何とか終了。
倉庫から出てきた荷物とようやくご対面です。この間1時間30分。
倉庫から荷物を運んできたお姉さんが、とてもエロかったのが唯一の楽しみでした。

この1ヶ月(もう1ヶ月も経ったんだ…)、店員の対応や待ちの様子やらを見て、
ロシアは変わったなぁと感慨にふけってたわけですが、
この日は懐かしのロシアに出会った感じでした。
Это Россия(これがロシアだ)
そんな言葉を胸に、ラケットを抱えて帰りました。疲れた・・・

さぁ、絶対ロシア人とテニスやるぞー!

失われたもの

2005-10-03 23:05:43 | テニス
Кубок Кремля пройдет без Сафина

Известный российский теннисист Марат Сафин, пребывающий сейчас на 8-й строчке рейтинга Ассоциации теннисистов-профессионалов, продолжит нынешний сезон на турнире в Санкт-Петербурге. Как сообщает официальный сайт теннисиста, до этого турнира, стартующего 24 октября, Сафин принял решение не выступать. Таким образом, россиянин не сможет принять участие в «Кубке Кремля». После Санкт-Петербурга он планирует сыграть на крупных турнирах в Париже и Шанхае, чтобы подготовиться к следующему сезону. С какого турнира Сафин начнет сезон 2006 года, пока неизвестно, но это не будет показательный матч. Стоит добавить, что процесс восстановления теннисиста после травмы колена проходит успешно.

ロシア国営テレビPTPスポルトのサイトに、ショッキングなニュースを見つけてしまった。
見出しは『クレムリンカップはサフィン不在(での開催)』
以下要約
「現在ATPランク8位のロシアのマラト・サフィンは、サンクトペテルブルクOPまで復帰しない。彼の公式サイトによると、10月24日から開催される同オープンまでの休養の決定を、サフィンは選択した。サンクトペテルブルクOPの後は、来シーズンの準備のためにも、大きな大会であるパリか上海をプレーすることになる。これらと共にサフィンは06年シーズンの準備をすることになるが、当面は不明であり、試合数も充分とはいえない。無論、これは彼の膝の痛みが順調に回復すればのことである」
以上、。PTPスポルト公式サイトより(写真も)

最後の一文が不安を誘うね。
せっかく発表された、クレムリンカップの出場選手。
ここにはサフィンの名前はあったのだが。
残念ながら男子には、授業サボってでも見たい!って選手は居なくなってしまった。
女子はロシアの上位4名に加え、モレスモー、モリック(!)、イヴァノビッチと、
素晴らしいメンバーが揃った。キリレンコが居ないのが唯一残念だけど。
※クレムリンカップの公式サイトはこちら

もしサンクトペテルブルクOPでサフィンが出ても、さすがに平日は無理だしなぁ。
土日のSF、Finalまで進んでくれたら無理して行っちまおうかいな。
ロシア国民も、その他の国のファンも、復帰を願ってやみません。
サフィン、ゆっくり休んで、しっかり直してね

過去と現在と未来と

2005-10-02 23:53:56 | モスクワ留学記
今日(日曜日)は3度目の正直。トレチャコフ美術館へ行った。
集合時間の1時に遅れて、一緒に行く同期の3人にちと迷惑をかけた。すまぬ。

メトロ、ポリャンカ駅を出てすぐ、公園掃除のおっちゃん、おばちゃんらに声をかけられる。
どこから来た?中国か?(いや、日本だ)旅行か?(いや、留学だ)
日本には人口がどれだけいるのか?(1億2千万。>ロシアと変わらんじゃないか!)
ピョートルの銅像見たか?とか、とにかく色々聞かれ、そして色々話された。
言ってることの半分、いや1/4も分からんかった。
でも、とても良い人たちで、留学の成功を祈ってくれた。(と、思う)
ロシア人は、仕事をしてない時はなんと陽気で人懐こいことか、と時々感じる。

美術館は、外見はそんなに大きくなかったが、中はさすがに立派。
特にトイレが綺麗なのがびっくりだった。(日本並み)
入館料は学生で100ルーブル。料金表示にはなかったのでよくわからんが。
そして入館。順路に沿って見学。

この日来たトレチャコフ旧館は、主にロシアの中世~近代までの美術を展示。
新館は現代アートを展示しており、今はアンディ・ウォーホル展をやってるらしい。
さすがに西洋絵画のエルミタージュと並びロシア絵画の粋を集めた美術館。
アイバゾフスキー、シューシキン、レヴィタンなど。
不勉強で画家の名前しか聞いたことなかったが。
その中で、歴史の資料集で見た覚えのある作品がいくつかあり、
最も感動した作品はレーピンの「イヴァン雷帝と息子」(写真)。
最愛の息子イヴァンをカッとなった拍子に殴り殺してしまい、
茫然自失にくれる雷帝の老いた目がとても印象深い。
何より、息子が父の腕に力なく掛けた右手が、この場の救いようの無さを表しているようで何とも言えない。
他にも見るべきものはたくさんあるが、この絵で全てが満ち足りた。
来て良かった。

夜、アルバート通りのムー・ムーで夕食。
その後夜の赤の広場に行き、ライトアップされた素晴らしいクレムリンの夜景を楽しんだ。
同行の隣人H君は、もっと綺麗にライトアップされた姿を想像したらしい。
俺もそっちを想像してたが(昔何度も見た筈なのに忘れてました)
光を抑えたこの感じも、闇に浮かぶ城壁の様子が威厳があって良いと感じた。
そして大統領官邸に翻るロシア国旗!今そこに大統領が居る証拠だ。
かつて世界の陣営の半分を牛耳り、今もヨーロッパや中央アジアに広く影響力を持つ国家の、
強烈な個性がすぐそこに!
昼に見たイヴァン“雷帝”、大学で卒業論文に取り組んだピョートル“大帝”、
新生ロシアを未来へと導くプーチン大統領を、歴史はどう称するのだろうか?

平和へ、流血経由

2005-10-01 23:18:39 | モスクワ留学記
今日(土曜日)は昨日のリベンジ。再度トヴェルスカヤ通りへ。

昼1時に寮を出て、2時頃、トヴェルスカヤ通りに到着。
昼飯はプーシキン広場北にある「ヨールキ・パールキ」へ。
ヨールキ・パールキはモスクワでもなかなか大きなチェーン店だが、
ここの店は寮の近く(メトロ、プロスペクト・ベルナーツコボ駅前)とはちと違う。
お椀に肉(6種)、野菜(15~20種)、調味料(10種ほど)を好きに取り、
それを鉄板でジュージューと焼いてくれるのだ。これが200ルーブル(約800円)。
5年前は、他にいくつか注文しても安かった。
その勢いでこの日もドライカレーと飲み物を頼んだら、計345ルーブル。
高ぇーよ!
外でパンなり飲み物なり買って入り、中では鉄板焼きだけ注文するのが無難だね。

その後お目当ての革命博物館へ。
序盤は革命ではなく、近代の展示から。
対ナポレオンの祖国戦争、バルチク艦隊200周年や日露戦争もの。
日本の甲冑や明治天皇の肖像もあった。
いよいよ革命の展示、1905年の第1次ロシア革命から第一次世界大戦、
そして17年の10月革命から第2次世界大戦までは魅力的な展示がずらり。
でも思ったよりレーニン関係の展示が少なかった。
スターリンの絵や像は結構あった気がする。
たくさんあるのは当時の情勢を伝える新聞。
国民に決起を促す呼びかけの言葉が書いてある。
将軍列伝や勲章は、当時の英雄を忍ばせてとても格好良く陳列されている。
ナチス関係の新聞や資料(共にドイツ語)もあった。
面白かったのはお札で、昔のすごい陳腐な印刷のルーブル札が展示されていた。
CCCP・1923年の15,000ルーブル札が印刷も綺麗でデザインも良かった。
またWWⅠ以前のものだと思うが、兵士達の大きな集合写真が壁にあり、
数歩下がって見てみるとロマノフ王朝の双頭の鷲の紋章が浮かび上がる写真は格好良い。

あとは現代、アメリカとの冷戦、宇宙開発競争の栄光、各書記長達の資料と共に、
エリツィンやプーチン現大統領まで。
ここで一番すごい展示を見た。(←あくまで主観です)
無数の弾痕が残り、今にも崩れ落ちそうな窓ガラスが。
隣にロシアのホワイトハウス(ロシア連邦内閣ビル)の写真があったので、
恐らく、93年のエリツィンのホワイトハウス砲撃事件の際のもの。
ソ連崩壊後の混乱で政治も経済も麻痺、オリガルヒが富を貪る国家となったロシア。
後を受け継いだプーチンは、良くも悪くもツァーリのような強力な指導力を発揮して、
ロシア社会と経済をここまで立て直した。
モスクワの物価は上昇に歯止めがかからない。
しかしこれは過去にあったような通貨の乱発によるインフレではなく、
経済成長によるもの。同じことが過去のアメリカや日本で繰り返されていた。
大統領が幽閉されたり(ゴルバチョフ)、連邦を離れようとする国を軍や秘密警察が取り締まり、市民に犠牲が出たり(バルト三国)、議会が立てこもるビルを大統領自ら指揮を執り砲撃した(エリツィン)国家が、ここまで外国人に住み安くなった。
NHK「ドキュメント・ロシア」を思い出しながら、ふと感慨に浸った。

3時間くらいは見学しただろうか、しかしロシア語読めないときつい。
もっと知りたいことはたくさんあった。
もっと語学が上達したときに、再び訪れることを誓う。
最後に土産物屋を物色するが、魅力的なCCCP商品は高いので諦めて帰る。