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読書 西郷菊次郎、母・愛加那、妹・菊草

2009年02月18日 | 本と雑誌

090218book1 写真は拡大します。

この記事は、べんきょうのための書きかけです。

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西郷菊次郎と台湾 父西郷隆盛の「敬天愛人」を活かした生涯 (単行本)

西郷菊次郎 略年譜

西郷 菊次郎google(さいごう きくじろう1861年2月11日(万延2年1月2日 - 1928年(昭和3年)<wbr></wbr>11月27日) は、

文久元年 万延2年(1861) 西郷隆盛と愛加那の長子として奄美大島 龍郷(たつごう 地図)で生まれる。

西郷は35歳 愛加那25

西郷隆盛、藩主の島津斉彬(なりあきらgoogle)の急死で失脚し、奄美大島に流される。

安政六年 1859 から文久二年 1862(3年2ヶ月)龍郷潜居

半年後西郷再び遠島 徳之島に到着

3日後 愛加那 菊草(のち菊子)を産む
愛加那 徳之島の西郷を訪ねる
西郷沖ノ永良部島での遠島生活に入る

元治元年 1864 赦免 鹿児島に戻る

このとき、愛加那28歳 菊次郎4歳 菊草3歳
以来、愛加那は遂に西郷と再会することはなかった。

慶応元年(1865) 隆盛、糸子(鹿児島藩士岩山八郎太の次女)と結婚

明治2年 (1869) 鹿児島西郷本家に引き取られる。

菊草(菊子)は明治9年(1876)に同じく西郷本家に引き取られる。14歳

菊草は大山巌(いわお)googleの弟誠之助と結婚。経済的にめぐまれず苦労は絶えなかった。
子供4人 
明治38(1905)年 子供二人とともに京都の菊次郎のもとへ移り住む
菊草は龍郷で離れ離れになった母愛加那と、再び会うことはかなわなかった。

明治5年 (1872) 13歳で アメリカ留学
明治7年 (1874) 帰国
明治10年 (1877) 17歳で 西南戦争googleに従軍し、右足膝下から切断の重傷を負う

東京では父隆盛の3弟で明治政府の重鎮 西郷従道(つぐみち)googleの世話になる。

明治13年 (1880)11年ぶり、龍郷で母と再会 なつかしい故郷の山々を見渡す。
明治18年 (1885)外務省書記生 アメリカ公使館勤務
明治20年 (1887)アメリカ留学 右足治療のため帰国
明治26年(1893)久子と結婚 十人の子宝に恵まれる
明治28年 (1895)台湾総督府参事官心得

日清戦争googleで日本が台湾を得たのは明治28年(1895)

明治28年 鹿児島から台湾への途次 名瀬で母と15年ぶり再会(当時の島司は笹森儀助google(のち青森市長)
明治29年 (1896)台北県支庁長
明治30年(1897)台湾 宜蘭(ぎらん)庁長に就任google(県知事に相当 4年半)
明治35年(1902)母 愛加那死去 1837年生 (65) 台湾で龍郷からの電報をうける)
明治37年(1904)京都市長に就任 1911年辞職

明治42年 (1908) 妹 菊子死去 1862生(46)
明治45年(1911~1920)島津家鉱業館長
昭和3年(1928)11/27 鹿児島で没 68歳


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5 コメント

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西郷菊子の足跡について、詳しく知りたいと調べて... (広瀬勝郎)
2012-02-19 19:10:16
西郷菊子の足跡について、詳しく知りたいと調べております。
資料が御座いましたら、紹介を御願いできませんでしょう。
返信する
広瀬勝郎 さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2012-02-19 21:53:46
広瀬勝郎 さん、コメントありがとうございます。

>西郷菊子の足跡について、

お役に立てなくて申し訳ありません。

この本で初めて菊草の、やや詳しい足跡を知り感動したのを覚えています。

愛加那について書かれた本ですら、当時1冊くらいしかなかったと記憶しています。

奄美か鹿児島の郷土史研究の方でご存知の方がいらっしゃるかも知れない、ということくらいしか思いつきませんが、残念ながら連絡の取れる立場にはありません。

もし、この記事をお読みの方でご存知の方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけたらうれしいです。
返信する
龍郷の安木屋場の出身です。 (広瀬勝郎)
2012-03-16 16:16:01
龍郷の安木屋場の出身です。
10歳頃まで安木屋場で過ごしました。
京都市長時代の西郷菊次郎の活躍は琵琶湖疎水記念行事館で確認できました。偉大、地方行政官の先人です。
今、関心を持っていますのは、菊草さんの方です。京都で兄の元で息を引き取ったようですが、決して幸せな人生だったとは言い難かたいものです。菊草が鹿児島に引き取られたのは12歳頃です。明治9年です(恐らく夏頃でしょう?)。翌年、父の西郷は西南戦争で戦死、菊次郎は瀕死の重症を負い一命を取り留めますが、片足を失います。後は西郷の弟である西郷従道の比護のもと生きていきます。従道の一人息子が米留中に夭折したことで、菊次郎に対する愛情は一層、深まったように感じます。
個人的に関心を持っていますのは、自分と同じ年頃に島を離れた菊草という女性がたどった運命です。
小説の世界で、美しく描きたいものだと思います。
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ありがとう御座います。 (広瀬勝郎)
2012-03-17 01:54:51
ありがとう御座います。
奄美に帰る時には宿泊を依頼したく思います。
返信する
広瀬勝郎さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2012-03-19 10:02:36
広瀬勝郎さん、コメントありがとうございます。

奄美から見ても菊草という女性のたどった運命は、とても興味がありますが、なかなか光が当てられませんね。鹿児島に引き取られた時期(>明治9年です(恐らく夏頃でしょう?)など西郷の気持ちを考えると、複雑です。
愛かなの気持ちはどうだったのでしょうか?菊次郎は?そして地元の人は?
小説としては、いろいろなテーマが・・・ありそうですね。
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