英語で醤油のことは、soy sauce ソイ・ソース
原料の大豆は、soy bean
ブログを始めたころにも書いた記憶があるのですが、ツイッターでこの話題を見つけた。
最初のころフォローした人@kogure さんからだったので、→見たよ、と下のようにつぶやいた。
英語のソイ・ソースと薩摩 奄美との関係 その2
『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』 著者: 原口泉 PHP google ブック検索で読めるよ P156 →http://books.google.co.jp/
英語のソイ・ソースと薩摩 奄美との関係 その1 http://www.murocho.com/aji/shoyu/shoyu22.html
江戸時代、長崎出島からコンプラ...」を見たよ! → http://am6.jp/a41REt /by @kogure /via @feedtweet
意外と知られていないような気がする。奄美との関係。
soy の語源は、薩摩の方言で醤油のことをいう「そい」とも言われている。(奄美名瀬では「しょい」とか)
参考サイト
天保期(1830年から1843年)、薩摩藩の調所広郷が奄美や沖縄の砂糖専売などの強化、琉球を介した密貿易などで大胆な財政改革を成し遂げたということは奄美の歴史に興味のあるひとにはよく知られている。(奄美に興味がなくても、これを知らずして幕末、維新史、ひいては日本史に詳しいとはいえないだろう。)
浜崎太平次の名は一般にあまり知られてはいないようだ。
浜崎太平次(1814~1863)は、薩摩の御用商人として、これらの改革にかかわり、莫大な利益を上げ、それを薩摩藩に献納することで藩の改革を支えた。
おなじ鹿児島生まれで、川崎重工創業者として知られる川崎正蔵(かわさき・しょうぞう(1837年~1912年)は、この浜崎太平次のもとで修業を積んで、商才を認められている。
浜崎太平次は、幕末のころ、はやくもフランスに向け輸出したりしていたという醤油を醸造していたのが奄美大島であるという話である。(ナゼ奄美なのか、それにも砂糖に関するワケがあるのですが、今回は(略)。
その際に、「ソイ」という言葉もはじめて外国へ渡ったのではないか、といわれているのである。