奄美 海風blog

写真。植物や本 ネットで映画感想。相撲見てツイート
04年4月~14年11月ブログ人
トップへはタイトルをクリック

笠利町津代の戦跡へ

2004年12月23日 | 歴史 民俗
041223-tusiroここはマングローブパークではありません。笠利町手花部(てけぶ)の津代(つしろ)への入り口付近です。地図
津代は、1609年(慶長14年)に薩摩の琉球「征伐軍」が、最初に侵攻したという湊があるところです。奄美の史跡めぐりには欠かせないところなのですが、あまり知られているところではありません。旧暦3月4日山川港出港。総勢三千余、兵船百余艘(異説あり)。六日悪天候、隊伍乱れる。「七日之甲之刻程ニ」津代着、「次日八日打廻シ(戦闘)」。その後、3月15日焼内湾(宇検村)薩船三十五艘、そして徳之島、沖永良部、と向かう。3月25日薩軍主力部隊、沖縄北部の運天港着。
藩は奄美の、サトウキビ(黒糖)に後で大いに助けてもらったはずなのですが、わが愛すべき鹿児島県は、いまだにわが国でも指折りの・・・(う、またSyunnさんにオコラレマイかも)。
その後260年あまり続いた薩摩藩の統治は、期間を通じて一様だったわけではなく、島々によっても違いました。奄美が一様ではないことは、島伝い観光のお客さんからも教えてもらいます。奄美の魅力のひとつです。
砂糖の甘い汁は、「以後藩はない」と覚えた、あの廃藩置県(1871年明治4年)後も吸われ続け、黒糖悲歌はやみませんでした。その前後の顛末は、現在の奄美を考える際にもオモシロイところなのだ、そうです。キビの刈り取りは一部で始まっているところもあり、出荷作業は年が明けには本格化します。

笠利町 津代 で検索してみる。キャッシュをクリックすると検索した文字がハイライト表示されます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。