飯豊連邦ダイグラ尾根 2005.03 西俣の峰より
最近、飯豊連邦の山スキーはご無沙汰しているが、今度の春には実現したいと思っている。飯豊連邦は朝日連邦に比べアプローチにも恵まれ、3月~5月頃には多くの山スキーヤーが訪れている。3月頃でも1日で三国小屋に入れるという環境は山スキーヤーにとっては実にありがたい存在なのだろう。
このエリアは新潟、または会津山岳会を初めとするパーティーによって多くのコースが開拓され、尾根はもちろん沢筋も殆どトレースされ尽くしている感が有る。正月の厳冬期といえども全山スキー縦走がなされており、かなりハイレベルな記録が残されている。
しかし意外にも自分の身近にかなり貴重な記録を残した先輩方がいた。以前在籍していた仙台山岳会の先輩になのだが、今から36年位前の1970年頃、の3月、飯豊連邦横断の記録を残している。コースは水晶尾根を登って大日岳に登頂し、その後山からダイグラ尾根を下降したものだった。その間約3週間はオール雪洞、そしてスキーを使っての走破記録であった。
当時は東北大学山岳部が7回目の試みで冬の水晶尾根を始めて完登し、大日岳に登頂しているようだが、この記録はその直後に達成されたもので、冬の飯豊連邦の初横断記録だろうか?しかも下ったのはダイグラ尾根だからその価値はさらに高い。
その当時の社会人山岳会がどうしてこんな長期の山行が出来たか不思議だが、今となってもこれを実践できる人はそんなに居ないだろう。(元祖山屋フリーターだったらしい)当時のスキーは札幌秀岳荘の単板スキーだったようで、歩きの道具でありいざとなれば燃料となる代物だったらしい。
今では冬山登山の価値観、山行スタイルも大きく変わり、このような山行は過ぎた歴史の一コマという存在かもしれない。しかしその当時の熱い情熱と行動力は実に高く、とても今の我々にはマネの出来ないスケールの大きい山行だ。その後こういう先輩方が初期の社会人ヒマラヤ遠征隊を組織し、ネパールヒマラヤ未踏の高峰へアタックする原動力となっていった。
最近になってこの当時のSさんと再会するようになったが、この記録以外にもその後黒伏山南壁中央ルンゼの冬季初登攀、利尻山東稜厳冬期登頂などの記録を残している。今はまるで死語になった様な「パイオニアワ-ク」という言葉が光輝いていた時代だったのだろうと思う。今の我々から見ればある意味で幸せな時代のように思える。
最近、飯豊連邦の山スキーはご無沙汰しているが、今度の春には実現したいと思っている。飯豊連邦は朝日連邦に比べアプローチにも恵まれ、3月~5月頃には多くの山スキーヤーが訪れている。3月頃でも1日で三国小屋に入れるという環境は山スキーヤーにとっては実にありがたい存在なのだろう。
このエリアは新潟、または会津山岳会を初めとするパーティーによって多くのコースが開拓され、尾根はもちろん沢筋も殆どトレースされ尽くしている感が有る。正月の厳冬期といえども全山スキー縦走がなされており、かなりハイレベルな記録が残されている。
しかし意外にも自分の身近にかなり貴重な記録を残した先輩方がいた。以前在籍していた仙台山岳会の先輩になのだが、今から36年位前の1970年頃、の3月、飯豊連邦横断の記録を残している。コースは水晶尾根を登って大日岳に登頂し、その後山からダイグラ尾根を下降したものだった。その間約3週間はオール雪洞、そしてスキーを使っての走破記録であった。
当時は東北大学山岳部が7回目の試みで冬の水晶尾根を始めて完登し、大日岳に登頂しているようだが、この記録はその直後に達成されたもので、冬の飯豊連邦の初横断記録だろうか?しかも下ったのはダイグラ尾根だからその価値はさらに高い。
その当時の社会人山岳会がどうしてこんな長期の山行が出来たか不思議だが、今となってもこれを実践できる人はそんなに居ないだろう。(元祖山屋フリーターだったらしい)当時のスキーは札幌秀岳荘の単板スキーだったようで、歩きの道具でありいざとなれば燃料となる代物だったらしい。
今では冬山登山の価値観、山行スタイルも大きく変わり、このような山行は過ぎた歴史の一コマという存在かもしれない。しかしその当時の熱い情熱と行動力は実に高く、とても今の我々にはマネの出来ないスケールの大きい山行だ。その後こういう先輩方が初期の社会人ヒマラヤ遠征隊を組織し、ネパールヒマラヤ未踏の高峰へアタックする原動力となっていった。
最近になってこの当時のSさんと再会するようになったが、この記録以外にもその後黒伏山南壁中央ルンゼの冬季初登攀、利尻山東稜厳冬期登頂などの記録を残している。今はまるで死語になった様な「パイオニアワ-ク」という言葉が光輝いていた時代だったのだろうと思う。今の我々から見ればある意味で幸せな時代のように思える。
佐々木氏:新卒入社直前
赤塚氏:不明
氏名忘れ:遠洋漁業の漁師
秀山荘の短板板(秀残荘の焼印付き)に本物のアザラシシールをワックスで貼り付けさらに木ねじで固定。金具は現在のテレマークのワイアービンディングのワイアー部が革ベルト。金具の靴との接触部は現テレマークよりはるかに短い。自衛隊の金具はかなり良いなどという会話があった
当然靴はビブラムの登山靴。凍傷防止のため靴下2枚はいて手指2本入るくらいが良。ちなみに佐々木氏はこの道具でウエーデルンを鮮やかにこなす
見ると板がショックで真っ二つになって折れてしまい、結局は贅沢な薪になってしまった次第。しかし、こういうシロモノに厳冬期山行の運を預けるのも如何なものかと。
ちなみに自分も単板にフィットフェルトでかつて遊んだ古いタイプの人間。自衛隊のあの板で一度は走破してみたいと思っています。
全体的に幅広の板で、深雪での走破性能重視のようにも見えるが、果たして滑降性能はどんなものか?