19日の夜にグリーングラスロッツの皆様から激励会をして頂き、そのまま名古屋空港からエディハド航空の深夜便にて北京、空港で寝てから銀川、ウルムチ、アルマティ空港で寝てからようやくウズベキスタンに入った。やはり2日空港寝はきつい。タシケントについてようやく落ち着いた。今年の冬は早い。すでに雪が積もっている。秋の播種をするために入ったのだが、地面がすでに凍りついている。ウズベキスタンの西端、カラカルパクスタン州に入り、ここで林業局の方と会い苗畑を見させてもらい話し合いをした。ここでは内モンゴルと同じように窒素肥料を入れずにリン酸とカリ肥料を入れる(硫酸カリあたりを入れているのだろうか)ということは分かったのだが、撒き方が少し違う。25cm間隔、100kg/haで種子を撒いていた。内モンゴルでも専門家は(100kg/ha)を推奨しているが、もっと8倍から9倍の密植で撒いた方がいいのではないかと思うが、このあたりは検証してみないといけない。また苗畑には葦がびっしり生えていて困っているということだった。カラカルパクスタンは厳しい大陸性気候の土地で冬は−20℃、夏は50℃にまで気温が上がる。それだけ厳しい土地であるため、貧困層と呼ばれる生活困難家庭が10%前後いるそうだ。この貧困層の人達の生活を引き上げながら環境を改善するのが、ここでの目標。民族はカラカルパク族の他にカザフ族、ウズベク族の人達がいる。帰りがけ、車からホロホロ鳥の放鳥が見えた。ホロホロ鳥はアフリカ原産の鳥で寒い所では飼育できないと言われているが、丈夫で小屋の中であれば冬でも生きられるだろう。マスコビーも熱帯の鳥ということで、越冬は無理だという意見があったが、実際に飼ってみると冬季でも問題ない。熱帯の陸性の鳥は以外に適応力が広いのかもしれない。ホロホロ鳥、内モンゴルでも飼育してみようかな?
今日は先日のヌクス分校から戻り、タシケントにあるタシケント本校とのMOUを行なった。本校は1930年創立、現在は5185名の学生が在籍しており、約500名のアカデミックスタッフ、7つの学科、28の研究室があり立派な建物だった。また200haある3カ所の農場の中で一番近い農場等を見せて頂いた。
ウズベキスタンでの活動を手伝ってくれているマリカさん。彼女は日本とウズベキスタンの架け橋となる日本文化センターをタシケントに作りたいという夢を持っている。しかしながら資金難でまだ実現までは遠い。その時に彼女がよく言うセリフ「一歩ずつ」その言葉が彼女だけでなく、この国の方針を物語っている。イスラム・カリモフ大統領が2日、逝去された。街中の旗が黒いリボンのついた半旗になり、皆から慕われていた大統領の最後を見送るために葬儀の日の朝、路上には花を手に見送る人が溢れていた。カリモフ大統領の一番の業績は、この「一歩ずつ」だろう。周囲には不安定な国が多い中で、安定した国作りをするために、急がず抑制しながら着実に一歩ずつの発展をしてきた。そのために治安はどの国よりも良く、人々も急な発展に伴う「マネー・マネー」とは程遠く、おもてなしの心がたくさん残っている。それはこの国を訪れればすぐに分かるだろう。地下鉄などで外国人が目の前に立とうとすれば、さっとどけてゆずってくれる。また道などを聞けば、陽気に駅までついて来て案内してくれる。こうしたおもてなしの心に旅人は心を打たれる。その居心地良さは日本以上かもしれない。このウズベキスタンは親日家が多いと聞く。その訳は、実はマリカさんのような方が草の根で日本とは?日本人とは?といろいろな場所で伝えてくれているからだろう。だからこそ、日本文化センターなどが作れない状況は歯がゆい。ちょうど乗ったウズベキスタン航空の機内雑誌(2016年3号)にミステリアスジャパンという題名でマリカさんが記事を書いてくれていた。読むと日本のいい所しか書いていないではないか?また私が話した日本人の働くことについても書かれてあった。この雑誌を読んで日本が好きになる人はきっと多いだろう。彼女には草の根親善大使の称号を与えたい。そしてこのような形で日本を紹介してくれるウズベキスタンの親日家を大切にしなければいけないと思った。ウズベキスタン航空の機内雑誌が手に入ればぜひ読んでみて下さい。
今年から苗畑を造成する予定のタシケント農大(ヌクス)。ここの分校はタシケント農業大学のカラカルパクスタン州における農業大学の拠点として2003年に設立された。学生は1900人、先生は155人で、行った時はちょうど夏休みで閑散としていたが学長が対応してくれた。とてもアットホームなキャンパスだ。ここの一角で育苗を行なう。圃場は粘土質でカチカチに固い。水も少なく条件は万全ではないのだが、何とか最低10万本の苗木を作りたい。