『エリザベート』って、わがままじゃない?

2014-10-19 14:35:21 | Weblog
インターネットばかり見るのはやめて、目の前に物質としてあるものに回帰しようと思い、昨日、古本屋さんで漫画を買ってきた。

それで読んだのが、オーストリア最後の皇女を描いた『エリザベート』だったんですが、私の感想は矮小なもの。

“わがままな美人って、やだな~。”

というのがいちばんの感想。


ほら、最近、「美人」で自己主張の強い人たちとお付き合いがあるでしょ?

いままで出会ったことのある美人は親切でやさしい人ばかりだったのに。

なので「美人はわがまま」って世間で言われるのがまったくわからなくて“そんなことない!美人はやさしい!”と思ってたけど、最近いやというほど身に染みている。

結局、自分の見聞きした範囲のことしか人にはわからないんだ。


昨日、漫画の『エリザベート』を読んで、それからさっきネットで、その人のお祖母さんの皇后エリザベート(同じ名前)が伝説的な美貌の持ち主で、自身の美貌への執着もすごかった、って話を読んで、ぜんっぜん自分とは関係ない人たちなのに辟易してしまった。

周りの人の苦労を思うと(涙)。


皇女エリザベート(漫画の方)もわがままで、最初の結婚は、お家の権力を使って自分が好きになった人に別の人との婚約破棄させて結婚するんだけど、数年で不和になったりさ。

その頃のハプスブルグ家は、結婚の失敗つづきで、不幸つづきで、個人だけの問題ではもちろんないことに違いないんだけど。

もう時代が民主化に向かっていて、その大きな波の中で、発狂したり自殺したりしなかったエリザベートは善戦したということなのでしょう。

晩年はひとりのパートナーと支え合って、戦争を乗り越えられたとのことだし。

そのパートナーが貧しい農民出身の政治家で、数十年前まで伯爵家とだって身分が違うって言ってハプスブルグ家の人は結婚できなかったので、劇的なことだったらしい。

時代が変わる時は変わる。

で、話を読んでる庶民としては、この農民出身のパートナーがいちばん感じよく人として頼もしく感じました。

政治犯としてナチの収容所に収監されて過酷な労働を強いられ、周りでどんどん人が死んでいくんだけど、彼は生き延びるのね。

これまた本旨と関係ないけど、やっぱり私も運の強い人と結婚したいな~って思った。

エリザベートのえらい所は、家柄どうこうにこだわらなかったところでしょうね。

だから彼女も強く生き延びられたんだと思った。


前回のポストの「容姿や学歴や住んでる地域に人っていろいろ思うよね」って話のつづきで、人がいろいろ思う事柄のひとつに「家柄」っていうのもありますね。

これも例のひとまわり上のおねえさんなんだけど、飲み会でいきなり「祖母や母が、すぐ家柄の話をするから困る」という話を延々しはじめて引いたことがあったな。

「親が家柄にこだわる」って話をするのって、遠回しに(いや、けっこう直球か)「うちは家柄がいい」っていうアピールでもあるというか。

それを本人はわかっていて、わからないフリをしているから、周りも気づかないフリして聞いてるしかないというか。

私も、自分自身が「子供の頃、ピアノとバレエと英会話を習ってた」って話をする時、「あんま特徴ないですよね?面白くないですよね」ってオチにしてみるけど、一定数の人がそれを聞いてちょっとお嬢さんぽいと思うことを想定していて、どこかでちょっとお嬢さんぽいって思われたい気持ちもあって言ってるという自己認識はある。

思わない人は思わないしね。

どんなものでも、それを称賛する人と、称賛する人がいることをこころよく思わない人と、全般的にどうでもいいよ?という立場の人がいるわけ。

何にたいしてどういう立場を取るかっていうのは自分で決められる。

何にたいして心を割くかってことを。

で、最近の私は「容貌を鼻にかけて、自分が人より特別な人間」と思っている人を、心の中で、あるいはブログ上で批判するという立場を取っているわけです。

アホみたいけど、自分もまだまだその程度の人間ということです。

精神レベルの低い世界にもそれなりの面白さがあるわけでして。
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