
当社の北に拠点(宗我坐宗我都比古神社)を持つという蘇我氏よりもはるかに古くから古代王権に関わっていそうな斎部(忌部)氏ゆかりの神社ですが、今は、境内の雰囲気は良いものの、相当にこじんまりとした神社でした。斎部氏というと奈良時代以降勢いが衰えていったようですが、なんとなくその歴史が思い出されました。そんな古い斎部氏の神社がこの地に有るのには興味深い「玉」にちなむ経緯があるらしく、参拝をさせていただきました。
・二の鳥居前より
【ご祭神・ご由緒】
忌部(斎部)氏の祖神である天太玉命と、「古語拾遺」「先代旧事本紀」によるとその御子神だとする大宮売命、豊石間戸(窓)命、そして櫛石間戸(窓)命の四柱がご祭神です。近世の頃には春日神社と呼ばれていましたが、元禄十年(1697年)に松下林見が・・・・・
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【祭祀氏族】
元々は忌部表記ですが、「忌」の字が凶事を連想させるとして、803年に忌部宿禰浜成の申請により斎部に改められています。「新撰姓氏録」は右京神別に、゛斎部宿禰。高皇産霊尊子。天太玉命之後也゛と祖神を説明します。そして、この太玉命の孫が天富命(天富貴命と同じとされる)です。上記の通り中臣氏と宮廷内の神事に携わり、祭祀に必要な物資を貢納する忌部を統率した伴造氏族でした。部民である忌部は諸国に設定されていて、「古語拾遺」に幾つか記載されていますが、主ないくつかの国を挙げます。
- 阿波国忌部等祖:天日鷲命之孫・・・・・・
【神階・幣帛等】
壬申の乱で、忌部首子人は将軍大伴吹負に属して都を守り、その功により・・・・・・
【中世以降歴史】
中世以降の歴史は詳らかでありませんが、1441年の興福寺官務牒疏によれば・・・・・・
【伝承の語る忌部氏】
【当社と曽我玉作遺跡】
大和でそんな古い経歴を持つ忌部氏の本拠地として、なぜ当社の地が知られるようになったのか・・・・・・
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