週刊文春に野田聖子が言ったとされることが書いてあった。
それは先日来野田がテレビカメラの前で言っていることを思い出させるものであった。
自分は今週刊文春をもっているわけではないし、テレビも録画したわけではないので正確さに欠けるかもしれないが、わたしの記憶が正しければ週刊文春に載った発言は「小泉氏がやっていることは社長の言うことを聞かない社員は全員クビと言ってるのに等しい」ということであり、テレビで言ったことは「小泉政権を否定しているわけではなく小さな法案に反対しているだけなのにどうしてこんな目にあわなきゃならないのか」と言ったことであった。
どうも野田のこうした発言のたぐいは「自分は自民党にいじめられている」ということを最大限主張していることのように思えてならない。
実際そうかもしれないが、やはり郵政民営化に賛成かどうかということは決して小さなことではないし、会社と政党とは本質的に異なると思う。
はっきり言ってこういう発言をテレビの前でしたり週刊誌が書いて全く疑問も提示されないと言うのは、わたしにはどうも野田聖子がメディアをジャックしているように思えてならない。
たとえばどこの会社でも社員が会社の悪口をテレビやネットで公に表明した場合、まったくお咎めなしと言うことがあるだろうか。
そもそも政党と会社は比較できるたぐいのものだろうか。
政党がかかげる政策は選挙に当たって「その政党に所属する議員はその政策にみな賛成し協力するはずである」という前提のもと選挙民が参考にするものであるはずだ。
むろん全ての政策に関して全ての議員が賛成というのは時として難しいのであるが、だからこそ党内の意見の一致を見るために自民党の総裁選というものがあったのではないだろうか。
小泉はかねてからの郵政民営化論者であり、わたしの記憶が正しければかなり以前に全ての国会議員に郵政民営化の主張を書いた文書を配布したとテレビで述べていた。
もちろん総裁選でも郵政民営化をはじめとする構造改革も主張していたし、その改革を自民党が邪魔するならば「自民党をぶっこわす」ということもいっていたのである。
造反議員と呼ばれていた人たちはそのことを全く知らなかったのだろうか。
知っていたらそのときに離党するべきではなかったか。
今頃になって自民党は造反議員に離党勧告をすることを検討しているようだが遅きに失した感は否めない。
衆議院で自民党で反対にまわったものが出た段階で離党勧告すべきだったのではないか。
野田聖子はたしかテレビで地元の人は「野田聖子こそ自民党といってくれるのではないか」と言っていた。
たしかにそうであろうとわたしも思う。しかしその場合の「自民党」と言うのは「談合的体質」という悪い意味での「自民党」である。
自分の政策が小泉の政策と違うなら堂々と自民党を出て戦えばよいではないか。
なぜ重要な点で政策が違うのに自民党にこだわり続けるのかよく分からないがそれがようするに「自民党的」なところだとも思えるのでこの際自民党は本当にこわしてほしいと思う。
野田も鶴保庸介も今回の選挙は厳しいと見ているようだが、これだけメディアを独占してそういうことを言うのは一体どういうことなのだろう。
いわゆる同情票が集まって圧勝するとわたしは見ている。
もっともそれをねらっての発言かもしれないが。
選挙がどうとかこうとかでなく、堂々と自分の政策や考えを述べればいい、というよりそうすべきなのだ。
野田も鶴保も地元の人だけでなく国民全体がすっきりと理解できる政治行動をしてもらいたいものだ。
(文中一部敬称略)