今回の選挙の争点はずばり「郵政民営化」にあるというのがおおかたの見方であろうと思うのだが、これに野党や造反議員が反対しているようだ。
困ったのはマスコミの多くが同じように選挙の争点を単純化してはならないかのような論陣をはっていることだ。
わたしは新聞はとっていないし、サイトもあまりチェックしていないが、少なくともニュース番組を見る限り、評論家や政治家を招いてそういうことを言わせる姿勢が垣間見える。
たとえば先日の『報道ステーション』ではコラムニストの天野祐吉が今回の解散を名づけて「猫だまし解散」と言っていた。
郵政民営化ということでパーンとやられて国民は他のことは忘れさせられたといっていたようであるが、さすがにうまいことを言うものだと思った。
しかしこの人は他の機会にも「猫だまし」という言葉を使っていたことがあるような気もした。
つまりこの言葉が好きなのかもしれない。
また『筑紫哲也NEWS23』は昨日から中途半端な小泉の批判キャンペーンのようなことをやっているようだが、野中広務がでて、「目くらまし解散」ということを言っていた。
ちなみにこの言葉は差別用語だったかどうだっか定かではない。確か議論のある言葉だったように思うが、いずれにしろ野中が使ったのでそのまま使わせていただく。
「目くらまし」にしろ、「猫だまし」にしろたしかに今回の解散劇や、小泉氏の政治手法にそういう言葉が当てはまる面はあるのかもしれない。
しかし、マスコミがこういうことを言うのは非常に珍しいのではないか。
いつどの選挙でどのマスコミがということは具体的に指摘できないが、マスコミはしばしば「選挙の争点が不明確である」として多くの機会に批判してきたのではなかったか。
しかるに今回の選挙に限って「内政外交ともに手詰まり状態であるのをごまかしている」というような小泉氏に対する野中の批判をそのままたれながすのはどういうことだろう。
何より不思議なのはなぜ「郵政民営化」を争点にしてはならないのかということだ。
選挙の争点を何に絞るかは、まず政治家がそれを提示した上で国民一人一人が考えればよいのだから、小泉にだまされるなみたいな主張はマスコミが国民を愚弄している証左ではないのか。
本当にマスコミにしても候補者にしても政局や選挙運動などの追っかけゲームをしている間に真剣な郵政民営化に関する議論や問題点の掘り下げをしたほうがよいと思うのにマスコミも造反議員もこぞって小泉の政治手法ばかり問題にして議論が一歩も先にすすまないようだ。
それをしないのはようするに郵政民営化に関する議論をすれば野党や造反議員が不利になりテレビ的に面白くないと感じているからではないか。
わたしは見逃してしまったが、けさのTBSの朝の番組欄では、「造反vs刺客が大激論」というのに続けて、「野田聖子夫妻愛のドラマ」という文字が躍っている。
ようするにテレビというのは全てがそうとはいわないが、見る側の嗜好というか政治的興味にあわせて作られていることは否定できないだろう。
週刊誌や新聞も同じであろう。
はっきりいって国民は政治的主張などには興味がなく、政治家の夫婦が愛を貫く???姿にひきつけられるということだろうか。
少なくとも「野田聖子夫妻愛のドラマ」などという言葉を思いつくマスコミは国民をその程度にしか思っていないのではないか。
文中敬称略