玉川通信

八ヶ岳山麓にある玉川から日々思うことを綴ります。一病息災、生きているうちは癌闘病が近頃のモットーです

生かされている私

2011-03-13 10:27:03 | 日記
今回の災害はこれこそが『未曽有』といえる大きなものとなり、加えて原発の爆弾的な危険要素を加えたら、被害は計り知れません。原発は最悪をも覚悟しなければ…。やはり地震国に原子力は限界があるようにも思えました。

実は地震の起きるほんの数十分前まで私達は清水港にいました。三保の松原に行こうと言う連れ合いに、新鮮な魚を買ったからなるべく早く帰りたいとお願いして帰路に。興津から山あいに入った時に大地震が起きました。運転していた私は揺れに気づかず、伊那谷にいた息子からのメールで初めて知ったんです。それからは先程のブログに書いたようにつくばにもつながらず不安な時を過ごしました。

もし、あの時三保に行ったらもしかしたら私達は帰れなかったかも知れません。何の根拠もない選択でしたが、帰宅して本当に良かったです。
遡るニ週間前の金曜日は私達は大洗をドライブしてました。まさにあの時間です。海を眺めるのが大好きでつくばに行っては大洗や那珂湊に行くのを楽しんでいた私には衝撃的な事態。もし、シフトがこの週末に連休だったら多分あの日に茨城県に行っていたかと思い、これはほとんど奇跡かと。

そんな超個人的な時間の流れの中で、私は生かされています。同時に茨城県にいる子供もけがもなく不便はありますが元気で生活してます。
本当に有り難いことです。

こうして生かされている私にはいったい何が出来るでしょう。義援金の呼びかけが始まり、物理的な援助は微々たるものですが出来るだけしたいと思っています。
やはり、あとは祈ることしかなさそうです。

職場は東北の惨事とは無縁なようにいつも通りの仕事が進んでいきます。「まるでうそみたい」とふと感じながら従事してますが、今を頑張ることが私に出来ることと信じてこれから出勤していきます。

遠い親戚より近くの他人

2011-03-13 08:07:39 | 日記
夕べもあまり眠れることなく朝を迎えました。直接被災しているわけでもないのにこんなに不安で余震に怯えて過ごしているのですから、被災地の皆さんはどんなにか怖い思いをしてるのか想像するに余りあります。
心からお見舞い申し上げます。

つくばにいる子供についても、皆さんからご心配のコメントをいただきどんなに嬉しかったか!!ブログを通してだけの皆さんなのに子供の無事を喜んでくれて、離れて暮らす親としてはとても励まされました。地震発生当時、ケータイがつながらずに理由のない不安やマイナス思考に襲われ半泣き状態でした。連れ合いにずっと励まされて連絡を取り続け繋がった時には本当に安堵しましたが、当の子供はとても冷静に行動していて倒れた家具や散乱したものを片付け、安全な友人宅に避難。その後何度か連絡を取り合い、電車ならなんとか長野県まで繋がったから帰るように勧めているのに当人の判断でつくばを出ない方がベストだと。親としたらとにかく心配で身近に居て欲しいのですが、子供は遠い親のところに帰るより今の場所で友人達で力を合わせ不便な生活を凌ぐことを選んだようです。
親は遠くから見守ることしか出来ません。それもまた辛いことです。


写真は八ヶ岳。昨日の仕事上がりに撮りました。この山も生きています。何かをきっかけにまた活動が始まれば火山となり噴火だってあるかもしれません。海は海ならではの、山だっていろいろな災害の可能性を秘めています。自然の前では人間は本当に非力です。改めて思い知らされました。