先週末に仏サンクルー競馬場で行われた2歳GⅠクリテリウムドサンクルー。優勝馬は牝馬Passage of Timeだったのだが、何よりも驚いたのが調教師がH.セシルだったことである。かつて英国リーディングに10度輝き、英ダービーはSlip Anchor、Reference Point、Commander in Chief、Oathで4勝、英オークスを今年の英セントレジャー馬Sixties Iconの母親でもあるLove Divineなどを始め6勝を挙げた名調教師なわけだがGⅠ勝ちは何と00年にBeat Hollowで制したパリ大賞典以来6年ぶりとのことだそうな。
この名門調教師が何故没落していったかと言われると90年代の栄光を共にした主要なオーナーが彼の元から離れていったことが挙げられると思うが、そのきっかけとなったものはやはり95年のモハメド殿下との決裂や99年、当時厩舎の主戦騎手であったK.ファロンとの契約打ち切りであろう。このどちらの出来事にもH.セシル氏の奥さんであるナタリー夫人(ちなみに後妻でH.セシルとは20歳以上年が離れている)が関与していることは有名な話である。
まず、モハメド殿下との決裂の原因としてはMark of Esteemに関する意見の相違もあるが、契約を打ち切る際、モハメド殿下が「H.セシルは欧州でも最高クラスのトレーナーだと思っている。しかし、私は彼自身に調教してほしいと思って馬を預けているのであり、彼でない人間、それも馬のことなどほとんど知らない人間に自分の所有馬が調教されるのは納得できない」(Gallopの英のエロイ人の記事参照)と述べ、H.セシルの奥さんであるナタリー夫人による調教への干渉を快く思っていないことが読み取れる(ちなみにH.セシル調教師の奥さんは元々厩舎スタッフだったようですが)。そして、H.セシル厩舎凋落の決定的要因となった99年のK.ファロンとの決裂の原因となったあの不倫スキャンダルである。元々はそれほどパッとしない騎手であったK.ファロンを当時英国でも指折りの調教師であったH.セシルが主戦騎手に指名したのがこの2人の関係の始まりであるのだが、当時はH.セシルの決定に対し非難の声も大きかった。だが、K.ファロンはコンビ結成後初のクラシックとなる英1000ギニーをSleepytimeで制し、97年、98年と2年連続で英国リーディングを獲得するとそのような外野の声も黙らした(しかも99年まで3年連続200勝を達成)。Sleepytime後もBosra ShamやReams of Verseで活躍し、結果的にコンビのラストイヤーとなった99年は英1000ギニーをWince、英オークスをRamruma、英ダービーをOathで制するなどその蜜月関係は頂点に達したとみられていた。しかし、この突然のスキャンダルによってシーズン途中にコンビが解消されるとこの2人は好対照な運命を辿ることになる。K.ファロンは落馬などによって順調さを欠いたシーズンもあったが00年にSingspielやPilsudskiでのJC制覇など日本でも有名なM.スタウト厩舎の主戦騎手契約を結ぶとKris Kin、North Lightでの英ダービー制覇を始め、Golanでの英2000ギニー、キングジョージ制覇など活躍を果たす。05年にはご存知の通りJ.スペンサーの後釜としてバリードイルの主戦騎手に指名され、凱旋門賞をHurricane Runで制しその騎手人生はピークに達したのである。対照的にH.セシルは00年の英オークスこそLove Divineで制したもののその後は泣かず飛ばず。重賞制覇でさえ今年8月の勝利が4年ぶりの重賞勝利だったのだ。
牝馬ながらクリテリウムドサンクルーを制したといえ、メンバーレベルが微妙なのでPassage of Timeの力はまだまだ評価できるものではないかもしれない(オークスではそこそこ人気になっていますが)。ただ、かつての戦友であるK.ファロンが八百長疑惑によって引退か否か悩まされている時期にH.セシルが復活の狼煙を上げたことは中々興味深い。この2人のバイオリズムはコンビ解消後に反比例するようになってしまったのであろうか?何にせよ、これで来年のクラシック戦線にまた一つ注目しなければならない点が出来た。地獄を見たであろう名調教師の逆襲に期待したい。