創世記24章36節である。「奥様のサラは、年をとっていましたのに、わたしの主人との間に男の子を産みました。その子にわたしの主人は全財産をお譲りになったのです。」という。「サラは、年をとっていましたのに、」というところは、17章1節に、三つの契約を一方的に立てられた。その一つは、先週の「多くの国民の父」となること。第二は、「カナンの土地を、与える。」と。第三は、彼の妻サラによって「あなたに男の子を与えよう。」というもの。このときに、「百歳の男に子供が~」といって笑ったと(17:17)ある。
第三の神の約束が実現して、今ここで僕がいう。「奥様のサラは、年をとっていましたのに、わたしの主人との間に男の子を産みました。」と。神の実行力は不思議である。人には実現不可能と思わせて、笑わせられるが、それは人間の神実存についての不明の愚かさを知らせるためのものであった。ここでは神の実行力を淡々と僕に語らせる。
37節である。「主人はわたしに誓いを立てさせ、『あなたはわたしの息子の嫁を、わたしが今住んでいるカナンの土地の娘から選び取るな。~』」と。ここは、神の第三の約束と大いに関係がある。アブラハムが、自分の妻が90歳、自分が100歳になってまさか息子のイサクが生まれるとは思っても見なかった。がしかし、それが現実となってその子に嫁をとるとなれば、神の約束をおろそかにできない。
「星の数のように」(15・5)子孫を増やさねばならないのであった。その責任の重大さを認識したようである。彼の一人息子の初めに異邦人の地カナンから嫁をとるわけにはいかない。神の選びの民の親族から嫁を出さなければならなかった。神の選びの民としての、彼に重大な責任を自覚させた。我らも信仰を継承させる責任は大きい。
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