創世記21章25節である。「アブラハムはアビメレックの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレックを責めた。」という。この地域では具体的な問題として井戸の確保が重要であった。ここに誓いの返事をした後であるから、不自然なように見えるが、首長としてアビメレックが具体的にその部下たちの不始末の報告を受けていなかったようである。互いの大きな集団を抱えるのであるから確認が必要であった。
具体的には、責任を責めることになるが、アブラハムの方は、誓約の内容を深める意味でこの確認を持ち出したようである。大きな器同士の誓約の重さがその確認に現れている。地名「ベエル・シェバ」の意味は先に「聖数を使っている」としたが、「七つの井戸」の意味である。アブラハムの長期滞在の聖なる場所となった。
26節である。「アビメレクは言った。『そんなことをした者がいたとは知りませんでした。あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。』」という。「そんなことをした者がいた」と。意外性というより責任を伴っての言葉のようである。なぜならこの地域ではトラブルといえば必ず家畜を養う水の問題であった。注意しておりながら起こる問題である。そのつど責任を逃がれられない。
アビメレクの誠実さを、その言葉が表現している。その責任はすべて彼自身が負うという覚悟の表明であった。知るに至る時間が今日に及んだが、これからの問題として対処しましょうという意思表明である。それはまた、農耕生活日本人の発想のように「今後二度と過ちがないようにしよう」というものでもない。ある意味ではお互いの動物保護への対応の慣習的な過ちを認め合っているということである。
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