(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その5)
◯それで師は言つた、「どれでもこれらの大木の一つの小枝を折り取るならば、そなたの考へもすつかり切落されるだらう。」
それでわたしが手を少し前へ差出して、大きな茨から小枝を摘取ると、その幹が叫んだ、「なぜわたしを折るのだ?」
それから吹き出る血でどす黒くなつたが、またかう言ひ出した、「なぜわたしを裂くのだ?まつたく憐みの心がないのか?(ここまで前回)
◯わたしらは人間だつたのだ、いまは茨の木にされているが、たとへわたしらが蛇の霊だとしても、もつと憐み深く取扱つて然るべきなのだ。」
生木が片端から燃やされると、他の端から樹液がジュージューしたたり、中から出る空気のためにプスプスいふものだが、
そのやうに折られた枝から同時に言葉と血が吹き出たので、わたしは小枝を落として恐れるもののやうに立ちすくんだ。(つづく)
◯2016年4月3日は第十四主日、イースター後第一主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「復活の信仰の成長」という主題である。Ⅰペトロ2章1~5節で、その2節、「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」といいます。「生まれたばかりの」というのは、洗礼を受けて間もないキリスト者を想定している。ここで「霊の」とは、神の霊という意味でない。ロマ12章1節の「自分の体を~献げなさい」というような生活の方法の奨励である。
◯写真は、3月27日、イースター礼拝後後、上野ヶ丘墓地公園の教会墓地で、故益井宣夫兄と故益井美智子姉の遺骨埋葬式をご遺族益井一好御一家4人と共に行いました。
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