創世記24章10節である。「僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向って出発した。」という。「主人から預かった高価な贈り物」とは、イサクの嫁となる娘と彼女の数句に対する贈り物である。22節と53節にその内容が分るようになっている。それにしても豪華なもの。その心意気が現れている。
イサクがこの大旅行に同行しなかった。それは僕への信頼関係が強かったことを現している。一切を任せて送り出したのである。それだけでなく大事なのは神の約束の地をカナンと決めて、一歩も譲らない6節と8節の言葉の神信仰の堅さがある。
11節である。「女たちが水汲みに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、」という。長旅のゆえに、用意万端を整えて夜明けを待ち朝食を済ませてからの出発となったのであろう。ここの、「女たちが水汲みに来る夕方」というときの報告にはそのような出発の時との対象の夕方と言う意味がありそうである。第一日が暮れようとするこのとき、出発に至ったときまでの責任の重さを痛感しての最初の大きな意味を持つ休憩となった。豪華な結納品、付け人も多くいたのであろう。
10節で「ナホルの町」に向かったのであるがナホルは正確にその古代の位置を特定するのは難しい。しかし、ユーフラテス河の大湾曲部に囲まれた地域のハランのやや南方であると言われる。古代バビロニヤの文献、粘土板のマリ文書にもしばしば出てくる地名であるあるがくしゃのけんきゅうによってわかっている。従ってその町の存在はほぼ間違いない。いずれにしても旅の道程はヘブロンからほぼ千キロほどになり、歩いて一日30キロとして一ヶ月はかかる。その「夕方」は、その先を展望するに貴重なる時間であった。
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