日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-10-28 15:47:08 | 大分中央ウィークリー

創世記24章58節である。「リベカを呼んで、『お前はこの人と一緒に行きますか』と尋ねた。『はい、参ります』と彼女は答えた。」といいます。「一策を案ずるより、産むが易し」とはこのことであろうか。即答に近い返事の「はい、参ります」といった。しかし神のみわざととの関係からいえば、この婚姻のケースでは、このような場合が多い。そのための本人の意思決定をさせるのは、神にとって自由自在であるといった方がよいからである。

 

しかしこれが当事者にとっては、押しなべてその人生の最善の道であったのかどうかはわからない。時の流れとともに、神ご自身が、彼らの新しい道を自由自在に造っていかれるからである。それゆえわたしたちの人生についてもいえることであるが、神の意決定が伴っているということをよくよく心に留めておかねばならない。リベカにいえることは、どの人にもいえる。人は、事ごと神の深い御心を尋ねねばならない。

 

59節である。「彼らには妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、」といいます。イスラエルの高貴な家では嬰児が乳母によって育てられるというのはめずらしくない。モーセもそうであった(出エ2:7他)。一番興味深い話は、乳母が嬰児の王子を神殿の一室に匿って6年間も過ごして王の血統を守ったという話がある(王下11:1~5)。

 

ここでは乳母、その名は「デボラ」(35・8)を同行させた。リベカの嬰児の時から死ぬまで乳母として仕えた。この時のイサクは40歳(25・20)でありその後20年間子供が生まれず、イサク60歳の時(25・26)に双子が生まれた。その名をエサウとヤコブ。ヤコブが長子(25・33)となって、そのヤコブの世まで仕えたことになる。


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