五、「教会とわたしたち」(364)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後) はじめに、近代への萌芽として、アウグ
スチヌス著「神の国」から引用(その5)(1、ローマが略奪を蒙ったとき、~)
このようにして多くの者が生命を全うしたが、今わたしたちのキリスト教信仰を非難し、ローマ市に降りかかった禍をキリストのせいにするのは、その者たちであ
る。蛮族たちがキリストに対する尊崇のゆえに彼らに示した恩恵(そしてそれが事実彼らの生命を救ったのであるが)を、彼らはわたしたちのキリストに帰せず、
幸運のせいにする。もしも彼らが正義の何たるかをわきまえることができるならば、(前回ここまで、訳文30頁2行目)彼らが敵の手によって蒙った苛酷な取り扱
いを、進んで神の摂理に帰することであろう。神は人間の邪悪な生活を矯正し、抑制するため、戦争という手段を用いられ、またこのような患難を通じて、善良で
賞賛に値する者を陶冶されるのである。神は彼らをこのように試みたのち、ある者をよりよき世界に移し、ある者を他の優れた目的のため地上に引き留められ
る。いずれにしても、これら血に飢えた蛮族たちはキリストの名のゆえに、いずこにおいても、特に聖別された建物(それらの最大のものは聖所として、きわめて
多数のものに避難所を提供した)の中で戦争の常のならわしをはるかに超えた憐憫の情を示したのである。わたしたちに反対する者たちはこの幸運を、彼らが
キリスト教の時代に生きているという事実に帰すべきである。彼らはこのことについて神に感謝を捧ぐべきである。このことのゆえに
~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)