熱血通信

日々の出来事を思いのままに…

公開シンポジウム2

2007-11-27 20:18:33 | Weblog
昨日の続きでシンポジウム内での意見を掲載します。

《熱血教師待望論》
TVなどで見聞きするいわゆる「金八先生」等の熱血漢教師は、
子どもの気持ちに寄り添って指導してくれる先生であり、子ども
だけでなく、親の側からしても望ましい指導者だと思います。
しかし、一部の大人は、「熱血教師=愛のムチ=げんこつOK」とい
う図式があるようで、これは指導を受ける子どもたちに対して、威圧
を与えるだけであると考えます。

子どもたちは大人が考えるほど子どもでなく、悪いことやミスをすれ
ば、分かっているものです。そのことを指導するにあたり、手をあげ
る行為は不必要であり、口頭できちんと子どもに伝えることができな
い教員自身に問題があると思います。
感情的に指導されても子どもの心には残りません。子どもの心に残っ
ていないとすれば、指導できていないということだと思います。

しかし、口頭で注意するのも限界があるのも事実です。
学校側として段階にわけ罰則を与えるという方法は有効だと考えます。
特に中学生の服装の乱れ等、最近は目を疑うものを感じます。私たち
親の責任のもと、学校に送り出すわけですが、先生方も目に余るもの
…例えば「腰パンはその場で脱がせ体育着の短パンにはきかえさせる。
脱いだズボンは親が取りに来なければ返さない。」等の手段を講じて
もいいのではないかと思います。
子どもたちに甘く見られている教員が多いのは事実です。

学習塾の先生の言うことは聞くが、学校の先生の言うことは聞かない。
これは何を意味しているのでしょうか。
たしかに少数制の学習塾では学校に比べ先生の目も届きやすいでしょ
う。しかしそれだけでは子どもたちは大人の言うことに聞く耳を持た
ない。やはり、子どもたちとのコミュニケーションをいかにとり、信
頼関係を築くことができているかだと思います。

モンスターペアレンツについては、次回に掲載します