とことん青春!

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。

地獄少女 二籠 14話感想 『静かな湖畔』

2007-01-14 17:06:02 | 地獄少女 二籠(感想) 

名前は?           
紅林拓真           

憎んでるの?ギタギタにしたいのぉ!?   
犯人はあいつだ 間違い無い
あいつのせいでうちの家族は…
   

流しちゃえ!流しちゃえ!地獄へ流しちゃえ~!!
駄目だよ そんな事できないよ…

怨み聞き届けちゃうぞ~!
うしししっ!
     

【依頼人】吉崎さやか
【ターゲット】柿沼敏也
     

こりゃあ、後味悪すぎですよ(笑)。
流石は前代未聞の憂鬱アニメ。
どんどんドス黒くなってきていますね。
こういう救いの無い話が今後も増えてくるんだろうな(汗)。
しかし、今作におけるきくりの存在意義が理解できた感もあります。
14話感想。       

◆◆理想と現実◆◆ 
美しく静かな湖畔で『大きな栗の木の下で』を唄う拓真。
この美しい湖畔とゴミ屋敷と化した拓真の家が痛烈に対比されていたのが印象的でした。
また、拓真自身、引っ越してきたばかりなので友達もいる様子が無く、この静かな湖畔で仲良しこよしの歌である『大きな栗の木の下で』を唄う事を楽しみにしている模様。

この様を見るだけでも、拓真が「家が荒らされている」,「友達がいない」という現実から逃避しようとしている事が分かりますね。
彼にとって、汚れた現実世界を「綺麗な世界」に保つ為のツールが湖畔と童謡なのでしょう。

また、汚れた現実世界を直視できていないのはターゲットの柿沼も同じ。
彼は堕落した今の自分を受け入れられず、栄華を極めた頃のドラマを見る事によって自分の中での「綺麗な世界」を保ち続けていたのです。

ゆえに、本質的には拓真と柿沼は似た存在と言えるかもしれない。
決定的に違う点は、拓真が内に抱え込むタイプであり、柿沼が外に発散させるタイプであるという点でしょうね。

そして、極めつけは真の依頼人、吉崎さやか。
彼女は未だに柿沼と過ごした「綺麗な世界」を自分の中で保ち続けていた。
そして、その「綺麗な世界」を絶対化する為に糸は解かれる。

嘘だよ こんなの…  

自分が思い描いていた「綺麗な世界」とは真逆の「汚れた現実世界」は嘘・偽りの世界。
その「汚れた現実世界」を構築した張本人・柿沼をこの世から消す事で、「綺麗な世界」を保ち続ける事ができると信じて…。     

理想の世界を保つ為に現実逃避せざるを得なかった者達が紡ぎ出した悲劇を描写した今回の話。
『静かな湖畔』も「美しく静かな理想の世界」と「凋落が進み閑散と化し静かにならざるを得なかった現実世界」という二重の意味を持ち合わせており皮肉なタイトルですね。

◆◆誤解◆◆       
自己主張できない弱者である拓真を襲ったのは周囲の「誤解」だった。
親を失い人殺しのレッテルを貼られた拓真を擁護する人間は誰も居ない。
対話力を欠く彼の言う事を信じる人間など居る訳も無い。               

孤立無縁状態の彼が童謡を口ずさむ姿に絶望感を覚えた次第です。
己の絶望的な状況から目を逸らし、「綺麗な世界」の存在を信じ続ける彼の姿は絶望の象徴と言えるかと。

今回の話でも「誤解」に起因する救いようの無い悲劇が描写された事を考えても、今後もこのテーマを作中で表現していく事になるんだろうな、きっと。         

◆◆信じる力◆◆   
今回の話が本当に救いの無い話であると感じたのは「他人を信じる行為が無意味である」という事が描かれたからです。
柿沼を信じた結果、裏切られた拓真の父。
その父を信じて従った結果、最悪の結末を迎えた拓真。

この演出は、今後、「他人を信じる行為が無意味である」という事に対するアンチテーゼを描く為のミスリードたる伏線だと思いたい訳なのですが…。
でないと、余りに報われない内容だったと思う次第です。
悲劇の元凶たる「誤解」を生じさせない為には、相手を「信じる」必要があるだけに「信じる」という行為が作中で肯定的に描かれて欲しいな、と。

相手を「信じる」為には相手を「理解する」必要があり、相手を「理解する」為には相手と「対話」をしてコミュニケーションを取る必要がある。
他者との絆を構築する為の一連の行為が作中で描写される事を期待する次第です。               

◆◆きくりの存在意義に見る物語の大きな流れ◆◆               
今回の話で物語の大きな流れが何と無く掴めたかな、と思います。
今作では「誤解」を一つのテーマに掲げている事を考えても、きくりは「誤解」を生むキャラクターとして位置付けられているんじゃないかな、と。

具体的には…

三藁~きくりは仕事の邪魔をしているという誤解          
視聴者~きくりは邪悪な存在であるという誤解

三藁の誤解は現状ではささいなものですが、このささいな誤解が大きな誤解に発展する可能性も有り得ます。
今回の話でも、きくりは拓真に誹謗中傷のビラを見せたり三藁の邪魔をしている様にも思えるが、慰め合う母子の姿をあくびしながら退屈そうに眺めるなど、他人の喜怒哀楽の感情を理解できない節があります。
ゆえに、彼女は意図的に仕事の邪魔をしているのではなくて己の感性に基づいて行動していると捉えた方が宜しいかと。

閻魔あいはきくりを信じている模様で、 

お嬢 良いのかい?きくりは 
きっとあの子なりに放ってはおけないのよ
私の邪魔は…しないわ…
           

と言っています。
つまり、あいはあくまできくりを「信じる(理解する)」立場で、三藁は「誤解する」立場という位置付けなのかもしれませんね。

ここまでは作中内のキャラクター間での「理解」「誤解」の対比なので描かれて然るべきだと思うのですが、製作者側の最大の狙いは(上でも挙げた様に)視聴者に対してきくりは邪悪な存在であるという「誤解」を生じさせる事なのでは、と思います。
今回の話のラストシーンでも、きくりは狙ったかの様に邪悪な笑みを浮かべていましたし。
今後の展開では更にきくりを「邪悪な存在」であると視聴者に「思い込ませる」演出が多くなりそうな感があります。

その視聴者の「誤解」をきくりに対する「理解」へと昇華させる。
これが製作者側のきくり投入の真意なのではないかと妄想する次第。
きくりがメインテーマに絡む為には自らが「誤解」を与える存在になる以外に無いと思うのですが…。 

作中のキャラクター間でのやり取りだけに収まらず、視聴者に「誤解」「理解」について問い掛ける。
『地獄少女 二籠』はそんなスケールの大きな話であっても良いのではないかと思う次第です。

以上、見応えのあった14話感想でした



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2 コメント

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Unknown (すなふきん)
2007-02-07 17:26:12
きくりは全てを見抜いてるのかもしれませんね。
それこそ、何から何まで。
だから、13話で椿の眼を覚まさしたり、拓真に地獄通信にアクセスするように焚きつけたり、と。
母子が慰め合ってるのを横で欠伸をしたのも、きくりには誰が犯人か分かり切ってるから退屈だったのではないでしょうか。
で、今回(14話)の最後で見せた微笑みは「言う通りにしているば・・・」という気持ちなのか。
それとも、拓真が逮捕されることさえも見抜いていたのか。
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真実 (いいちこ)
2007-02-07 18:12:23
>すなふきんさん
確かに、きくりは真実を見抜いている感がありますよね。
というよりは、真実の求道者(?)的存在とも言えようか。
彼女は己の感性に基づいて己の信じる道を行っているようにも思えますね。
善悪の区別は付いていないような気がしますが。
だからこその求道者でもあるんですけどね。
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