今作では一貫して“力”に対して否定的なキラですが、実は前作においてキラもシンと同じように“力”を求めていた時期があったんですよね。
その時期はエルの死からバルトフェルドの死までの期間です。この時期の彼は対抗する相手を(現在のシンのように)明確な“敵”と見なして容赦無く討っていたんですよね。
16話ではバクゥのパイロットを踏みつけ至近距離からアグニを打ち込み、18話でもバルトフェルド率いるバクゥ隊を手加減抜きで討ったり、と。
そして、“力”を追い求めて守りたいものを“武力”で守ろうとする彼の意思が最も如実に表れていたシーンがカガリに平手打ちを浴びせ、『気持ちだけで一体何が守れるって言うんだ!?』と叫んだシーンだと思います。彼のこの一言は自身の経験が言わせた台詞でしょうね。
幼女エルを守れなかった【自責の念】に囚われ、武力という名の“力”を追い求めるようになった彼の「変化」が端的に分かる台詞かと。
敵との戦闘力の差を考えずに感情で突っ走った挙げ句、仲間(アフメド)を無駄死にさせてしまったカガリに幼女エルを守れなかった“過去の自分”を重ね合わせたのでしょう。
ゆえに、キラにとってカガリへの平手打ちは“過去の自分”との決別を意味する行為だったと思う次第です。
つまり、「綺麗事だけでは守りたいものを守る事はできない」とし、“武力”を追求するようになった、と。
キラは自分を分かって欲しくてしょうがないのでしょうね。
だから、“力”を持たないフレイに『私の想いがあなたを守る』と言われ、彼女に溺れてしまったんだと思います。
幼き命を守れず己の非力さに泣いた彼の辛さを理解してくれる唯一の存在がフレイであり、無力な彼女が自分を『守る』と言ってくれているのだからなおさら“力”を持っている自分は戦って守りたいものを守らなければならない、と。
その為には今より更に強大な“武力”が必要だと考えたのでしょう。
しかし、彼は“武力”を追い求めた自身の考えが間違いであった事に気付く事になります。
それを彼に気付かせたのは「バルトフェルドの死」なんですよね。
顔見知りでありキラに戦争について本音で語ったバルトフェルドを自らの手で討たなければならないという【戦争の非情な現実】を痛感した時、彼は自身の持つ強大な“力”を否定的に捉えるようになったのだと思う次第です。
つまり、己の“力”の無さゆえに大切な人だったエルを守れなかった事を省みて“力”を追求したが、結果、自らの“力”で(エルと同じくキラにとって大切な人であった)バルトフェルドを討たなければならなくなった、と。
エルの死後、守りたいものを守る為に敵を“敵”と割り切って戦ってきたキラの中に【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生えた瞬間だったと思います。
このようにキラにも現在のシンのように“力”を追い求めていた時期があった訳なのです。
ここにキラとシンの接点を見出す事ができるのではないかと思います。
今現在、接点らしい接点が無いキラとシンですが、彼らを結び付けるものは【力,敵に対する考え方】という事になるのではないかと思う次第です。
その時期はエルの死からバルトフェルドの死までの期間です。この時期の彼は対抗する相手を(現在のシンのように)明確な“敵”と見なして容赦無く討っていたんですよね。
16話ではバクゥのパイロットを踏みつけ至近距離からアグニを打ち込み、18話でもバルトフェルド率いるバクゥ隊を手加減抜きで討ったり、と。
そして、“力”を追い求めて守りたいものを“武力”で守ろうとする彼の意思が最も如実に表れていたシーンがカガリに平手打ちを浴びせ、『気持ちだけで一体何が守れるって言うんだ!?』と叫んだシーンだと思います。彼のこの一言は自身の経験が言わせた台詞でしょうね。
幼女エルを守れなかった【自責の念】に囚われ、武力という名の“力”を追い求めるようになった彼の「変化」が端的に分かる台詞かと。
敵との戦闘力の差を考えずに感情で突っ走った挙げ句、仲間(アフメド)を無駄死にさせてしまったカガリに幼女エルを守れなかった“過去の自分”を重ね合わせたのでしょう。
ゆえに、キラにとってカガリへの平手打ちは“過去の自分”との決別を意味する行為だったと思う次第です。
つまり、「綺麗事だけでは守りたいものを守る事はできない」とし、“武力”を追求するようになった、と。
キラは自分を分かって欲しくてしょうがないのでしょうね。
だから、“力”を持たないフレイに『私の想いがあなたを守る』と言われ、彼女に溺れてしまったんだと思います。
幼き命を守れず己の非力さに泣いた彼の辛さを理解してくれる唯一の存在がフレイであり、無力な彼女が自分を『守る』と言ってくれているのだからなおさら“力”を持っている自分は戦って守りたいものを守らなければならない、と。
その為には今より更に強大な“武力”が必要だと考えたのでしょう。
しかし、彼は“武力”を追い求めた自身の考えが間違いであった事に気付く事になります。
それを彼に気付かせたのは「バルトフェルドの死」なんですよね。
顔見知りでありキラに戦争について本音で語ったバルトフェルドを自らの手で討たなければならないという【戦争の非情な現実】を痛感した時、彼は自身の持つ強大な“力”を否定的に捉えるようになったのだと思う次第です。
つまり、己の“力”の無さゆえに大切な人だったエルを守れなかった事を省みて“力”を追求したが、結果、自らの“力”で(エルと同じくキラにとって大切な人であった)バルトフェルドを討たなければならなくなった、と。
エルの死後、守りたいものを守る為に敵を“敵”と割り切って戦ってきたキラの中に【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生えた瞬間だったと思います。
このようにキラにも現在のシンのように“力”を追い求めていた時期があった訳なのです。
ここにキラとシンの接点を見出す事ができるのではないかと思います。
今現在、接点らしい接点が無いキラとシンですが、彼らを結び付けるものは【力,敵に対する考え方】という事になるのではないかと思う次第です。