とことん青春!

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。

過去のガンダムシリーズ総括その1

2008-01-29 00:53:54 | その他アニメ

せっかく、ガンダムOOも始まった事なので、この機に過去のガンダム作品を総括してみようと思う。
例によって、カテゴリー毎に100点満点で私的採点してみました。


機動戦士ガンダム
作画:☆☆(2点)
脚本:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
テーマ性:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
演出:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
設定:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
独創性:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
楽曲:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
キャラクター:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
声優:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
個人的趣向:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
総合:90

【批評】
今や伝説となった1stガンダム。
私ごときが語るまでもないが、この作品はアニメの歴史を変えた傑作と言えるでしょう。
それまで勧善懲悪が主流であったアニメ界において初めてリアルロボットの概念を導入した作品。
それは製作者側にとっては冒険だったと言えるのかもしれません。

ゆえに、この作品の素晴らしいところは敵味方を含めて全てのキャラクターが魅力的な点にあると思う。
赤い彗星のシャア、昔堅気の職人ランバ・ラル、大西洋に散ったミハル、悲劇のニュータイプ・ララァ等。

そして、ニュータイプとは主人公の存在する世界だけでなく、主人公以外の脇役も含めた人達の存在する世界を認識できる能力の事を指すのでしょう。
終盤、ララァとの邂逅でその能力に覚醒したアムロのコロニーレーザー発射時の絶叫やア・バオア・クー脱出時の仲間への進路誘導等はその最たる例かと。

このニュータイプの能力は人の進化の希望として作中で肯定的に描かれ、アムロとララァの交流を生む事にもなります。
しかし、そこに非ニュータイプのシャアが割って入った事によって大きな悲劇を生む事が描写されました。
ニュータイプは所詮、生身の人間を交えた場合、その能力に限界を来たすのだ、と。

しかし、最終的にはこの能力が人の進化の希望として描写される事で物語は幕を閉じます。
確かに、時としてニュータイプの能力は悲劇も生み得るが、その能力で救えたホワイトベースの仲間もいるのだ、と。
だからこそ、「まだ僕には帰れるところがある」というラストのアムロの台詞が重く響くのです。


機動戦士Zガンダム
作画:☆☆☆☆(4点)
脚本:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
テーマ性:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
演出:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
設定:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9点)
独創性:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
楽曲:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9点)
キャラクター:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9点)
声優:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9点)
個人的趣向:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
総合:80

【批評】
良くも悪くもガンダムシリーズの地盤を作った作品。

この作品において最も魅力的なキャラクターはシャア・アズナブル。
過去の人間関係(特にララァ、ハマーンとの関係)を清算できず、未来に目を向けられない姿は非常に痛々しく共感できるものがあります。
大人になりきれない大人であるシャアに対して容赦なく「大人である事の現実」を突きつけてくる青き激情を持ったカミーユという構図は個人的にかなり好きでした。

また、この作品では初代ガンダムで描写された希望たるニュータイプを主人公の精神崩壊という形で絶望的存在に落とします。
その理由は、生身の人間関係はニュータイプの能力では清算できないという事を描きたかったからではないかと個人的に推測しています。
ニュータイプは人が進化するための希望ではない、と。
ニュータイプとしての能力が肥大したシャアやカミーユの苦悩はそこから生まれるのではないかと。

また、作中で理解不能な行動を取るエキセントリックボーイたるカミーユですが、彼と周囲の人間関係を「家族」という枠で捉えると分かりやすいかと思います。
父=シャア、母=レコアといった感じで。
中盤、レコア失踪時にシャアに殴りかかるカミーユの姿は、正に母を奪った父への怒りを表現していました。
両親を失ったカミーユが求めていたものは、例え、擬似でもあっても家族の絆だったのか、と思うとやるせなくもありますが…。


機動戦士ガンダムZZ
作画:☆☆☆☆(4点)
脚本:☆☆☆☆☆(5点)
テーマ性:☆☆☆(3点)
演出:☆☆☆☆☆(5点)
設定:☆☆☆☆☆☆(6点)
独創性:☆☆☆☆☆☆☆(7点)
楽曲:☆☆☆☆☆☆(6点) 
キャラクター:☆☆☆☆☆(5点)
声優:☆☆☆☆☆☆☆(7点)
個人的趣向:☆☆☆☆(4点)
総合:52

【批評】
「明るいガンダム」を銘打ったシリーズですが、序盤の展開は無理矢理明るくしていただけのように思えました。
特に主題歌の「アニメじゃない」はその無理矢理感が如実に表れており、とてもZガンダムの続編とは思えないノリで拍子抜けしてしまった次第です。

流石に後半はシリアスになりましたが、無理矢理感の強い前半のノリを引きずってしまい、あまり楽しめなかった。
何せ後半も前半のギャグキャラ達を無理矢理シリアスキャラに置き換えただけなのですから…。

Zガンダムのような訳の分からなさは無いので、どちらかと言うと、一般受けしそうなのですが、その訳の分からなさがガンダム特有の魅力でもあるので、ガンオタ的には物足りなくもありました。

ちなみに、『重力下のプルツー』は名シナリオなので一見の価値はあるかと思います。


機動戦士ガンダム0080-ポケットの中の戦争-
作画:☆☆☆☆☆☆☆☆(8点)
脚本:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
テーマ性:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
演出:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
設定:☆☆☆☆☆☆(6点)
独創性:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
楽曲:☆☆☆☆☆☆(6点)
キャラクター:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
声優:☆☆☆☆☆☆(6点)
個人的趣向:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(10点)
総合:86

【批評】
痛みを知った少年は優しさを覚える。

兄のように慕っていたごく普通の純朴な青年と姉のように慕っていた隣の家のお姉さんが殺し合う。
戦争とはそういう異常な空間を作り出す理不尽極まりないものであるという事を見事なまでに描き切っています。

この作品が泣けるガンダムの筆頭に挙げられる理由は、登場人物が皆、「イイ人」だからだと思います。
ちょっと頼りないが純朴すぎるバーニィを始め、気は強くとも心は広くて優しいクリス、渋くて仲間思いのサイクロプス隊の面々等、ジオンの一部の高官を除けば、本当に「イイ人」しか見当たりません。
だからこそ、戦争の残酷さと理不尽さが浮き彫りにされるのでしょう。
そういった普通に生活している「イイ人」も戦場では兵士となって人殺しをしなければならない、と。
作中でバーニィやクリスの日常生活が描かれたのも、日常と戦場を対比させる事で、戦争の非日常性を視聴者に強く印象付けたかったからなのではないかと思われます。

また、この作品のテーマの一つは「真実と嘘」だったのではないかと思います。
第5話『嘘だといってよ、バーニィ』では、バーニィがシュタイナーに思いやりのある嘘をつき、アルにはひよっこである真実を明かし「嘘だ!」と罵られ、恋人との喧嘩で「嘘を言い通す根性も無いくせに!」と叫ぶ女性の言葉に、遂にガンダムと戦う覚悟を決めたり、と「真実と嘘」をキーワードに物語が回っていたように感じました。
バーニィの最後の嘘は「生きて帰ってくる」という一言。
この時点で彼が死を覚悟していたというのが泣ける。
アルに対する思いやりのある嘘ですな。

そして、バーニィの死後、アルの手元に遺されたビデオレター。
「俺が死んでも連邦軍の兵士やガンダムのパイロットを怨まないでくれ」の一言にとても心打たれました。
どこまでイイ奴なんだ、と。

そして、この作品の最大の泣き所はアルとクリスの別れのシーン。
アルはクリスがアレックスのパイロットである「真実」を知っているのですが、「バーニィもクリスとの別れを残念がると思う」と思いやりのある「嘘」をつくのです。
このシーンでついに私の涙腺も決壊した。
思いやりのあるバーニィの魂がアルに乗り移り、思いやりのある嘘をつかせる事になる。
バーニィの死という「痛み」を通して「優しさ」を覚えたアルの姿がそこにはありました。

ラストの校長先生の話にバーニィの事を想い、堪え切れず泣き出すアルの姿に更に涙しました(泣)。
校長先生の話はどこにでもある一般論なのですが、その一般論の中にバーニィという“かけがえのない存在”が埋もれてしまう事がアルにはたまらなかったのだと思います。
戦争の本質を知り、生命の尊さを知ったアルだからこそ理解できる「痛み」なのではないかと。

また、状況を理解できない友達がアルを慰めるのですが、この演出で戦争の本質を知ったアルと戦争を全く理解できていない友達とを強烈に対比させる事で、序盤、MSを見て大はしゃぎしていたアルの成長を端的に表現していました。

アルの姿は戦争を知らない我々そのものであり、この作品は我々に戦争の残酷さ・悲哀を強く訴えかけているのではないかと思う次第です。


機動戦士ガンダム0083-STARDUST MEMORY-
作画:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ (10点)
脚本:☆ (1点)
テーマ性:☆ (1点)
演出:☆ (1点)
設定:☆ (1点)
独創性:☆ (1点)
楽曲:☆☆☆☆☆☆☆☆ (8点)
キャラクター:☆ (1点)
声優:☆☆☆☆☆☆☆☆ (8点)
個人的趣向: (1点)
総合:33

【批評】
史上最悪のテロリスト集団の絶対的な悪を絶対的な正義として描写した作品。

この作品の実質的な主人公であるガトーはただのオナニー野郎です。
しかも、周囲に多大なる迷惑を撒き散らしているので非常に性質が悪い。
新しい時代が到来しつつあるというのに、腐れたイデオロギーに固執し周囲に当り散らすその生き方は非常にみっともないです。

また、彼らが執拗に掲げる「大義」ですが、これがあまりにも薄っぺらで空虚です。
と言うのも、彼らの行為がコロニー住民を始めとする一般市民の誰からも支持を受けていないからです。
にもかかわらず、億単位の人間の生命を奪うコロニー落としを身勝手な信念やら大義で正当化するというのは、もはや狂っているとしか言いようが無い。

こういうどうしようもない輩を否定的に描くのであれば分かりますが、この作品ではこいつらを演出面で完全に「勝ち組」にしています。

まず、ガトーの薄っぺらな大義を隠蔽するための噛ませ犬としてひよっこのコウ・ウラキを名目上の主人公に据えました。
また、連邦軍側の登場人物に高慢で悪人面な高官を揃える事で、「連邦軍=悪」を殊更に強調し、デラーズ・フリート側のテロ行為を正当化しようとした。
極めつけは、ガトーの死後、Zガンダムにおける巨悪の象徴であるティターンズの制服をアルビオンクルーに着せるという演出で「巨悪に抵抗した英雄のデラーズ・フリート」という構図を作り出し、彼らの薄っぺらな大義を完全正当化させました。

つまり、この作品は連邦の腐敗を描いたのではなく、ジオン残党の悪を正当化したに過ぎないのです。

この作品においてまともなキャラと言えば、シーマだけでしょう。
デラ-ズ、ガトーといった腐れたイデオロギーに固執する輩に汚れ役を押し付けられた事で彼らの腐れたイデオロギーを批判していましたし、一般市民毒殺を夢でうなされたりと、無差別大量虐殺のコロニー落としを薄っぺらな大義でもって平然と正当化するデラーズ・フリートの連中に比べれば遥かにまともな感性を持っていると言えます。

後のSEEDシリーズにおけるテロ肯定描写の前例を作った事を考えてもこの作品の罪は非常に重い。

この作品が一定の評価を得たという事は日本の戦後民主主義は失敗だったという事なのかもしれませんね。
ガンダムをなめんなよ。


とりあえず、初期ガンダムシリーズの評価はこんな感じです。
その2に続く(と思う…)。


機動戦士ガンダムOO 16話感想 『トリニティ』

2008-01-27 12:55:55 | 機動戦士ガンダム 00 (ダブルオー)

前回、盛り上がったかと思えばまたもや失速。
しかも、半分は総集編。
最近のダブルオーは浮き沈みが激しいね。

◆◆トリニティ◆◆
今回の新ガンダム介入は監視者達も知らなかった模様。
ってか、(前回の感想でも書いたが)なぜ今の時期になって新ガンダムが登場したのかが謎であり、なぜ存在を知られていなかったのかも激しく謎です。
もしかしたら、急造で整備された部隊ですか?
最前線でソレスタルビーイングの活動を見てきたアレハンドロが根回しした可能性が高いと見ているのですが、う~む・・・

ちなみにトリニティは和訳すると「三位一体」。
正に神的存在という訳ですな。
この世に神はいない、むしろ自分達こそが神である、と。

◆◆監視者◆◆
基本的にソレスタルビーイングの行動を監視しているだけの模様。
今回の新ガンダムの存在も知らなかったという事は、ソレスタルビーイングの詳細を熟知している訳ではないみたいですな。

一応、全会一致による拒否権の発動が可能みたいですね。

◆◆完全VS不完全◆◆
今回の話で見えてきた今後の展開は「完全VS不完全」の対立軸の成立かな、と。
以前から幾度も感想内で、「完全」「不完全」の対比については触れてきましたが、今回のトリニティにしても「神(完全)」に関連する名前が付けられているので、「不完全」な存在であると描かれている刹那達のガンダムマイスターファーストチームとライバル関係に陥る可能性もあるかと思う次第です。

また、アリーやアレハンドロ(他の監視者達も?)も「自分こそが神(完全な存在)」であるという観念を持っていると思われるので、最終的には刹那達と対立しそうな予感。
この完全者サイドと不完全者サイドを簡単にまとめると、、、

・神を信じる不完全者サイド・・・不完全な自己への自覚アリ→ガンダムマイスターファーストチーム、マリナ

・神を信じない完全者サイド・・・この世に神はいない、むしろ自分こそが神→ガンダムマイスターセカンドチーム、アリー、アレハンドロ、他監視者達

といったところでしょうか。

今後は、この対立軸を中心に物語が動いていく可能性があると妄想する次第であります。
特に語る事もなかったので手短に。


機動戦士ガンダムOO 15話感想 『折れた翼』

2008-01-20 18:50:30 | 機動戦士ガンダム 00 (ダブルオー)

刹那、神の名を叫ぶ。
15話感想。

◆◆監視者とは◆◆
ソレスタルビーイングの監視者はアレハンドロ以外にも多数いた。
ってかね、監視者の役割がいまいち理解できていないのですが、「監視する」という事はソレスタルビーイングの行動の可否を何らかの規律に基づいて判断しているという事なのかな。
何せ監視する基準が無ければ、そもそも監視する事の意義も無くなる訳ですから。
ソレスタルビーイングが規律外(想定外)の行動に走らないように監視しているといったところでしょうか。
そして、その規律を定めたのはイオリアである、と。

あれだけの武力を持った組織が好き勝手に行動するとなると世界を混乱させてしまいますからねぇ(某運命作品のように)。

◆◆作戦の意義◆◆
消えていく
ガンダムマイスターの命が・・・

いやいや、こんな勝ち目の無い無茶苦茶な作戦を立てたのはあなたでしょうが。
しかし、勝ち目が無くても紛争が起これば武力介入をする必要があるのでしょうね。

今回のスメラギの発言からも、新ガンダム登場は想定外の事態だったという事が分かりますな。
では、誰が新ガンダムを根回ししたのかというと、やはり監視者たるアレハンドロという事になるのでしょうか。
今回は明らかに勝ち目の無い無茶な作戦だったので、ガンダムが鹵獲される事を防ぐために、監視者側から援軍を送り込んだ、と。
よって、監視者側が遵守する規律の中に「ガンダムの鹵獲防止」という事項があるのではないか、と妄想している次第でもあります。
しかし、なぜ今になって新型機が登場したのか?が最大の謎ですが、これは次回以降にお預けですな。

◆◆砂漠の中心で神の名を叫ぶ◆◆
死ぬ…
死ぬのか…?
この歪んだ世界の中で
何にもなれぬまま
失い続けたまま…
朽ち果てるのか…

刹那が目指していたものはガンダムという名の「神」だったという事なのでしょう。
歪んだ不完全な世界を変えられるのは完全なる存在たる神でしかない、と。

しかし、彼は自身が神になれない不完全な存在であると理解しているので、自身を「何にもなれない存在(=神になれない存在)」であると評したのでしょう。
これまでの刹那の神観の変化は、、、

歪んだ世界に絶望し「神」の存在を否定
       ↓
幼少期に救われたガンダムに「神」の姿を垣間見る
       ↓
そのガンダムのパイロットになる事で自分を「神」であると思い込む
       ↓
過去の惨劇を繰り返してしまい、自分が「神」になれない不完全な存在である事を悟る
       ↓
「神」であるガンダムという存在を目指し戦う

といったところでしょうか。
そして、今回、刹那の前に再臨した「神」たるガンダム。
またもや命を救われた事で彼の「ガンダム=神」という観念は強くなった事でしょう。

彼が人の力ではなく、神の力で世界を変えようとしているという事が端的に分かります。
ここのところで人の力の可能性を信じるマリナの観念とミックスされると面白いかな、と。

今回、マリナは前回刹那との会話を回想し、

まさかあの時 あなたは…!

と呟いていましたが、前回の台詞が彼の死地に赴く遺言であると感じたのでしょうか。
マリナに世界が不完全な理由を問いかける事で、死んでいく自分の分までその理由を考えさせたかった、と。

しかし、どうもこのシリーズにおける神とは具現化された存在だけではない感があります。
刹那の信じる神はガンダムですが、マリナの信じる神は具体的な形になっていないようですし(人の可能性?)。
今後、彼女が信じる神の存在についての描写がなされる事を期待したいところです。

関係無いけど、刹那の絶叫にドモン・カッシュの絶叫を重ねたのは私だけでしょうか(笑)?
以上。


シゴフミ

2008-01-15 23:31:14 | その他アニメ
どことなく地獄少女チックだったので見ていたのですが、地獄少女よりも奇をてらう演出が多いように思います。
どっちかと言うとブギーポップシリーズに似ているかな。

1話のラストにしてもそうですが、果たしてあの男子生徒を殺す必要があるのか?と甚だ疑問です。
何と言うか、どんでん返しの演出を狙いすぎてリアリティに欠けているような感じ。

で、よくよく見てみるとシリーズ構成がコードギアスの大河内氏ではないですか。
妙に納得してしまった次第ですw

泣けるガンダム 泣けないガンダム

2008-01-14 19:52:01 | その他アニメ
【泣けるガンダム】
1.機動戦士ガンダム0080-ポケットの中の戦争-

2.機動戦士ガンダムSEED(前半限定)

3.機動戦士ガンダム


【泣けないガンダム】
1.機動戦士ガンダム0083

2.機動戦士Vガンダム

3.新機動戦記ガンダムW


ポケ戦は泣けるガンダムの筆頭として挙げられる不朽の名作なので当然として、SEEDは前半キラきゅんにとてつもなく感情移入できたので毎週、涙、涙で涙が枯れそうでした(泣)。彼が悟りを開いてから涙が完全に止まりましたがw

ちなみに、0083はテロリスト・ガトーを正当化する胡散臭さに全く感情移入できなかったので一滴の涙も流れなかったのですが(と言うよりは失笑の嵐w)、Vガンも人が死にすぎ、Wもキャラが無機質すぎるという理由で泣けなかった。

ダブルオーは現状泣けないガンダムに位置するので、もう少しキャラの感情面を掘り下げて欲しいところです。
アレルヤあたりは感情移入しやすいと思うのですが…。

機動戦士ガンダムOO 14話感想 『決意の朝』

2008-01-13 16:51:49 | 機動戦士ガンダム 00 (ダブルオー)

ちょっと失速したかな。
14話感想。

◆◆OP◆◆
人気バンド第2弾ですが、印象的にはまずまずといった感じ。
神秘的な音楽なので良い感じではあるのですが、個人的にはもう少しパンチ力のある音楽を希望したいところでもあります。

新型ガンダムが3機登場するみたいですね。
刹那達のライバルになれば面白いところ。

◆◆神の存在◆◆
まるで殉教者気取りだ このような行動で戦争根絶など
ガンダムの性能を神の力だと勘違いしているんですよ
馬鹿馬鹿しい
ガンダムは兵器だよ
目的を遂行するため 人を殺めるために作られたものだ

アレハンドロは立場的にはアリーと同じかもしれませんね。
この世に神はいない、むしろ自分こそが神である、みたいな。
彼はソレスタルビーイングを神の代行者ではなく、目的遂行のための兵器として見ているのでしょう。

一方、刹那はガンダムを神と捉え、その神に自身を近付けようと努力している、と。
それは、一度は自身がガンダムになれない事(=不完全な存在である事)を悟ったから。

まぁ、前回の話の復習みたいな会話でしたね。

◆◆人の意思◆◆
こうも世界が早く動くとは…
ヴェーダにも予測できない人のうねりというものがあるというのか

ティエリアが危惧しているものは、想定外の事態を起こし得る可能性を秘めた「人の意思」という事なのでしょう。
予測され仕組まれた世界をぶっ壊せるものは人の意思であり、今後世界を変えていくのも人の意思次第という伏線が張られた感があります。

◆◆決意の朝◆◆
なぜこの世界は歪んでいる?
神のせいか?人のせいか?

神は平等よ
人だって分かり合える
でも どうしようもなく世界は歪んでしまう
だから 私達お互いの事を…!

世界が歪んでいる理由は人間が不完全な存在だからです。
不完全な人間が作り上げる世界が完全なものになるはずがない。
この世に人間が存在せず、完全なる存在たる神しか居なければ世界は歪みの無い完全なものになりますから。

だから、マリナの台詞が重いものとなる。
人間とは不完全な存在であるからこそ分かり合う必要がある、お互いの事を知る必要があるのだ、と。
そのためには、自分の事を知り、相手に自分の事を正確に伝える必要もある、と。
以前から、再三再四、作中で語られている「対話」による絆の構築の必要性がマリナの口からも語られましたね。

「対話」による理解とはニュータイプという神がかり的な特殊能力による理解に対するアンチテーゼです。
神のような完全な存在であればニュータイプ的な特殊能力で分かり合えるのかもしれないが、人間のような不完全な存在は「対話」という不器用かつ回りくどい方法でしか分かり合う事はできない、と。
今作で語られるべき大きなテーマの一つが描写されましたね。

ってか、ここの宮廷の警備は一体どうなっているのか(汗)?とツッコミを入れるべきでしょう。
あんなデカブツ(エクシア)が天から舞い降りてきて誰も気付かないとは(呆)。警備員はクビだな。
こんな事だとマリナ暗殺なんて容易な事に思えるぞw

◆◆END◆◆
刹那の上半身裸には吹いたが、その気持ちは分かるぞw
海にでも行けばいくら刹那でも開放的になるのでしょう。

前回までの復習と次回の予習のような回でしたが、次回以降もこの調子だときっついなぁ。
今回の最大の見所は最小出演で最大の見せ場を作ったコーラサワーであろうw
以上。


機動戦士ガンダムOO 13話感想 『聖者の帰還』

2008-01-07 01:30:00 | 機動戦士ガンダム 00 (ダブルオー)

人間とは不完全であるからこそ人間である、と。
13話感想。

◆◆神とは◆◆
あんたはなぜここにいる?
あんたの神はどこにいる!?

「神はいない」と断言していた刹那が「神」という言葉を連発していた事に違和感を覚えたのですが、物語上、この発言にはとても重要な意味が込められていたように思う。

推測ですが、過去の刹那は神に対して「万物を救済する存在」という観念を持っていたのではないかと思われます。
だが、結局、神が自分を救済してくれなかった事により、彼は神の存在を否定する事になる。

では、今回、刹那が口にしていた「神」とはどういった存在の事を指すのであろうか?
恐らく、ここでの「神」の意味は「人間によって認識されるべき対象」という意味なのでしょう。

神とは完全な存在であり人間とは不完全な存在です。
その不完全な人間が完全なる神の存在を認識する事によって、自己の存在を確立させる、と。
この事が刹那のマスード救済の行動原理につながっているところが、この作品らしく熱く渋いですよ。

以前からガンダムマイスターが不完全な存在であると描かれてきたのも今回の刹那の神観を上手く表現するためだったのでしょうね。
自らを「不完全な存在(人間)」であると認識できるのは「完全なる存在(神)」を知っているからに他ならず、その事を知る事ができるという事は自己を確立している証なのだから。

つまり、神が自己の存在の前提となるのではなく、自分が自己の存在の前提となっているのですね。
過去の刹那は「自分が神によって認識されるべき対象」と考えていたが、現在の刹那は「神が自分によって認識されるべき対象」と考えている、と。

今回のアリーに対しての台詞の意味も

あんたは本当にこの世に存在する意義があるのか?
自分自身を完全な存在(神)だと思い込んでいるんじゃないのか?

という意味だったのでしょうね。
刹那がこの台詞を吐けるようになったのも、前回、自身が「ガンダムになれない事(=不完全な存在である事)」を悟ったからなのでしょう。
この彼の心境の変化は物語上、非常に大きく、彼のマリナに対する以下の台詞にも効いてくるのです。

戦え お前の信じる神のために

「完全なる存在(神)」を信じるという事は、自身の「不完全さ」を自覚する事であり、その自覚によって自己を確立させる事につながり、「不完全な自分」を「為政者として完成された自分」に近付けようと戦う(努力する)事ができるのです。

刹那の台詞を通して、思考停止したアリーと成長の余地があるマリナとを痛烈に対比させており、非常に上手い演出であると感じました。

◆◆聖者の帰還◆◆
今度こそ…
今度こそ…

ガンダムに…!

刹那、ガンダムになるとはこの事でしょう。
前回、争いを止める事ができず、過去、自分が味わった苦い思いをマイスターとなった今でも味わった彼でしたが、マスードをマリナの下に送り届ける事ができ、「ガンダムマイスター」としてのアイデンティティを再確立させる事ができました。
神の救済を待つのではなく、自分が救済するのだ、と。

今回のサブタイトルの聖者とはマスードの事を指すのでしょうが、無抵抗・非武装のエクシアの事も同時に指しているのではないかと思った次第です(聖者は武器を持たずといったところか)。

今までが武力介入という手段を取っていただけに今回のスメラギプランには驚かされましたが、ソレスタルビーイングはこういう手段も取れるという事を世界に伝える意図もあったのでしょうか。

人は争いをやめるために歩み寄る事ができる
歩み寄る事が…

ルーミンの台詞が胸に響きますが、ソレスタルビーイングの今後の方向性を示す上でも今回のミッションは重要な意味を持っていたように思います。

関係無いけど、グラハムってキャラ立ちしているようでしていないよなぁ、と感じさせられた回でもありましたw
以上、13話感想でした。


天元突破グレンラガン 文化庁メディア芸術祭 優秀賞受賞

2008-01-05 20:06:32 | 天元突破グレンラガン
今更ですが、スタッフの皆様、受賞おめでとうございます☆
同じGAINAXの『トップをねらえ!』と似ている部分もありましたが、熱さでは負けず劣らぬ出来だったと思います。
何より親子で楽しめるという点が非常に大きかったかと思う次第です。
歴史に名を刻みましたなw
私の心にもその名を刻んでくれました。

ちなみに、大賞は『河童のクゥと夏休み』でしたとさ。