本日、有給休暇を取った事もあり、散髪のついでに時間つぶしに見に行ってみた話題作『告白』。
宣伝を見る限り、推理ものっぽい話なのかなぁ、なんて軽い気分で見たのですが全く違いました。
かなり濃く深いテーマを描いていましたね。
以下、ネタバレを含む感想ですので、これからこの作品を見ようと思っている方は見ない方が賢明です。
【感想】
理不尽な理由で娘を殺された松たか子演じる女教師が、娘を殺した生徒に自分の受けた苦しみと同じだけの苦しみを味わわせて復讐を成し遂げる、という現代版必殺仕事人のような物語ですが、テーマはかなり深いです。
まず設定面ですが、娘を殺した生徒2人の年齢が13歳である理由は少年法の刑事罰適応年齢である「14歳以上」を意識しているからだと思われます。
よって、例え娘を殺されても13歳である少年達は何の罪に問われる事もなく児童自立支援施設において「更生」を受ける事になる。
被害者遺族からすると、相手が少年であろうが大人であろうが娘を殺した事には変わりない訳であって即刻死刑にして欲しいような人間です。
それを何年間か児童自立支援施設に通うだけで無罪放免になるというのは、理不尽極まりない事だと感じられても致し方ない事。
ここで勘違いしてはいけないのが、この作品は安易に少年法を批判したり復讐を肯定した物語ではないという事。
法学部出身者として少年法の意義について若干説明しておきます。
少年法は「犯した罪にはそれに応じた罰を与えるべき」という応報刑の立場を取っておらず、「更生」を理念としています。
世間では少年法は撤廃するべき悪法であるとする趣きもありますが、少年法を撤廃すると日本が犯罪大国になってしまいます。
なぜなら、少年法を撤廃すると少年法によって定められた少年院制度を廃止する事になり、精神的に未熟な少年に対しても大人と同じ刑事罰が与えられる事になるからです。
すると、大人と同じ更生プログラムを施された少年は完全に更生できず再犯に走る可能性が非常に高くなる。
これが少年法撤廃の最大の問題点であり、少年法を廃止するとなると逆に犯罪が増加する可能性が高いんですね。
単純に比較はできませんが、アメリカでは少年の刑事罰適応年齢を引き下げた事によって、更生できずに再犯に走る少年が急増し逆に犯罪が増加したという前例があります。
まぁ、少年法と言っても60条を超える条文がある訳なのですが、ここでその詳細について解説する事は意味の無い事なので避けます。
では、なぜ作中で少年法を取り上げたのかいうと「社会から理不尽に弾き出されて救済される事の無い人間(=松たか子先生)」を描くためだと思われます。
作中における少年法はその理不尽さを浮き彫りにするためのツールに過ぎない。
その事は同じく社会から弾き出されて犯罪(=松たか子先生の娘殺し)に手を染めざるを得なかった少年達の姿が物語っている。
この作品の真の主題はそういった少年法の是非云々ではなく「大人の心の闇」。
これに尽きると思います。
少年の心の闇ではなく「大人の心の闇」というのが最大のポイント。
親にとっての子供とは「自分の自由になる人格」です。
この作品に登場する母親達は「自分の自由になる人格である子供」を利用して自分の満たされない心を埋めようとしています。
しかし、子供が最も欲しているのは母親からの愛情であり、母親による自己の承認なんですよね。
この母親と子供の間の齟齬(食い違い)から生じる悲劇を描いたのがこの作品。
精神的に満たされない「大人の心の闇」の暴走が結果的に精神的に満たされない少年の心の闇を生み出す事につながってしまっているのです。
例えば、松たか子先生の娘を殺した少年Aの動機は単に世間に自分の偉大さを認めさせたかった、というふざけた動機です。
しかし、このふざけた動機を生み出す要因となっているのが彼の母親による承認の欠如なんですよね。
この少年Aの母親は偉大な研究者だったが、結婚を機に研究職を退き、子供である少年Aに研究職として大成できなかった自分の夢を託す事になる。
彼女にとって少年Aの存在とは自分の成し得なかった夢を叶えるための「道具」に過ぎないんですね。
だから、自分の理想を叶えるには力不足である少年Aを自分の理想を叶えるための存在にするべくして過剰な暴行を加えていた、と。
しかし、そんな母親から受けた歪んだ愛情は、少年Aの中では、「最も信頼するべき母親からすら認めてもらえず社会から弾き出される孤独」という感覚しか残さなかった。
そして、その「孤独」を埋めるために、少年は犯罪に手を染める事になる。
「孤独な自分」の心の隙間を埋めるためには社会に自分の存在を承認させるしかない、と。
ゆえに、少年Aが松たか子先生の娘を殺した理由は自分の存在を社会に認めさせ、自分のアイデンティティを確立したかったから。
ここのところで、「大人の心の闇」が少年の心の闇に飛び火している事が描かれており作中で描きたいテーマが端的に表現されています。
また、少年Aの犯罪に加担した少年Bも社会から弾き出されるという孤独を抱える少年だった。
この少年Bはいわゆる落ちこぼれの部類に入るような少年でクラスというコミュニティの中では弾き出される存在だった。
しかし、少年Bの母親はそのような「落ちこぼれとしての少年B」を受け入れるのではなく「親の言う事を聞く素直で優しい心を持った少年B」という「偽りの少年B」を少年Bに強要していたのです。
そして、その強要によって少年Bは人格を破綻させ母親殺しに走ってしまう事になる。
母親の前では良い子を演じざるを得ず本音を打ち明ける事のできない苦しみ。
その苦しみを真の理解者であるはずの母親は理解してくれないのだ、と。
ここのところでも、素の少年を受け入れられず、「自分の自由になる人格」として理想を強要する母親によって少年の人格が崩壊する様が描かれており、「大人の心の闇」が少年の心の闇に波及する事が克明に描かれております。
秀逸な演出ですね。
そして、「大人の心の闇」の極みとして描写されたのが主人公の松たか子先生。
彼女はシングルマザーなのですが、夫と好きで離婚した訳ではなく、夫がHIVに感染しているという理由で娘の事を想った夫から離婚を突きつけられてしまった哀れな人物。
ゆえに、彼女にとって娘の存在はシングルマザーにならざるを得なかったという「理不尽な現実」に苦しむ心の隙間を埋めてくれる唯一の存在だったのです。
つまり、「自分の自由になる人格」として自分の心を満たしてくれる最後の希望だった、と。
その娘を理不尽な理由で喪失した事により、彼女の心は空洞化してしまった。
その空洞化した心を満たすものが、空洞化する要因を作った生徒に対する復讐だったんですね。
彼女の選んだ復讐の道は加害者生徒を抹殺するという事ではなく、自分が娘を失って感じた想いと同じ想いを加害者生徒に味わわせるというものでした。
ここで彼女が感じた想いとは社会から理不尽に弾き出されたにもかかわらず誰も助けてくれないという絶望感。
即ち、孤独。
少年法は再犯の防止という観点からは存在意義があるが、その正義を実現するためには松たか子先生のような少数の人間が排除されるという側面がある事も否めない。
日本というコミュニティを維持するためには少数の人間が不遇を受ける事も正義としてまかり通ってしまう、と。
その現実の壁の前で、怒りと憎しみを胸にしまい込んでのた打ち回る彼女の心を満たすものは加害少年に対する復讐しかなかった。
そして、加害少年達もクラスというコミュニティを維持するためにイジメの対象となり排除される理不尽さを味わい、自分の事を理解しているふりをしながら全く理解してくれない熱血教師の存在もあり、孤独と絶望に打ちひしがれる事になる。
そして、最終的には自分の心の隙間を埋めてくれる存在になり得る母親を自らの手で殺す事によって、加害少年達は心の隙間を埋めてくれる存在を永久に失う事になるんですね。
これが自分の心の隙間を埋めてくれる存在を永久に失ってしまった松たか子先生が彼らに与えた罰であり、彼女の復讐だったんですね。
彼女の復讐の成就によって物語は完結。
非常に後味の悪い作品だったのですが、大人と子供の関係や真の正義とは何か、という事について深く考えさせられる作品だったと思う次第です。
原作の小説は全く読んでおらず、映画も今日1回だけしか見ていないので細部についての記憶はあまり無いのですが、ざっと作品全体を見た感想はこんな感じです。
いびつな現代社会の理不尽さを理解できる大人ならば考えさせられる事が多い傑作だと思います。
しかし、間違ってもカップルで見に行くような作品ではないのでその点だけはご注意下さい(笑)。
以上。