アスランとミーアのやり取り最高~w
そして、彼らの苦悩が今回の議長の独白の中で語られた訳です。
あの場面は10話『父の呪縛』でのアスラン×ミーアの会話シーンにも通じる部分であり、前作の最大テーマであった“個人”についても語られた訳なのです。
と言う訳で、議長の独白を中心に今回の話を読み解いていこうと思います。
今回の話は現代人には共感できる内容だったんじゃないかな。
美女との逃避行&自分に合わない組織からの脱却ってのは現代リーマンの夢物語みたいなもんだよ(笑)。
36話感想。
◆◆シンはアスランを“敵”と見なすのか?◆◆
35話では『だったら、俺だってどんな敵とでも戦ってやるさ!』と言ったシンですが、次回、今まで味方だったアスランが彼の前に“敵”として現れる事になるんですよね。
果たして彼はアスランを“敵”と見なして討つ事ができるのかどうか?“敵”であるアスランとの戦闘によって今まで敵を“敵”と見なして戦ってきたシンの中に【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生える事になるのでは、と思う次第です。
ゆえに、次回はシンの敵に対する考え方の変化の起点となる重要な回に為りそうな感があります。
◆◆議長の台詞を読み解いてみる◆◆
今回、長々と独白した議長ですが彼の台詞がどのように各キャラに響くかを以下、考えてみたいと思います。
○だが、仕方無いだろう?あれだけの力、野放しにしておく訳にはいくまい~前回の感想でも【議長は平和な世界を築く為には多少の犠牲は当然であり止むを得ないと考えているのではないか?】と書いたのですが、今回の独白シーンで『(AAを討つのも)仕方無いだろう?彼らはこちらの話を聞かず力で解決しようとしたのだから』と言っていた事を考えても、彼はやはり【武力を有する者には武力で対抗するしか無い】と考えているのでしょうね。
私は(以前から言っているように)対話ではなくて武力で解決しようとするAA側にも問題があるのではないか?と思っていたのですが、今回の議長の独白は正にその核心を突いたものだと思います。
幾らキラやカガリが『討ち合っていては駄目だ!』と叫んだ所で結局は彼らも武力を有して戦場に出ているのですから、彼らの行為が矛盾したものであり綺麗事だと映っても致し方無い訳なのです。
ゆえに、AAは自らが強大な武力を有しているという事を自覚しなければいつまで経っても(前作同様に)戦争を無くす事ができず同じ事の繰り返しだと思う次第です。
○人は自分を知り、精一杯できる事をして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう?~名を偽ったアスランとミーアに響く台詞でしょうね。
アスランは『議長の戦う道具にはなれない』と言いながらも、「戦う道具」になる道を選んだ理由はオーブの特使という自分の役割に見合わない役職から脱却したかったからでしょうから。
先の大戦で英雄扱いされていながら、オーブの特使になり周囲からは鼻であしらわれ自身の真の力を発揮できていない日々に不満も多かった事かと思います。
だから、戦場という戦いの場に帰還した事により「これで自分の力を発揮できる」と喜んでいるのが彼の正直な気持ちだったと思います(←ここの所は15話の感想でも書いた事なのでよろしければご覧下さい)。
しかし、現状ではザフトに戻った事を後悔する始末です。ゆえに、彼は本当の自分を知らずに時々に流されて行動していると言えると思います。
〇今のこの世界では我等は誰もが本当の自分を知らずただ時々に翻弄されて生きている~これは正に現状のキラやシン,アスラン,ミーア達を指した表現でしょうね。
彼らは自分の意思とは反対の矛盾した行動を取ってしまっている、と。
キラも『戦いたくない』と言いながら結局は戦場に出ていますし、アスランとシンも【戦争=悪】と分かっていながら戦場に出ている訳なのです。
そして、ミーアも「ラクス」の名を語る事に若干の限界を感じていると思うのですが、それでも自身のアイデンティティを保つ為に自身を偽っているのです。
つまり、彼らは皆、自身を偽っていると言えると思う次第です。
そして、【自分が自分である】と言える何かを探し苦悩し続けているのではないかと。
○彼(キラ)がもっと早く自分を知っていたら…、君達のように自分の力と役割を知り、それを活かせる場所で生きられたら…~前作最終話でクルーゼに対して『力だけが僕の全てじゃない!』と言い、【最高のコーディネイター】という肩書きを越えて自身を“個人”として認識したという“想い”をクルーゼにぶつけたキラ。
今回、議長は『彼も力の使い方を誤った』と言ったのですが、それは議長サイドから見た都合の良い解釈であり、実際のところはキラは自身の強大な力を否定的に捉えていたんですよね。
前述のようにキラは自身を“個人”として見ており、【自分が自分である】と主張できていたのです。
にも拘らず、議長が『彼は不幸であり力の使い方を誤った』と言ったのも議長が彼の強大な力を恐れているという事の裏返しだと思う次第です。
○彼自身も悩み苦しむ事も無くその力は讃えられて幸福に生きられただろうに~人は他人から評価されなければ生きていけない、という事でしょうね。
しかし、キラは前作でその力を讃えられていたんですよね。
ただ民衆を引っ張る程の「絶対的な存在」には為り得なかった訳ですけど。
議長のこの台詞はキラではなくてミーアにこそ該当する台詞だと思います。
現状の彼女は「ラクス」という偽りの名を用いてそこに自身の存在意義を見い出し、【自分を偽る事】に限界を感じつつも人々に認められたいが為に「ラクス」の名を語り道化を演じている訳ですから。
それだけミーアは自分を認めて欲しいのでしょうね。
ってか、ミーア、昔と今では顔立ちが変わったようにも思えるのだが気のせいかw?
◆◆ミーアのアイデンティティ◆◆
『私はラクスなの!ラクスが良い!』
ミーアのこの悲痛な叫びの意味は【“ラクス”という肩書きがあって初めて自分が存在する】という事だと思います。
ゆえに、現状の彼女は【自分が自分である】と言えるものを持っていません。
彼女は自分自身ではなくて“ラクス”という肩書きにアイデンティティを見い出しているんですよね。
よって、彼女が議長の駒というポジションから抜け出す為には、如何に自らを一人の“個人”として見る事ができるかどうかにかかっていると思う次第です。
なぜなら、彼女が“ラクス”の名を捨ててミーアという一人の“個人”として独り立ちする時、彼女は自らのアイデンティティを“ラクス”という肩書きではなくてミーアという“個人”に見い出す事になるのですから。
◆◆アスランのアイデンティティ◆◆
ミーアとの会話中にアレックス時代の自分を回想したアスラン。
彼は“ラクス”という「役割」に自らのアイデンティティを見い出すミーアにオーブの特使という「役割」にアイデンティティを見い出そうとしていた頃の自分を重ねたのでしょうね。
以前、10話の感想で【アスランはミーアに自分を重ねているのではないか?】と書いたのですが、今回の話を見る限りでは、アスランとミーアは似て非なるキャラとして作中では描かれているのでしょうね。
ゆえに、アスランも未だに“パトリックの息子”,“アレックス”といった肩書きに囚われているのでは、と思います。
よって、彼がそういった肩書きから抜け出し【自分は自分である】と言えるようになる時、彼の中でも“個人”というテーマが響く事になると思う次第です。
彼が今回脱走したのも自分探しの為という意味合いも含まれているのではないかと思うんですがねぇ(かなり好意的に解釈)。
◆◆では、メイリンは?◆◆
ミーアとは対照的にアスランの差し延ばした手を掴んだメイリン。
これまでの彼女はどちらかと言うと、アスラン個人ではなくて前大戦の英雄である“アスラン・ザラ”という肩書きに惹かれていたと思うのですが、今回の彼女の行動は肩書きに惹かれてのものではなくて“アスラン個人”に惹かれての事でしょうね。
なぜなら、彼女は体を張ってアスランを助けた後に『(なぜ助けたのか)分からない』と答えているのですから。
つまり、彼女は“アスラン個人”に惹かれ無意識に彼を助けたと言えます。
そして、彼女は(誰に命令された訳でもなく)彼女の“個人”の意思でアスランの手を掴んだのです。
ゆえに、今回の彼女の一連の行動は前作で不完全燃焼に終わったテーマである“個人”を描写しているのではないかと思う訳なのです。
彼女を始めとするミネルバクルーがアスランを「隊長」ではなくて「アスラン」と呼んでいるのも、彼らがアスランを“フェイス”という肩書きを通して見ているのではなくてアスラン“個人”を見ているという証なのではないかと勘繰ってしまう訳なのですがw
◆◆僕は僕 私は私◆◆
フェイス,父の呪縛,アレックスといった様々な肩書きに囚われて【自分が自分である】と言えるものを見失ってしまったアスラン。
「ラクス」という肩書きにアイデンティティを見い出し同じく【自分が自分である】と言えるものを持っていないミーア。
そして、マユの呪縛とステラの呪縛に囚われて自身を見失いながらも戦いの中に身を置くシン。
彼らは議長の駒としての役割を全うする事に自身のアイデンティティを見い出していた訳なのです。
そして、今回、アスランは自らの意思で議長の駒という存在から脱却した訳なのですが、現状の彼はとりあえずAAへ行くという事を決めただけで【どうすれば戦争は終わるのか?】という問いに対する答えが出ておらず混迷状態にある事に変わりは無いと思います。
シンもミーアも右に同じ。
個人的には今回の話の中では前作で不完全燃焼に終わり今作10話でも描かれた“個人”というテーマが描かれたという事を感じ、改めて今作は前作と合わせ鏡的な続編だという事を感じ得た次第です。
今作の最大テーマである【何と戦わねばならないのか?】も前作から描かれてきたテーマですからね。
個人的には『僕は僕 私は私』的な“個人”というテーマは好きなので今回の話は共感できるものがありました。
以上、病んだ現代人のしがない感想でしたw
そして、彼らの苦悩が今回の議長の独白の中で語られた訳です。
あの場面は10話『父の呪縛』でのアスラン×ミーアの会話シーンにも通じる部分であり、前作の最大テーマであった“個人”についても語られた訳なのです。
と言う訳で、議長の独白を中心に今回の話を読み解いていこうと思います。
今回の話は現代人には共感できる内容だったんじゃないかな。
美女との逃避行&自分に合わない組織からの脱却ってのは現代リーマンの夢物語みたいなもんだよ(笑)。
36話感想。
◆◆シンはアスランを“敵”と見なすのか?◆◆
35話では『だったら、俺だってどんな敵とでも戦ってやるさ!』と言ったシンですが、次回、今まで味方だったアスランが彼の前に“敵”として現れる事になるんですよね。
果たして彼はアスランを“敵”と見なして討つ事ができるのかどうか?“敵”であるアスランとの戦闘によって今まで敵を“敵”と見なして戦ってきたシンの中に【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生える事になるのでは、と思う次第です。
ゆえに、次回はシンの敵に対する考え方の変化の起点となる重要な回に為りそうな感があります。
◆◆議長の台詞を読み解いてみる◆◆
今回、長々と独白した議長ですが彼の台詞がどのように各キャラに響くかを以下、考えてみたいと思います。
○だが、仕方無いだろう?あれだけの力、野放しにしておく訳にはいくまい~前回の感想でも【議長は平和な世界を築く為には多少の犠牲は当然であり止むを得ないと考えているのではないか?】と書いたのですが、今回の独白シーンで『(AAを討つのも)仕方無いだろう?彼らはこちらの話を聞かず力で解決しようとしたのだから』と言っていた事を考えても、彼はやはり【武力を有する者には武力で対抗するしか無い】と考えているのでしょうね。
私は(以前から言っているように)対話ではなくて武力で解決しようとするAA側にも問題があるのではないか?と思っていたのですが、今回の議長の独白は正にその核心を突いたものだと思います。
幾らキラやカガリが『討ち合っていては駄目だ!』と叫んだ所で結局は彼らも武力を有して戦場に出ているのですから、彼らの行為が矛盾したものであり綺麗事だと映っても致し方無い訳なのです。
ゆえに、AAは自らが強大な武力を有しているという事を自覚しなければいつまで経っても(前作同様に)戦争を無くす事ができず同じ事の繰り返しだと思う次第です。
○人は自分を知り、精一杯できる事をして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう?~名を偽ったアスランとミーアに響く台詞でしょうね。
アスランは『議長の戦う道具にはなれない』と言いながらも、「戦う道具」になる道を選んだ理由はオーブの特使という自分の役割に見合わない役職から脱却したかったからでしょうから。
先の大戦で英雄扱いされていながら、オーブの特使になり周囲からは鼻であしらわれ自身の真の力を発揮できていない日々に不満も多かった事かと思います。
だから、戦場という戦いの場に帰還した事により「これで自分の力を発揮できる」と喜んでいるのが彼の正直な気持ちだったと思います(←ここの所は15話の感想でも書いた事なのでよろしければご覧下さい)。
しかし、現状ではザフトに戻った事を後悔する始末です。ゆえに、彼は本当の自分を知らずに時々に流されて行動していると言えると思います。
〇今のこの世界では我等は誰もが本当の自分を知らずただ時々に翻弄されて生きている~これは正に現状のキラやシン,アスラン,ミーア達を指した表現でしょうね。
彼らは自分の意思とは反対の矛盾した行動を取ってしまっている、と。
キラも『戦いたくない』と言いながら結局は戦場に出ていますし、アスランとシンも【戦争=悪】と分かっていながら戦場に出ている訳なのです。
そして、ミーアも「ラクス」の名を語る事に若干の限界を感じていると思うのですが、それでも自身のアイデンティティを保つ為に自身を偽っているのです。
つまり、彼らは皆、自身を偽っていると言えると思う次第です。
そして、【自分が自分である】と言える何かを探し苦悩し続けているのではないかと。
○彼(キラ)がもっと早く自分を知っていたら…、君達のように自分の力と役割を知り、それを活かせる場所で生きられたら…~前作最終話でクルーゼに対して『力だけが僕の全てじゃない!』と言い、【最高のコーディネイター】という肩書きを越えて自身を“個人”として認識したという“想い”をクルーゼにぶつけたキラ。
今回、議長は『彼も力の使い方を誤った』と言ったのですが、それは議長サイドから見た都合の良い解釈であり、実際のところはキラは自身の強大な力を否定的に捉えていたんですよね。
前述のようにキラは自身を“個人”として見ており、【自分が自分である】と主張できていたのです。
にも拘らず、議長が『彼は不幸であり力の使い方を誤った』と言ったのも議長が彼の強大な力を恐れているという事の裏返しだと思う次第です。
○彼自身も悩み苦しむ事も無くその力は讃えられて幸福に生きられただろうに~人は他人から評価されなければ生きていけない、という事でしょうね。
しかし、キラは前作でその力を讃えられていたんですよね。
ただ民衆を引っ張る程の「絶対的な存在」には為り得なかった訳ですけど。
議長のこの台詞はキラではなくてミーアにこそ該当する台詞だと思います。
現状の彼女は「ラクス」という偽りの名を用いてそこに自身の存在意義を見い出し、【自分を偽る事】に限界を感じつつも人々に認められたいが為に「ラクス」の名を語り道化を演じている訳ですから。
それだけミーアは自分を認めて欲しいのでしょうね。
ってか、ミーア、昔と今では顔立ちが変わったようにも思えるのだが気のせいかw?
◆◆ミーアのアイデンティティ◆◆
『私はラクスなの!ラクスが良い!』
ミーアのこの悲痛な叫びの意味は【“ラクス”という肩書きがあって初めて自分が存在する】という事だと思います。
ゆえに、現状の彼女は【自分が自分である】と言えるものを持っていません。
彼女は自分自身ではなくて“ラクス”という肩書きにアイデンティティを見い出しているんですよね。
よって、彼女が議長の駒というポジションから抜け出す為には、如何に自らを一人の“個人”として見る事ができるかどうかにかかっていると思う次第です。
なぜなら、彼女が“ラクス”の名を捨ててミーアという一人の“個人”として独り立ちする時、彼女は自らのアイデンティティを“ラクス”という肩書きではなくてミーアという“個人”に見い出す事になるのですから。
◆◆アスランのアイデンティティ◆◆
ミーアとの会話中にアレックス時代の自分を回想したアスラン。
彼は“ラクス”という「役割」に自らのアイデンティティを見い出すミーアにオーブの特使という「役割」にアイデンティティを見い出そうとしていた頃の自分を重ねたのでしょうね。
以前、10話の感想で【アスランはミーアに自分を重ねているのではないか?】と書いたのですが、今回の話を見る限りでは、アスランとミーアは似て非なるキャラとして作中では描かれているのでしょうね。
ゆえに、アスランも未だに“パトリックの息子”,“アレックス”といった肩書きに囚われているのでは、と思います。
よって、彼がそういった肩書きから抜け出し【自分は自分である】と言えるようになる時、彼の中でも“個人”というテーマが響く事になると思う次第です。
彼が今回脱走したのも自分探しの為という意味合いも含まれているのではないかと思うんですがねぇ(かなり好意的に解釈)。
◆◆では、メイリンは?◆◆
ミーアとは対照的にアスランの差し延ばした手を掴んだメイリン。
これまでの彼女はどちらかと言うと、アスラン個人ではなくて前大戦の英雄である“アスラン・ザラ”という肩書きに惹かれていたと思うのですが、今回の彼女の行動は肩書きに惹かれてのものではなくて“アスラン個人”に惹かれての事でしょうね。
なぜなら、彼女は体を張ってアスランを助けた後に『(なぜ助けたのか)分からない』と答えているのですから。
つまり、彼女は“アスラン個人”に惹かれ無意識に彼を助けたと言えます。
そして、彼女は(誰に命令された訳でもなく)彼女の“個人”の意思でアスランの手を掴んだのです。
ゆえに、今回の彼女の一連の行動は前作で不完全燃焼に終わったテーマである“個人”を描写しているのではないかと思う訳なのです。
彼女を始めとするミネルバクルーがアスランを「隊長」ではなくて「アスラン」と呼んでいるのも、彼らがアスランを“フェイス”という肩書きを通して見ているのではなくてアスラン“個人”を見ているという証なのではないかと勘繰ってしまう訳なのですがw
◆◆僕は僕 私は私◆◆
フェイス,父の呪縛,アレックスといった様々な肩書きに囚われて【自分が自分である】と言えるものを見失ってしまったアスラン。
「ラクス」という肩書きにアイデンティティを見い出し同じく【自分が自分である】と言えるものを持っていないミーア。
そして、マユの呪縛とステラの呪縛に囚われて自身を見失いながらも戦いの中に身を置くシン。
彼らは議長の駒としての役割を全うする事に自身のアイデンティティを見い出していた訳なのです。
そして、今回、アスランは自らの意思で議長の駒という存在から脱却した訳なのですが、現状の彼はとりあえずAAへ行くという事を決めただけで【どうすれば戦争は終わるのか?】という問いに対する答えが出ておらず混迷状態にある事に変わりは無いと思います。
シンもミーアも右に同じ。
個人的には今回の話の中では前作で不完全燃焼に終わり今作10話でも描かれた“個人”というテーマが描かれたという事を感じ、改めて今作は前作と合わせ鏡的な続編だという事を感じ得た次第です。
今作の最大テーマである【何と戦わねばならないのか?】も前作から描かれてきたテーマですからね。
個人的には『僕は僕 私は私』的な“個人”というテーマは好きなので今回の話は共感できるものがありました。
以上、病んだ現代人のしがない感想でしたw