とことん青春!

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。

ガンダムSEED DESTINY  36話感想  『アスラン脱走』

2005-06-30 12:33:29 | ガンダムSEED DESTINY
アスランとミーアのやり取り最高~w
そして、彼らの苦悩が今回の議長の独白の中で語られた訳です。
あの場面は10話『父の呪縛』でのアスラン×ミーアの会話シーンにも通じる部分であり、前作の最大テーマであった“個人”についても語られた訳なのです。
と言う訳で、議長の独白を中心に今回の話を読み解いていこうと思います。
今回の話は現代人には共感できる内容だったんじゃないかな。
美女との逃避行&自分に合わない組織からの脱却ってのは現代リーマンの夢物語みたいなもんだよ(笑)。
36話感想。

◆◆シンはアスランを“敵”と見なすのか?◆◆
35話では『だったら、俺だってどんな敵とでも戦ってやるさ!』と言ったシンですが、次回、今まで味方だったアスランが彼の前に“敵”として現れる事になるんですよね。
果たして彼はアスランを“敵”と見なして討つ事ができるのかどうか?“敵”であるアスランとの戦闘によって今まで敵を“敵”と見なして戦ってきたシンの中に【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生える事になるのでは、と思う次第です。

ゆえに、次回はシンの敵に対する考え方の変化の起点となる重要な回に為りそうな感があります。

◆◆議長の台詞を読み解いてみる◆◆
今回、長々と独白した議長ですが彼の台詞がどのように各キャラに響くかを以下、考えてみたいと思います。

○だが、仕方無いだろう?あれだけの力、野放しにしておく訳にはいくまい~前回の感想でも【議長は平和な世界を築く為には多少の犠牲は当然であり止むを得ないと考えているのではないか?】と書いたのですが、今回の独白シーンで『(AAを討つのも)仕方無いだろう?彼らはこちらの話を聞かず力で解決しようとしたのだから』と言っていた事を考えても、彼はやはり【武力を有する者には武力で対抗するしか無い】と考えているのでしょうね。

私は(以前から言っているように)対話ではなくて武力で解決しようとするAA側にも問題があるのではないか?と思っていたのですが、今回の議長の独白は正にその核心を突いたものだと思います。
幾らキラやカガリが『討ち合っていては駄目だ!』と叫んだ所で結局は彼らも武力を有して戦場に出ているのですから、彼らの行為が矛盾したものであり綺麗事だと映っても致し方無い訳なのです。
ゆえに、AAは自らが強大な武力を有しているという事を自覚しなければいつまで経っても(前作同様に)戦争を無くす事ができず同じ事の繰り返しだと思う次第です。

○人は自分を知り、精一杯できる事をして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう?~名を偽ったアスランとミーアに響く台詞でしょうね。
アスランは『議長の戦う道具にはなれない』と言いながらも、「戦う道具」になる道を選んだ理由はオーブの特使という自分の役割に見合わない役職から脱却したかったからでしょうから。
先の大戦で英雄扱いされていながら、オーブの特使になり周囲からは鼻であしらわれ自身の真の力を発揮できていない日々に不満も多かった事かと思います。
だから、戦場という戦いの場に帰還した事により「これで自分の力を発揮できる」と喜んでいるのが彼の正直な気持ちだったと思います(←ここの所は15話の感想でも書いた事なのでよろしければご覧下さい)。
しかし、現状ではザフトに戻った事を後悔する始末です。ゆえに、彼は本当の自分を知らずに時々に流されて行動していると言えると思います。

〇今のこの世界では我等は誰もが本当の自分を知らずただ時々に翻弄されて生きている~これは正に現状のキラやシン,アスラン,ミーア達を指した表現でしょうね。
彼らは自分の意思とは反対の矛盾した行動を取ってしまっている、と。
キラも『戦いたくない』と言いながら結局は戦場に出ていますし、アスランとシンも【戦争=悪】と分かっていながら戦場に出ている訳なのです。
そして、ミーアも「ラクス」の名を語る事に若干の限界を感じていると思うのですが、それでも自身のアイデンティティを保つ為に自身を偽っているのです。
つまり、彼らは皆、自身を偽っていると言えると思う次第です。
そして、【自分が自分である】と言える何かを探し苦悩し続けているのではないかと。

○彼(キラ)がもっと早く自分を知っていたら…、君達のように自分の力と役割を知り、それを活かせる場所で生きられたら…~前作最終話でクルーゼに対して『力だけが僕の全てじゃない!』と言い、【最高のコーディネイター】という肩書きを越えて自身を“個人”として認識したという“想い”をクルーゼにぶつけたキラ。
今回、議長は『彼も力の使い方を誤った』と言ったのですが、それは議長サイドから見た都合の良い解釈であり、実際のところはキラは自身の強大な力を否定的に捉えていたんですよね。
前述のようにキラは自身を“個人”として見ており、【自分が自分である】と主張できていたのです。
にも拘らず、議長が『彼は不幸であり力の使い方を誤った』と言ったのも議長が彼の強大な力を恐れているという事の裏返しだと思う次第です。

○彼自身も悩み苦しむ事も無くその力は讃えられて幸福に生きられただろうに~人は他人から評価されなければ生きていけない、という事でしょうね。
しかし、キラは前作でその力を讃えられていたんですよね。
ただ民衆を引っ張る程の「絶対的な存在」には為り得なかった訳ですけど。

議長のこの台詞はキラではなくてミーアにこそ該当する台詞だと思います。
現状の彼女は「ラクス」という偽りの名を用いてそこに自身の存在意義を見い出し、【自分を偽る事】に限界を感じつつも人々に認められたいが為に「ラクス」の名を語り道化を演じている訳ですから。
それだけミーアは自分を認めて欲しいのでしょうね。
ってか、ミーア、昔と今では顔立ちが変わったようにも思えるのだが気のせいかw?

◆◆ミーアのアイデンティティ◆◆
『私はラクスなの!ラクスが良い!』
ミーアのこの悲痛な叫びの意味は【“ラクス”という肩書きがあって初めて自分が存在する】という事だと思います。
ゆえに、現状の彼女は【自分が自分である】と言えるものを持っていません。
彼女は自分自身ではなくて“ラクス”という肩書きにアイデンティティを見い出しているんですよね。
よって、彼女が議長の駒というポジションから抜け出す為には、如何に自らを一人の“個人”として見る事ができるかどうかにかかっていると思う次第です。
なぜなら、彼女が“ラクス”の名を捨ててミーアという一人の“個人”として独り立ちする時、彼女は自らのアイデンティティを“ラクス”という肩書きではなくてミーアという“個人”に見い出す事になるのですから。

◆◆アスランのアイデンティティ◆◆
ミーアとの会話中にアレックス時代の自分を回想したアスラン。
彼は“ラクス”という「役割」に自らのアイデンティティを見い出すミーアにオーブの特使という「役割」にアイデンティティを見い出そうとしていた頃の自分を重ねたのでしょうね。

以前、10話の感想で【アスランはミーアに自分を重ねているのではないか?】と書いたのですが、今回の話を見る限りでは、アスランとミーアは似て非なるキャラとして作中では描かれているのでしょうね。
ゆえに、アスランも未だに“パトリックの息子”,“アレックス”といった肩書きに囚われているのでは、と思います。
よって、彼がそういった肩書きから抜け出し【自分は自分である】と言えるようになる時、彼の中でも“個人”というテーマが響く事になると思う次第です。
彼が今回脱走したのも自分探しの為という意味合いも含まれているのではないかと思うんですがねぇ(かなり好意的に解釈)。

◆◆では、メイリンは?◆◆
ミーアとは対照的にアスランの差し延ばした手を掴んだメイリン。
これまでの彼女はどちらかと言うと、アスラン個人ではなくて前大戦の英雄である“アスラン・ザラ”という肩書きに惹かれていたと思うのですが、今回の彼女の行動は肩書きに惹かれてのものではなくて“アスラン個人”に惹かれての事でしょうね。
なぜなら、彼女は体を張ってアスランを助けた後に『(なぜ助けたのか)分からない』と答えているのですから。
つまり、彼女は“アスラン個人”に惹かれ無意識に彼を助けたと言えます。
そして、彼女は(誰に命令された訳でもなく)彼女の“個人”の意思でアスランの手を掴んだのです。
ゆえに、今回の彼女の一連の行動は前作で不完全燃焼に終わったテーマである“個人”を描写しているのではないかと思う訳なのです。
彼女を始めとするミネルバクルーがアスランを「隊長」ではなくて「アスラン」と呼んでいるのも、彼らがアスランを“フェイス”という肩書きを通して見ているのではなくてアスラン“個人”を見ているという証なのではないかと勘繰ってしまう訳なのですがw

◆◆僕は僕 私は私◆◆
フェイス,父の呪縛,アレックスといった様々な肩書きに囚われて【自分が自分である】と言えるものを見失ってしまったアスラン。
「ラクス」という肩書きにアイデンティティを見い出し同じく【自分が自分である】と言えるものを持っていないミーア。
そして、マユの呪縛とステラの呪縛に囚われて自身を見失いながらも戦いの中に身を置くシン。
彼らは議長の駒としての役割を全うする事に自身のアイデンティティを見い出していた訳なのです。

そして、今回、アスランは自らの意思で議長の駒という存在から脱却した訳なのですが、現状の彼はとりあえずAAへ行くという事を決めただけで【どうすれば戦争は終わるのか?】という問いに対する答えが出ておらず混迷状態にある事に変わりは無いと思います。
シンもミーアも右に同じ。

個人的には今回の話の中では前作で不完全燃焼に終わり今作10話でも描かれた“個人”というテーマが描かれたという事を感じ、改めて今作は前作と合わせ鏡的な続編だという事を感じ得た次第です。
今作の最大テーマである【何と戦わねばならないのか?】も前作から描かれてきたテーマですからね。
個人的には『僕は僕 私は私』的な“個人”というテーマは好きなので今回の話は共感できるものがありました。

以上、病んだ現代人のしがない感想でしたw

ガンダムSEED DESTINY 35話感想 『混沌の先に』

2005-06-22 18:34:17 | ガンダムSEED DESTINY
今回は今までの話の集大成と言える回だったんじゃないかな。
今作のテーマは【何を“敵”として討たなければならないのか?】ですよ、と視聴者に種明かしする回だったと思います。

何せ、出て来るキャラクターが皆、口を揃えて「敵」という単語を声に出したのですから(笑)。
『キラもAAも敵じゃないんだ!』(byアスラン)
『(AAは)敵です。あちらの思惑は分かりませんが本国が敵と定めたのであれば敵です』
『何が敵であるかどうかなんて陣営によって違う。人によってもそうだ』(byレイ)
『今度はザフトが敵かよ…』(byフラガ)
『白のクイーンは強敵だ』(by議長)
『討つべき敵とその理由が明確になった訳ね』(byタリア)
『だったら俺だってどんな敵とでも戦ってやるさ!』(byシン)etc
35話感想。

◆◆弱さを露呈したアスラン◆◆
シンに言い返す言葉も無く殴りかかったアスランですが、この行動は彼の弱さを露呈させる事になったかと思います。
結局はシンに言い返す言葉が無かった為に殴りかかった訳ですからね。
つまり、アスラン自身、シンの言っている事を認めてはいるんですよね。

しかし、シンの行為を認めてしまうとキラを討ったという事実を認めてしまう事にもつながるので行き場の無い苛立ちをぶつける事ができずに殴りかかるしか無かったのでしょうね。
現状の彼は完全に【何と戦わねばならないのか?】という問いに対する答えが見えなくなってしまっているのでしょう。
レイの言うようにザフトに所属すればザフトに対抗する相手は“敵”になるのです。
それ(=敵を“敵”と見なして討つ事)に耐え切れないのであれば素直にミネルバを降りれば良いだけの話なのです。
次回、アスランはミネルバを脱走する訳ですが、仮に彼がAAに移動する事になったとしても何も変わらないのでは、と思います。
なぜなら、AAも武力を有して戦場に出ている以上は対抗する相手に“敵”と見なされ戦わなければならないからです。
それではアスランにとっては戦う対象が変わるだけで何の解決にもなりません。

よって、アスランがAAに移ろうとするのであれば、それは単にAAを“敵”として戦いたくないからと思われても仕方の無い事な訳です。
ゆえに、彼が本当に戦争に携わらずに戦争を終らせたいと考えているのであれば、武力で解決する以外の手段を見つけなければ(戦争を無くす事のできなかった)前作と同じ轍を踏む事にも為りかねないと思う次第です。

◆◆ミーアの限界◆◆
以前、19話の感想でも書いたのですが、ミーアはラクスを演じる事に対して疲労感を感じているのではないかと思うんですよね。
そして、彼女のこの疲労感が頂点に達した時、彼女は自身の行為に疑念を抱く事になるのではないかと思います。
その時が彼女と議長の確執の時であり、彼女が議長の駒という存在から脱却し自らの意思で動き始める事になる時だと思う次第です。
個人的にはミーアには議長と対決し合って欲しいな、と思っている訳ですが。

◆◆敵を“敵”として討つ事を割り切っているのがレイのポジション ◆◆
『(AAは)敵です。あちらの思惑は分かりませんが本国が敵と定めたのであれば敵です』と言い『何が敵であるかどうかなんて陣営によって違う。人によってもそうだ』とアスランに語ったレイですがこれで彼のポジションが明確になってきたかと思います。
今まではどちらかと言うと議長の命令に忠実な現実主義者という印象が先行していたのですが、彼は作中では議長の思想を受け入れ、敵を“敵”と見なして討つ事を割り切っているキャラとして描かれているのでしょうね。

そして、周囲の人間を議長や自分と同じ考えに感化させる事が彼の役目なのではないかと思います。
だから、今回のアスランへの反発や『どんな敵とだって戦ってやるさ』と言ったシンの肩を叩いた事等も全ては周囲の人間を議長と同じ考えに感化させる為かと。
前回の感想でも書いたように今作では【敵というカテゴリーを作る事を肯定的に考える事】は否定的に描かれる事になると思うのでAAを【明確な敵】と認識したレイの考えは否定的に描写される事になると思います。
つまり、現状の彼は議長やシンと同様に作中では間違った考えを持ったキャラとして描写されていると思う次第です。

◆◆フラガとマリューは敵同士◆◆
『ムウ・ラ・フラガってのはあんたの何なんだ?』と聞かれ『戦友よ。かけがえないの無い…。でも、もう居ないわ』と答えたマリューですが、この台詞の意味は彼女の中でのフラガは【味方(戦友)】のフラガであり【敵(地球連合)】のフラガではない、という事だと思います。
そして、フラガも『ここは(俺にとって“敵”である)オーブの船だろ?』と言ってマリューを敵視しているのです。
つまり、彼らの関係は敵同士という事になるんですよね。
ゆえに、彼らの関係からも【何と戦わねばならないのか(=何を敵として討たなければならないのか)?】という今作の最大テーマが描写されている訳なのです。
OPでフラガに銃を向けながら戸惑いの表情を見せるマリューの姿からも彼女が【何と戦わねばならないのか?】という事について苦悩している事が見て取れる訳ですけどね。

個人的にはフラガが『今度はザフトが敵かよ…』と言った時にマリューがフラガの視界に入ってきたのは上手い演出だと思いました。
この演出の意味する所はマリューとフラガの敵同士という関係の強調でしょうね。
しかし、フラガがマリューを見た瞬間にうつむきながら『敵かよ…』と言った事を考えると、彼は自身に特別な感情を抱いているであろう彼女を敵視する事に若干の戸惑いを覚えているようにも思える次第です。
この彼の戸惑いが彼らを【“敵”という枠を越えた相互理解】に導く事に為り得るのではないかと思う訳ですが。

◆◆タリアは議長の平和主義に疑念を抱いたか? ◆◆
『討つべき敵とその理由が明らかになった訳ね。ありがたい事かしら?』と言ったタリアですが、この台詞から察するに彼女は【本当に敵を敵と見なして討つ事が正しいのか?】という疑念を抱いているのではないかと思います。
彼女のポジションはシンやレイとは違って敵を敵と見なして討つ事を肯定的に考えている訳ではないのでしょうが、かと言って、キラやラクスのように敵を敵と見なして討つ事を完全に否定している訳でも無いでしょうから現状は議長の行動に疑念を抱いている中性的なポジションであるといった所かと思います。

彼女の考えが今後どのように変化していくか注目したい所ですが、展開次第では彼女の率いるミネルバのザフト離脱も有り得ない話ではないかもしれないと妄想する次第ですw

◆◆議長の真の狙いと脅威となる真の敵◆◆
議長がロゴスを“敵”として討とうする理由はロゴスを「絶対的な悪」に仕立て上げ民衆に【討つべき“敵”】であると認識させたいからではないでしょうか。
つまり、自身を「絶対的な悪」であるロゴスを討つ「絶対的な正義」であるとしてロゴス亡き後の世界を統治する「絶対的な存在」に為りたいからなのではないかと思います。
そして、自身が頂点に君臨する「絶対的な存在」として世界を争いの無い一つの国にまとめ上げたいのではないかと。
なぜなら、世界を一つの国にまとめる事ができれば世界から“敵”という概念が消滅し戦争も消滅するからです。

しかし、彼にとっての恐れるべき真の“敵”はロゴスではなくキラとラクスだという事が今回明らかになったのです。
私は前回の感想で「議長にとっての真の“敵”はキラとラクスなのではないか?」と書いたのですが、今回、議長がフリーダム撃破の報を受けて『これでチェックメイトか』と言った事やラクスを評して『白のクイーンは強敵だ』と言った事を考えても、彼はキラとラクスとAAを自身のチェス盤上で戦っている【真の“敵”】だと捉えているのでしょうね。
以前、29話の感想で【キラとラクスは議長のチェス盤上の“敵”の駒なのではないか?】と書いたのですが、正にその通りだったという事が今回の話で証明されたのです。

やはり、議長はキラとラクスが自分に代わる【絶対的な存在】になる事を危惧しているのだと思います。
なぜなら、議長が【絶対的な存在】として頂点に君臨して統治する世界にキラとラクスという民衆を率いる力を持ったもう一つの【絶対的な存在】が生じる事によって彼が目指しているであろう争いの無い世界の構築が阻害される可能性もあるからです。
なぜなら、世界に【絶対的な存在】が2つ生じる事によって互いが敵視し合い争いが生じる可能性があるからです。
ゆえに、議長がシンを(デストロイを討った)英雄にしようとしたりミーアをラクスの代役にしようとしたのも裏を返せばキラとラクスの力を恐れているからだと思う次第です。

◆◆だったら、俺だってどんな敵とでも戦ってやるさ!◆◆
戦争を終らせるには敵を敵と見なして討つしかない。『どんな敵とでも戦ってやるさ!』と言ったシンの姿は【敵は敵】という考えに凝り固まってしまったように見えました。

しかし、彼自身、【戦争=悪】であり早く終わらせなければならないという考えは持っているんですよね。
戦争を終わらせるという目的はキラやラクスと同じ訳ですが、戦争を終わらせる手段の面でシンとキラ&ラクスは食い違いを起こしているのだと思う次第です。
議長にデスティニーを渡されると聞いて喜んだのも「この機体で敵を倒せば戦争を終わらせる事ができる」と考えたからかと。

議長やレイと同じく【敵というカテゴリーを作る事】を正しいと考えているのが現状のシンなんですよね。
つまり、彼の考えは作中では否定的に描写されなければならないのです。
今後の展開においては戦場ではシンとキラが対決し戦場外では議長とラクスが対決する事になるのでしょうけど。
次回のアスラン脱走やAAとの度重なる接触でシンの中で何らかの「変化」が訪れるかどうかに注目したい所です。

◆◆プロパガンダとしてのレジェンドとデスティニー◆◆
兵器を作るロゴスを討つと言っておきながら自分は新たな兵器を授けようとしている時点で議長の行動は矛盾している訳なのですが、彼の狙いはシンとアスランの英雄化でしょうね。
つまり、シンとアスランを前作のフリーダムのような英雄に仕立て上げる事によってそんな英雄を部下に持つ議長は世界を統治する【絶対的な存在】であり民衆からはカリスマ的な存在に為り得るんですよね。
今現在、敵であるはずのナチュラルまでもを味方にした議長にとってはロゴスを討てば世界を統一する支配者として争いの無い世界を構築する事が可能なのです。

その為のプロパガンダがシンとアスランでありレジェンドとデスティニーなのではないかと思う次第です。
ただ、問題は議長がロゴスを“敵”と見なして討とうとしている事とキラとラクスを真の“敵”と見なして排除しようとしている事でしょうね。
彼が武力で争いの無い世界を構築しようとしているのならば、その過程では多くの犠牲を伴うのです。
さしずめ、議長は【平和な世界を築く為には多少の犠牲は当然であり止むを得ない】といった考えであり、キラやラクスは【例え平和な世界を築く為であったとしても一人の犠牲も出してはならない】という考えだと思います。
そして、キラ達AAはその為の方法を試行錯誤している最中かと。
【僕達は迷いながら辿り着く場所を探し続け・・・】とはAAの事を指した歌詞と言えるかもしれません。

以上、今作のテーマが如実に語られたと感じた35話の感想でした。

ガンダムSEED DESTINY 32話『ステラ』&33話『示される世界』&34話『悪夢』 感想

2005-06-13 08:35:47 | ガンダムSEED DESTINY
いやぁ、物語が大きく動いてきましたねぇ。
そして、私はこれまでの感想の中で今作のテーマは【何を“敵”として討たなければならないのか?】という事なのではないかと(くどいくらいに)繰り返し言ってきた訳ですが、正にその通りだったという事がこの3話で証明されたのでちと嬉しくもあります(笑)。

今までの話の中では視聴者に悟られないように今作のテーマが語られてきた訳ですが(←詳しく知りたければ私の過去の感想をご覧下さい)、ここに来て頻繁に“敵”という単語が飛び交うようになりましたし(『あれ(=AA)はUNKNOWNじゃない。ENEMYだ』(by34話のザフト司令官),『キラは敵じゃない!』(byアスラン),『敵を間違えないで!』(byタリア),『ロゴスこそが真の敵です!』(by議長),『敵ではないものを討ってはならない!』(byカガリ)etc)。
多忙につき3話まとめての感想を流し気味にw

◆◆敵って誰だよ?◆◆
7話でアスランがルナマリアに対して言ったこの一言が今作のテーマを端的に表す台詞だったという事がこの3話で明確になった訳です。
正に現状の各キャラは『敵って誰だよ?』の状態に陥っている訳ですから。

そして、【敵という枠を超えた相互理解】を描写する事が今作のテーマを結実させ今作を大団円へと導く為の必須事項だと思う次第です。
なぜなら、敵同士が敵という枠を超えて分かり合えれば戦争も消滅するからです。
つまり、敵が無くなれば戦争も無くなる、と。
よって、議長の演説,キラとシンの関係,キラとアスランの関係,ネオとマリューの関係等は今作のテーマに大きく関わってくる訳なのです。

そういった意味では32話,33話,34話は物語が大きく動き出す起点となる話だったのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、以下私的考察。

◆◆敵を作る行為を肯定的に考える事が作中悪 敵を作る行為を否定的に考える事が作中善◆◆
製作者側が今作で非戦を描きたいと言った以上は今作においては「戦争をする」という行為は否定的に描写されなければならないのです。
即ち、【敵を作る】という行為は作中では否定的に描写されなければならない、と。
なぜなら、敵を作る事によって戦争は起こってしまうのですから。

よって、敵を作る事に肯定的な人間は作中では否定的に描写されなければならないんですよね。
だから、今現在、敵を作る事に肯定的な議長,シン達の考えは作中では否定的に描写されなければならないのです。
一方で、敵を作る事に否定的なキラ,カガリ,ラクス,アスラン達の考え方は肯定的に描写される事になると思うのですが、最大の問題はキラ達AAが武力を有して戦場に出ているので相手に“敵”という概念を与えてしまっているという事でしょうね。
私は【敵という概念を作る事】が否定的に描写されるのであれば、【敵という概念を作らせる事】も否定的に描写されなければならないのでは、と思うのですが…。

◆◆シンは復讐する事の虚しさに気付く事になるか?◆◆
キラを討ち、『やった、ステラ やった…』と呟いたシンですが、彼は復讐する事の虚しさに気付く事になるのでは、と思います。
なぜなら、仮に彼がキラを討ったとしてもステラは戻って来ないからです。

これまでの展開の中で他人への憎悪の感情に身を任せ戦ってきたシンは、自身の憎悪をぶつける対象であり憎むべき“敵”であるキラを討った今、果たして何を思うのでしょうか?
“敵”を消滅させれば自身の鬱屈とした感情を晴らす事ができると信じて止まなかったであろうシンですが、キラを討った後の彼の放心状態を見る限りでは敵を“敵”として討ってきた自身の行為への疑念が芽生えるのでは、と思う次第です。
つまり、シンの中にも【何と戦わねばならないのか?】という疑念が芽生えるのではないかと。

まぁ、キラは(前作でアスランに討たれた時に生きていた事を考えても)不死身でしょうからまた新しい機体をラクス辺りから譲渡されて舞い戻ってくるんじゃないですかね(苦笑)。

◆◆シンとステラの関係破綻はキラとシンの相互理解で消化するのか?◆◆
こう考えると、今作においては【キラとシンの相互理解】を描く事が今作のテーマを結実させる事になるのでは、と思います。
私は、以前からシンとステラが“敵”という枠を超えて理解し合えれば今作のテーマである【戦争を無くす(=“敵”を無くす)希望】が描かれるのではないかと考えていたのですが、ステラは死に、シンはステラを討ったキラを憎むべき“敵”であると認識してしまいましたからね。

確かにシンとステラの関係の中でこのテーマに触れる部分が描かれはしましたが、結果的にシンがキラへの復讐の念を抱いたのであれば、このテーマはシンとステラの関係ではなくてシンとキラの関係の中で描かれる事になるのではないかと思う次第です。
つまり、シンとステラの関係破綻はキラとシンの相互理解への伏線なのではないかと。

今現在、キラを明確な討つべき“敵”であると認識しているシンですが、キラとシンが“敵”という枠を超えて理解し合えれば今作の最大テーマである【戦争を無くす(=“敵”を無くす)希望】が描写される事になると思う次第です。
ゆえに、キラとシンが再び戦場で再会する時が一つのポイントになりそうな感があります。

◆◆フラガとマリューの関係に見る“敵”という概念◆◆
マリューの事を完全に忘れ去ってしまったフラガですが、彼が記憶を失いマリューの事を忘れてしまっている以上は、地球連合に所属する彼とAAに所属するマリューは敵同士という事になってしまうんですよね。

つまり、フラガとマリューの関係も『敵って誰だよ?』の状態に陥っている訳なのです。
よって、彼らが現状、“敵”である立場を超えて相互理解の境地に達する事ができれば、今作の最大テーマである【戦争を無くす(=“敵”を無くす)希望】が彼らの関係からも描かれる事になると思う次第です。
その為には、フラガがマリューの事を思い出す事が(今作のテーマを描く上での)必須条件になると思うのですが、今回のフラガの『どうしてここはいつも、こう…』という台詞を聞く限りではAAに帰った事で徐々に彼の中の記憶が甦りつつあるのではないかと感じ得る次第です。

◆◆議長の演説に見る“敵”という概念◆◆
『そうして常に敵を作り、世界に戦争をもたらさんとするロゴスこそが平和を望む我々の真の敵です!』と演説した議長ですが、結局、彼もロゴスという明確な“敵”を民衆に示したのです。
つまり、議長も“敵”を作る事により常に世界を戦争状態に陥れてきたロゴスと同じ道を歩んでいる訳なのです。

彼は自身の矛盾した行動を理解しているのでしょうが、ロゴスを絶対的な「悪」とし、自身を絶対的な「正義」であるとしてしまえば、自身が民衆にとっての“敵”になる事を防ぐ事にもつながるんですよね。
だから、ナチュラルにとっての討つべき“敵”であるはずのザフトを「正義の味方」とし、ロゴスを討つべき“敵”であるとしたかったのではないかと思います。
つまり、正義の味方であるザフト軍が悪の親玉であるロゴスを討つ、と民衆に見せる事によって、自分も(ロゴス同様に)“敵”を作り戦争を起こしているという事実を民衆に悟られないようにする事が目的なのではないかと。
そのための駒がミーアなのではないかと思います。
なぜなら、ミーアは民衆から絶大なる支持を得ている「ラクス」の名を語り、民衆を誘導するプロパガンダとしては打ってつけの駒だからです。

そう考えると、議長は対話ではなく武力によって平和を得ようとするタイプの為政者なのではないかと思います。
そして、その為には自身が平和な世界を統一する為の絶対的な存在になる必要があり、自身にとっての平和を脅かす存在を絶対的な“敵”として滅ぼさなければならない、と。
なぜなら、“敵”がいなくなれば戦争も無くなるからです。

◆◆議長の真の“敵”◆◆
しかし、議長にとっての真の“敵”はロゴスではなくてキラとラクスなのではないかと思います。
なぜなら、キラとラクスは前大戦の英雄だからです。
その英雄である彼らが、自らを“敵”と認識すれば、自分の事を「絶対的な正義」だと思っている民衆も議長を「絶対的な悪」であり【絶対的な“敵”】であると認識してしまう可能性もある訳なのです。
つまり、議長はキラ&ラクスが自らを討つべき“敵”と認識するという事を恐れているのではないかと。
だから、彼らが行動を共にする事を危惧しているのではないかと思う次第です。

今回、議長の演説の中で出てきた映像からフリーダムが削除されたのも、過去の大戦で英雄視されたフリーダムが再び、絶対的な「悪」であるデストロイを討つ英雄になる事を危惧したからなのでは、と思います。
そして、ミーアを演説の場で起用したのも、ミーアが武力による平和を追求しようとする自分にとって思いのままに操れる駒になれるからなのではないかと。
議長がラクスをプラントに呼び戻さずミーアを起用したのも、ラクスは敵を作りその敵を「絶対的な悪」として討つ事に否定的なので議長の思いのままに操れる駒に為り得ないからなのではないかと思う次第です。

こう考えても、現状の議長にとっての恐れる真の敵はキラとラクスという事になるのではないかと思います。

◆◆カガリとラクスのアプローチは?◆◆
そして、ここで重要になってくるのがカガリとラクスのアプローチです。
彼女達は議長とは逆に“対話”によって戦争を無くす力を持っているんですよね。

つまり、議長は敵を“敵”と見なして武力によって“敵”を殲滅する事で戦争を無くすというアプローチを取っていると思うのですが、カガリとラクスは敵を“人間”と見なし対話によって“敵”と分かり合う事で戦争を無くすというアプローチが可能なのです。
今回、カガリがオーブに向かう事になったので、いよいよ議長と違うアプローチで戦争を無くそうとする彼女が為政者として返り咲く時が来るのではないかと思います。
そして、宇宙に上がったラクスとタッグを組む事も考えられるので、議長(武力主義)VSカガリ&ラクス(対話主義)の政治面での駆け引きも見られるのではないかと期待する次第です。

◆◆武力で解決しようとした結果、憎しみの連鎖にはまったキラのポジションは?◆◆
議長,ラクス,カガリ達、主要キャラのポジションが確立しそうな中、シンに討たれたキラのポジションは不透明なままなんですよね。

前作でクルーゼに論破され、結局は「フレイを失った悲しみ」をクルーゼにぶつけ不殺の信念を破り武力で解決したキラですが、散り際に不敵な笑みを浮かべたクルーゼの姿はキラを“憎しみの連鎖”にはめる事に成功し勝ち誇っているかのように映りました。

そして、今作でも不殺の信念をステラに破られたキラ。
彼は28話でアスランに『カガリが守ろうとするものを討とうとするの?』と言いましたが、彼もシンが守ろうとしたステラを自らの手で討ったんですよね。
今作では彼の言動は一貫して矛盾していると思うのですが、その矛盾が「ステラの死」で完全に証明されることになった訳なのです。
つまり、彼はウズミの言った憎しみの連鎖にはまる事を危惧しながらも自らが憎しみの連鎖にはまってしまっているという事実には気付いていないのです。

彼が自身の行為の矛盾に気付く事になるのは、ステラを討たれた憎しみから彼を“敵”と見なして討とうとしたシンと再会する時なのではないかと思います。
戦場に出て戦うという自身の行為によってシンの守りたかったステラを失わせた現実を認識する時、キラの中で戦うという事に対する考え方の「変化」が訪れる事になるのではないかと思う次第です(と言うか、期待しています)。

◆◆混迷極まるアスラン◆◆
キラ同様に未だにポジションが不明確なのがアスランです。

『キラは敵じゃない!』と言ったアスランですが、ザフトに所属している以上、彼の敵はザフトに武力で対抗するものという事になってしまうんですよね。
『何でザフトに戻ってきたんだ?』,『フリーダムは敵だ』とシンに罵られ、レイにも鼻であしらわれる彼は正に混迷極まる状態と言えるでしょうね。

彼は『敵って誰だよ?』と言いながらもセイバーを議長から譲り受けた自身の行為の矛盾にようやく気付き始めているのではないかと思います。
つまり、戦場で戦うという行為の矛盾に気付き始めているのではないかと。

そして、今回、彼にとっての味方であるシンがキラを“敵”と見なして討った事により、彼は誰が敵で誰が味方なのか完全に分からなくなってしまったのでしょうね。
ゆえに、今作のテーマを端的に表した台詞である『敵って誰だよ?』の一言は正に現状の彼に最も響く台詞なのではないかと思う次第です。

◆◆真の敵 真の力とは?◆◆
こう考えてみると、今作の真の敵は【戦いを求める行為そのもの】で真の力とは【対話で解決しようとする力】という事になるのでは、と思います。
なぜなら、キラとシンが戦い合わなければならなくなってしまったのもキラが【武力で解決する】という手段しか持ち得ていなかった為にステラを殺し、ステラを殺されたシンはキラを明確な“敵”と見なして彼との【戦いを求めた】からです。
そして、議長も戦いを求め、(ロゴスという)明確な“敵”を作り、武力で解決しようとしているんですよね。

結果、戦争は無くなる事なく世界は戦争状態に陥ったままです。
つまり、本当に戦争を無くす為には敵を作らず、対話で歩み寄らなければならないと思う訳ですが。
なぜなら、武力で解決しようとせずに戦いを求めず“敵”を作らなければ戦争が起こる事も有り得ないからです。

ゆえに、今後の展開の中では【真の敵,真の力とは何なのか?】という事について描写される事になるのではないかと思う次第です。

以上、ここにきて物語が大きく動き出したと感じた32話&33話&34話の感想でした。
余談ですが、シンが自分自身を忘れない為にステラに手渡した貝殻(=シンの分身)を首にかけたまま湖の底へと沈んでいくステラの姿が物悲しかったです(涙)。