土曜日のことです。糸駒のお稽古場がとても賑やか、春の美登利会の鬘(かつら)合わせが行われてました。
鬘合わせは、日本舞踊の舞台で使う鬘の地金を、演目の役ごと、そして出演者ひとり一人の頭の形に合わせてしつらえる作業です。だいたい、舞台のある1月半前ぐらいに行います。地金をしつらえる職人さんが「鬘屋」さん、その地金の上に髪を結うのが「床山」さんです。
まずは紙を紫の布で包みこみます。この紫の布は羽二重でできているので、白い紐のついたものも「羽二重」と呼ばれています。
羽二重を巻いたら、鬘屋さんは、まず額に当たる地金を調製します。結う髪型によって形の違う地金を、出演者の額の形にしっかり合わせるため、木槌で叩いて成形して行きます。
額の地金が調製できると、後頭部の帯状の地金を合わせます。髪型によって、1本だったり、2本だったりします。
頭の形に合わせて、額の地金と帯状の地金がはと目で止められます。
最後に、しっかり頭の形とあっているか、ていねいに確認して地金が出来上がります。
できあがった地金には、床山さんの手で、演目、役、出演者の名前を書いた荷札が付けられます。東京の床山さんのお仕事場に持ち帰られて、髪が結われます。
こちらが、美登利会の会主、若柳吉駒です。このブログには伯母さんとして登場しています。私のパートナーのユキ子(若柳糸駒)のお師匠さんです。詳しくは、コチラをご覧ください
今年の美登利会は、4月8日(日曜日)に前橋市民文化会館で開かれます。回を重ねて、69回目を迎えます。
こないだもお目にかけた、この引幕、上の引幕は昭和12年、第1回の美登利会が当時の小柳町(現住吉町)の愛宕神社脇にあった『柳座』で開かれたときに使われたものです。
美登利会は、戦時中一時中断を余儀なくされましたが、毎年、前橋のまちの春の催事として今も続けられています。
明治43年の柳座辺りの真景図です。広瀬川にかかる比刀根橋もまだ木の橋、愛宕社の裏の方は、家もなく、佐久間川の流れが描かれています。
住吉町二丁目歴史研究会が作成した柳座物語⑬は「柳座引幕2枚目寄贈」、吉駒が住吉町二丁目自治会に引幕をお願いした話しをまとめてくださいました。
この冊子は、住吉町2丁目にお住いの、おおたともやさんが、原田恒弘さんの監修のもとで書かれたものです。
この引幕を見ていますと、戦前前橋が繭や製糸でにぎわったころがしのばれます。日本の輸出を支えた大産業である絹、製糸の主要工場が、小柳町をはじめ広瀬川以北に林立し、製糸工場の煙突も煙で空が曇ったというような大変な好景気でした。また当時、前橋に来れば何とか仕事が得られるだろうと、東京市の職業課の職員が頼みに来るほど、活気のある街だったのです。先の戦災で多くの資料が消失、散逸しました。しかしこういう苦難を克服して、この引幕をよくぞ保管してくださったものと吉駒師匠には感謝しております。
<おおたさん(090-9233-5002)と原田さん(090-8178-3081)はね、柳座に関する様々な資料や情報を探しています。もし、何かお持ちの方、知っておられる方は、お二人に知らせてあげてくださいな…>
クリックックして 、ちょいとご協力を、ブログ村へ行って「戻る」ボタンでお帰りを…
「ヒゲおじさん厨房に入る」、次回は2月25日(土)の朝日新聞群馬県版に掲載予定です。
ちょっと気をつけてれば、柳座の資料が「まとめて千円」なんてんで手に入ったのですが、ぼんやりしてて残念です。
川っぷちに柳が。「どうして柳植えるの?」「オバケがでるから」ってのはウソで、柳の根は川の土手を固める力があるんですってね。昔恋しい銀座の柳!
そうですね、明治時代の町の風景はおっしゃる通りですね。弧心と宴が隣り合わせですね。
それが大正時代に入るとガラッと変わったんですね、ロマネスク様式の西洋風の建物や橋が入ってきて…、日本的なハレとケが町から姿を消して行くんですね…