お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常

ヒゲおじさんは元遊園地の園長で家庭料理人、今は新聞の料理コラムニスト、猫のキキと前橋な毎日と家庭料理をお届けします。

風呂川(後編です) 前橋地裁から刑務所の先まで 前橋の小さな川

2012-03-01 07:04:58 | ヒゲクマとキキの日記

Dscf0053Dscf0054_2前橋公園を過ぎた風呂川は前橋地方裁判所の西から正門のある南へ、掘割のように流れます…。昔は角に水門があって、県庁前の水路に水を分けていました。

Dscf0117 何年前でしょうか、当時の清水一郎知事が「鯉を飼おうよ」と言いだして、企業局が水の濁りを取る沈砂装置を作って、水産試験場が鯉を放しました。長く続かなかったけど、どうしてだったけな…

   

「小町」の北原さんとのお喋りがきっかけで、前橋の小さな川のシリーズが始まりました。今回は前回に続く、風呂川の後編です。

Dscf0129 外は雪降り、お昼過ぎに止みました。積もった雪もすぐに融けています。大丈夫…それに、写真は27日に撮影したものです。

  

地裁の南東の角から風呂川は南に向かいますが、道の下、川の姿は見えません。県庁前通りをくぐり、前橋市役所の建物と市議会の建物にはさまれた道の南の方で姿を出します。

Dscf0057 地上に現れてすぐ、市役所の南西の角に青い水門があります。ここで矢田川が分かれています。

Dscf0058 西を向いて撮った写真、水門を通り手前側(東)へ矢田川は分水され、桃の井小学校へ向かいます。風呂川は左(南)へまっすぐに向かっています。

ところで、岩佐徹道さんの「前橋の川と橋」(昭和58年・上毛新聞社刊・前橋市立図書館資料室で閲覧可能)には、こんなふうに書かれています。

「実は、どちらが風呂川で、どちらが矢田川なのか、判然としない。市の河川名帳を見ても、両毛線南で、両者の名前が入れ替わっているし、現地の川筋をたどってみると、駅前からの石倉通りに橋があって、その門柱に「ふろかわはし」と彫ってある。しかし、地元の人は川は矢田川だという。奇妙なことだ。」

「ふろかわはし」はあとで案内するとして、とりあえず、南へ向かう川を風呂川としてたどってみましょう。

Dscf0060 保育所の前は、最近、蓋がされ、こんな歩道ができました。姿の見えない川ってつまんないです…。その先は国道17号。

   

Dscf0063 Dscf0064国道17号の南側は、目下工事中、北と同じように地下に埋めてしまうようです。国道の改修工事の一環だとか…。風呂川は、国道に並行する路地をちょっと西へいくと、すぐ南に曲がって龍海院の裏手へ向かいます。

Dscf0066 前橋藩主の酒井家累代の墓所のある龍海院の西裏を南に向かっています。酒井家の墓所にはたくさんの椿の木があってきれい、でも今年はまだほとんど花をつけていません。これから…

   

Dscf0067 龍海院を過ぎると、前橋女子高校の西側の家並みの中を風呂川は曲がりくねりながら南下しています。

Dscf0069 紅雲町の村社「厳島神社」の脇も通ります。でも、紅雲町はどうして厳島神社祀っているのかな…。紅雲町は「べにぐも」でなく「こううん」と読んでくださいね…

Dscf0070 利根橋の通りをくぐると、まっすぐに両毛線に向かいます。鉄道高架が見えているでしょう…

    

Dscf0071 両毛線の高架をくぐると、風呂川の姿は地下に消えます。そして、二度と姿を現してくれません。ここで…、おしまい…

Dscf0086 「おい、風呂川はどっちへ行ってるんだい?」、<一中の西側の道の下を南へ流れてるみたいだよ…>、「その先は?」、<知らない…>

Dscf0087 <でもね、爺さまに聞いたことあるんだ。昔、このあたりは宗甫分(そうほぶん)村といってさ、明治22年に前橋監獄ができたの。監獄の堀に風呂川の水をいれて、その先は利根川に流れ込んでたらしいよ…>、「ありがとう、見に行ってくるよ」

Dscf0073  前橋刑務所(旧前橋監獄)の煉瓦塀は、明治22年から23年にかけてつくられたままのものです。このまちでいちばん古い煉瓦塀です。堀は、煉瓦塀の外に、北側から西側にかけてめぐらされています。

Dscf0074 刑務所の南側、向こうの端は20mほどの崖で、その下は利根川の河原です。昔は、林であったようです…

Dscf0080_2 刑務所下の河原、この風景は、萩原朔太郎の『刑務所裏の林』の舞台です。朔太郎の『監獄裏の林』(詩集「氷島」)はコチラで読んでください。

Dscf0076_2 刑務所下の河原の崖に、石積みの遺構をを見つけました。なんだかは分かりません…

   

Dscf0083_2 さっきの猫が言う通り、第一中学校の西側の道に、蓋をされた水路が塀際を、南へ…

Dscf0092_2 <昔はね、このあたりには鯉池がいっぱいあったの、中学の南にもあったんだ。近藤さんと松沢さん、2軒も養鯉業者がいたんだから…>、別の猫の情報です。

Dscf0072_2 鯉池の跡は、マンションや駐車場になっていました。風呂川の水、糸繰り場からでる蚕の蛹、このまちには、独特の鯉の養殖が成立してたんです。でも、今は全くありません…

Dscf0084_2 前橋市南町二丁目(四丁目は間違い)、やじま商店のあたりで、道の下の水路もたどることができなくなりました。風呂川は、こうして消えてしまうのですが…

これで終わりではないんです、次の矢田川の話しへ続きます。 

   

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200806072 「ヒゲおじさん厨房に入る」、次回は明日の3月10日(土)の朝日新聞群馬県版に掲載予定です。

  

   


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
川の話、とても興味深く拝見させていただきました... (カズ)
2012-03-01 10:20:27
川の話、とても興味深く拝見させていただきました。次の矢田川も楽しみにしています。


一中の南は工場の時代からしか知りませんが、西は鯉池でした。一中からやじま商店の間でヒルにかまれたりしながら水あそびをしていましたが、風呂川だったとはビックリです。ちなみに、やじま商店は南町二丁目ですね。
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カズさん (ヒゲクマ)
2012-03-01 14:18:24
カズさん
ありと! やじま商店は南町二丁目です。修正入れました。
一中が今の校舎に越したのは1956年(昭和31年)、ずいぶん昔、今の南町2丁目はのどかな農村であったと記憶しています。変りましたね、前橋のまちの中でいちばん変わった地域ではないのかな…
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