石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史20 横須賀市の佐原義連墓

2006年12月09日 | 会津の歴史

三浦一族佐原十郎義連の墓 神奈川県横須賀市佐原 市史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

神奈川県横須賀市佐原 満願寺 佐原ICから5分

Photo_19 源義経と供に平家を打倒し、神戸の福原を攻めたひよどり越えの逆落しでは、先頭で攻めたという勇敢な人物。出身は、三浦一族本拠の三浦半島、平家と奥州平泉打倒後に、三浦半島の佐原を貰い、佐原城を築き、平家打倒が叶ったということで満願寺を建てます。そして自分もその寺に葬られます。寺には、国重文で義連自身を写したという「木造菩薩立蔵」「木造地蔵菩薩立蔵」が安置されています。横須賀市史跡の「伝佐原義連廟所」には石造五輪塔があります。佐原義連は、会津や泉州和泉、木曽を恩賞としてもらい、3代目には葦名氏が直系として家を継ぎ三浦半島の芦名に本拠を構え葦名城、浄楽寺を建てます。兄弟が猪苗代氏、北田氏、藤倉氏、新宮氏、佐原氏と分かれて会津の地を分けてもらうようになります。葦名氏は、伊達政宗に1589年に敗れるまで400年間続きます。会津には、喜多方市熱塩加納町に応永2年(1395)に建てられた供養碑の「伝佐原義連廟所」があり、福島県の史跡となっています。会津には、葦名氏本拠の黒川城(現在の若松城)や小田山城、向羽黒山城や宝積寺などの寺院や新宮氏城、北田城など城跡も多く残っています。写真は横須賀市満願寺の佐原義連墓です。

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