石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史24 鶴ヶ城稲荷神社

2006年12月21日 | 会津の歴史

鶴ヶ城稲荷神社は二つ。「鶴ヶ城稲荷神社」 会津若松市

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市追手町

_019 鶴ヶ城には稲荷神社が本丸北の太鼓門脇にあります。葦名氏7代直盛が鎌倉から稲荷神社を持ってきたのが始まりで、現在の三之丸駐車場の場所に蒲生忠郷の時まで稲荷丸があってそこに祀られていました。加藤時代になると別に移され、今の場所となるのは保科正之の時です。しかし、戊辰戦争で会津は敗戦し、その後、城の建物はすべて撤去か取り壊されました。そこで、稲荷神社は、現在の馬場町に移されました。移された馬場三之町には、現在でも「鶴ヶ城稲荷神社」があります。その建物内に、直盛が鎌倉から持ち込んだ神像があります。また、室町時代の扁額2枚もあり、扁額は市指定文化財です。本当の鶴ヶ城稲荷は、馬場町なのです。現座の鶴ヶ城にある稲荷神社は、城に稲荷神社が無くなったので、明治時代に笠間稲荷から分社してもらったものです。鶴ヶ城の稲荷神社の前には神社を建てた時の記念碑を乗せている院内御廟松平家の碑文を載せいている亀石と同じものがあります。石碑を乗せたものは「亀趺(きふ)」と呼ばれ亀の形をした碑文の台石です。

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