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【北の龍馬たち 坂本直行物語】(15)アイヌ民族の古老(北海道新聞新聞)

2011-02-24 00:00:00 | アイヌ民族関連
【北の龍馬たち 坂本直行物語】
(15)アイヌ民族の古老
2011年02月24日



アイヌ民族の古老・広尾又吉(右)と焼酎を酌み交わす坂本直行=坂本ツルさん提供

■熊追う「山の達人」を敬愛
 「ああ坂本(しゃかもと)しゃんか、俺あいつど(一度)あえてえと思ってたきゃあ、いいえんべえだった」
 アイヌ民族の古老・広尾又吉は坂本直行の顔を親しげに見て、柔和に笑いかけた。
 直行が又吉と初めて話をしたのは戦前のことだ。直行は次のように記している。
 「僕はその瞬間、もうずうっと以前から知合(しりあ)ってたような、親しさと気安さを覚えた」(「雪原の足あと」)
 日高山脈を愛した直行は、日高に詳しい又吉を敬愛するようになった。
 「写真で見るカール・マルクスそっくりだ」
 直行の次男・嵩(たかし)(72)は、又吉が背中に旧式の単発銃(村田銃)をかけて晩秋の原野の坂本家にやって来たときにそう思った。著書「開拓一家と動物たち」で書く。
 クマを追って来た又吉は坂本家に泊まることになった。ストーブのわきにあぐらをかき、焼酎を少しずつ飲みながら、昔語りを始めた。子どもたちは、又吉の熊狩りの話をわくわくしながら聴き入った。
 その声は甲高く、若々しかった。歯はみごとにそろっていた。
 酔った又吉は、褌(ふんどし)一本になってふとんに潜り込んだ。「すげえ爺(じい)さんだ」と嵩は思った。
 北大の地質学鉱物学教室に勤務した熊野純男(88)=札幌市東区=は1952年10月、直行と又吉を訪ねた。熊野は、日高を語り合う「山の達人」2人の姿をカメラに収めた。又吉は直行と熊野に、熊の牙をおみやげにくれた。
 詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵(1904~85)に頼まれ、直行が案内したのは57年11月10日。直行の著書によると、又吉は歩行不可能で、腹膜に水がたまる病気で寝ていた。それでも起きあがり、昔話を聞かせてくれた。
 更科は、又吉の子守歌を録音したかったが、もう歌えなかった。
 又吉が死去したのはそれから1カ月半後の12月25日。戸籍上は1871(明治4)年1月生まれで、享年86歳。
 翌日の葬儀に直行が馬で駆けつけると、熊野の撮った写真が遺影になっていた。
 僧侶が又吉の法名を「秀岳瑞松信士」と書いた。「又吉さんは自然児でしたからね」と僧侶は、法名の由来を直行に話した。「坊さんの言葉なんか、有難(ありがた)く思ったことはない」直行だが、この時は「妙に有難く聞こえた」という。
 そして直行は涙を流し、雪原を馬で駆けた。
 札幌の山道具店「金井テント」社長の金井五郎が直行に店名を付けてくれるように頼んだのは、ちょうどこの頃のことだ。
 同テントは直行の命名で58年から「秀岳荘」と改名した。だが、五郎の長男で現社長の哲夫(72)は命名の由来を父親から聞いていない。
 直行が又吉への思いを店の名に重ねたのかもしれない。
(文中敬称略)


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