アイヌ民族関連報道クリップ

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アイヌ民族研究の佐々木高明氏が死去、民博元館長(産経新聞)

2013-04-08 14:06:00 | 訃報
アイヌ民族研究の佐々木高明氏が死去、民博元館長
2013.4.8 14:06 [有名人の訃報]
 「照葉樹林文化論」などで縄文文化の研究を進めるとともに、アイヌ民族の地位向上にも貢献した元国立民族学博物館館長の佐々木高明(ささき・こうめい)氏が急性骨髄性白血病のため4日に死去していたことが8日、分かった。83歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、昌子(まさこ)さん。

 大阪府出身。京都大大学院文学研究科修了。立命館大助教授、奈良女子大教授などを歴任した後、梅棹忠夫氏の下で国立民族学博物館の創設に携わり、平成5~9年に2代目館長を務めた。退官後はアイヌ文化振興・研究推進機構の理事長に就任した。

 植物学者の中尾佐助氏や哲学者の上山春平氏らとともに「照葉樹林文化論」を提唱。日本文化のルーツは東アジアの照葉樹林帯にあるとした。著書に「照葉樹林文化とは何か」「日本文化の基層を探る」など。

 平成10年に紫綬褒章、15年に勲三等旭日中綬章。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130408/waf13040814080016-n1.htm

卓上四季 神の恵み (北海道新聞)

2013-01-15 00:00:00 | 訃報
卓上四季
神の恵み

首都圏でジャズ歌手として生きてきた。「私はアイヌ民族」と明かし「アメージング・グレース」をアイヌ語で歌い始めたのは50代後半の2009年春。末期がんで余命1年と宣告された後だった。その熊谷たみ子さんが年明けに帰らぬ人となった▼アメージング・グレースは、迫害された米国の黒人たちが歌い継いできた神の恵みへの賛歌である。奴隷貿易にかかわった半生を悔いて牧師になったジョン・ニュートンが作詞したことでも知られる▼十勝管内本別町で生まれ育ち、集団就職で上京した熊谷さんは幼少時の差別体験を抱えていた。「歌のルーツと、自分たちの住んでいる所を追われたアイヌの歴史が似ていると思った。『もっとやることがある』と言われた気がした」と、歌に使命をもらった▼東日本大震災が起きるとCD「大地よ」を制作して遺児の支援に乗り出した。<その痛みに 今私たち残された多くの民が しっかりと気づき 畏敬の念をもって 手をあわす>。家族を亡くしよりどころを失った子どもたちへの思いがそこにあった▼「被災者の境遇もまた共通すると感じたのでしょう」と「大地よ」の詩を書いたアイヌ民族の古布絵作家宇梶静江さんも言う▼余命宣告から4度目の正月まで持ちこたえた。それでも後ろ髪を引かれる思いだったろう。多くの被災者が今もなお帰郷できずにいるのだから。2013・1・15

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/433835.html

チセ2棟が全焼 平取・二風谷の萱野資料館(北海道新聞)

2012-08-09 16:15:00 | 訃報
チセ2棟が全焼 平取・二風谷の萱野資料館(08/09 16:15)

白煙を上げて燃える萱野茂二風谷アイヌ資料館のチセ=9日午前11時40分、日高管内平取町二風谷
 【平取】9日午前11時15分ごろ、日高管内平取町二風谷、萱野茂二風谷アイヌ資料館(萱野志朗館長)の敷地内にあるチセ(アイヌ民族の伝統家屋)から出火、かやぶき造りのチセ約60平方メートルを全焼。隣接したチセにも燃え移り、約40平方メートルを焼いた。

 出火したチセでは工芸品などの土産品を販売しているが、同日は休業していた。隣接のチセでは工芸品の一部を展示していた。門別署が出火原因を調べている。

 同資料館は1972年ごろ、二風谷アイヌ文化資料館として開館し、元参院議員の故萱野茂さんが収集したアイヌ民族の民具などを展示している。次男の萱野館長は「チセを含め貴重な資料が失われ、残念だ」と話している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/394885.html

千歳アイヌ文化伝承保存会前会長の中本ムツ子さん死去【千歳】(苫小牧民報)

2011-04-29 15:23:00 | 訃報
千歳アイヌ文化伝承保存会前会長の中本ムツ子さん死去【千歳】

苫小牧民報 - 2011/04/29 15:23

アイヌ文化の伝承に尽力した千歳の中本ムツ子さん

 千歳アイヌ文化伝承保存会の前会長で、長年にわたりアイヌ文化の伝承、保存、振興に尽力してきた中本ムツ子さんが28日午後1時19分、心筋梗塞のため入院中の札幌市内の病院で死去した。83歳。通夜は30日午後6時から、葬儀・告別式は5月1日午前10時から、千歳市北斗1の22の橋爪斎苑で行われる。

 中本さんは1928年、千歳市生まれ。札幌市などで暮らし、千歳に戻って50歳を過ぎてからアイヌ民族としての誇りを自覚して文化伝承活動に取り組み始めた。90年に千歳アイヌ文化伝承保存会を設立、91年には千歳アイヌ語教室を開講した。財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事も務めた。

 アイヌ語教本をはじめ知里幸恵の「アイヌ神謡集」のCD製作、子供の時に聞いた言い伝えを基に自作のウエペケレ(物語)などを出版。92年に千歳市民文化奨励賞、2004年に吉川英治文化賞、アイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化賞を受賞した。

 中村吉雄北海道アイヌ協会千歳支部長は「千歳の文化伝承活動を立ち上げた偉大な人が亡くなった。もう少し頑張ってもらいたかった。今後は、中本さんの意思を継いで文化伝承活動をさらに広げていきたい」とその死を悼んでいる。


悼む:アイヌ文様刺しゅう家・チカップ美恵子さん=2月5日死去・61歳(毎日新聞)

2010-03-10 00:00:00 | 訃報
悼む:アイヌ文様刺しゅう家・チカップ美恵子さん=2月5日死去・61歳
 ◇アイヌの誇りを表現--チカップ美恵子(みえこ)さん=急性骨髄性白血病のため2月5日死去・61歳
 「大空をはばたく鳥のように、民族や人種を超えた社会を実現したい」。アイヌ民族とロシア・サハリン(樺太)の先住民族らによる初の「マイノリティー・フォーラム」(98年)。チカップさんに誘われ、一緒に訪れたユジノサハリンスクでこう語った。チカップはアイヌ語で鳥の意味。カムイ・チカップ(神の鳥)にあやかった名だった。

 自ら立ち上がった「肖像権訴訟」(85年)。民族楽器のムックリを吹く自分の写真が学術書に無断で掲載され、「滅びゆく民族」と記されていた。「トキが一羽、二羽と減るように私たちは滅びるのか」。3年の裁判闘争の末、被告側の謝罪で和解した。

 北海道釧路市で生まれた。伯父は民族復権運動に力を注いだ山本多助エカシ(長老)。母の伊賀ふでさんは詩人だった。そして自身はアイヌ文様の刺しゅう家に。母に教わった手仕事の技に鮮やかな色彩と民族の誇りを織り交ぜ、アイヌの精神世界を表現するアートとして打ち込んだ。

 「文化の伝承と差別との闘いは切り離せなかった。僕らがアイヌ文化をアートと言えるのはチカップさんらの運動があったから」と「アイヌ・アート・プロジェクト」代表で版画家の結城幸司さん(45)は言う。結城さんの父庄司さんも孤高の運動家だった。

 「白血病に負けるわけにはいかない」。05年末の発病以来、闘い続けた。今年1月には札幌で作品展が開かれ、新著「カムイの言霊(ことだま)」も刊行。「次は刺しゅうの写真集を」と病床で友人の植村佳弘さん(50)=北海道新聞写真部次長=に話した。

 きらきらした目。たおやかな笑顔。他を寄せ付けない厳しさ。どれもがチカップさんの生き方と重なる。【明珍美紀】

毎日新聞 2010年3月10日 東京朝刊

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