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【ふるさとは樺太 サハリン 残留日本人の今】(4)先住民の苦難 照らす(朝日新聞)

2012-12-25 00:00:00 | 事件・差別問題・領土問題など
【ふるさとは樺太 サハリン 残留日本人の今】


(4)先住民の苦難 照らす
2012年12月25日





北島リューバさん。夫を亡くし、ポロナイスクで一人暮らしだが、ホルムスク(真岡)郊外に住む息子が9月の一時帰国には付き添ってくれた

■同化・スパイ・監視…ルーツの影


 サハリン残留者は、日本人や朝鮮半島出身者、その子どもらだけではない。


 北島リューバさん(66)は、父親が日本人、母方の祖父は日本人、祖母はサハリン先住の少数民族ウィルタだ。


 生まれたのは、北緯50度の旧日ソ国境から南に約70キロ、ポロナイスク(敷香)郊外のツンドラ地帯の集落「オタスの杜(もり)」。日本政府が1926年に造り、先住民族を集めて日本人化した居住区だ。


 サハリンには元々、ウィルタやニブヒ、アイヌなどの先住民族が暮らし、国境や国籍とは無縁の放牧や狩猟生活を送っていた。それが一変したのは、日ソの国境がひかれ、日本やソ連が戦争を始めてからだ。


 「サハリンの原野を知り尽くし、日本語が話せた先住民族はスパイにうってつけだった」


 先住民族の言葉や伝統を学び、ポロナイスクの先住民族問題専門官を務めた経験もある北島さんが教えてくれた。


 オタスの杜には神社や「土人教育所」という名の学校が建てられ、日本語や日本名が強制された。男性は軍事訓練を受け、国境でソ連軍の動向を探るスパイをさせられたという。


 親類の北川源太郎(ウィルタ名はダーヒンニェニ・ゲンダーヌ)さんも、そんな一人だった。スパイ容疑でシベリアに抑留された後、先住民族の軍人恩給の支給を日本政府に訴えたり、網走市に北方少数民族資料館(2010年閉館)を建てたりし、84年に亡くなるまで先住民族の権利実現のために活動した。


 北島さんが先住民族問題に関心を持ったのは、81年にふるさとを再訪した北川さんと出会ってからだ。日本人にスパイにされた先住民族は、戦後もソ連当局に監視され、母親は日本人だった祖父や父親について口をつぐんだ。だから知らないことが多かった。北島さんの日本名は「冬子」だが、使ったことはほとんどなく、今のロシア風の「リューバ」は小学校で同級生から名付けられたものだ。


 北島さんは日本に一時帰国をしながら、今も先住民族の調査を続けている。日本に帰国した人の中には差別を恐れ、先住民族の血をひいていることを隠した人は少なくないと考えている。「日本へ渡った子孫の中には、同じ血が流れていることを知らない世代がいるかもしれない。それが残念でならない」

http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01001081212250004


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