わたくし、生まれも育ちも東京赤羽です。赤羽台団地で産湯を使い、姓は合間、名は妹子。人呼んでフーレンのクマはタロジロの父親……。
えー、何だか分かりませんが、つい先日誕生日を迎えた私は、この世に生を受けて四十九年になりなんとしている。よくぞここまでおめおめと生き恥を晒してきたものだが、実はその大半を東京は赤羽という町で暮らしている。約半世紀に渡る町の変化を、実際に目にしてきたわけだ。
実際、赤羽の町は変わった。しかし、去るものは日々にうとしと言うけれど、過去の町並みの映像は記憶の底に放り込まれ、思い出そうとしても容易ではない。
そんな貴重な過去の赤羽を、映像として残してる映画があった。フランキー堺、森繁、伴淳三郎らが主演した「喜劇駅前開運」だ。1968年。実に私が6歳の頃の懐かしい赤羽の町並みだ。
映画の冒頭、赤羽駅周辺や団地群を俯瞰で撮っているのはかつて銀座アスターのあった西友の屋上からだろう。駅前に高い建物もなく、濃い青の京浜東北線が入線する様がよく見える。
映画の途中は全てスタジオのセットだが、森光子の働く鰻屋は今も残るまるますがモデルっぽい。映画のラストは再びロケに戻り、赤羽の馬鹿祭りの風景だ。まるますの前に櫓を組み盆踊り。ゴミ工場の煙突から出た煙のススで、出演者の顔が真っ黒になるというよく分からない落ちだ。
こうして今と当時を振り返っても、変わらないのはまるますくらいで、後のものは軒並み変わってしまった。赤羽台団地さえ今は一部しか残ってない。
残念だなあと思うのは荒川の映像もないことだ。岩淵水門とか土手の風景を撮影しても良さそうなものなのに……。
しかし何しろ40年以上も前の映画。出演者もことごとく鬼籍に入っている。例外は前述の森光子と、てんぷくトリオの伊東四郎ぐらいか。
今回ケーブルテレビから録画したわけだが、途中のドラマ部分はともかく、貴重な昔の映像は、明らかにかつてあった記憶を呼び起こすトリガーとなってくれた。
かつて赤羽にもこんなに素朴かつ活気にあふれた時代があったのだ。
時というものは往々にして残酷なものである。
えー、何だか分かりませんが、つい先日誕生日を迎えた私は、この世に生を受けて四十九年になりなんとしている。よくぞここまでおめおめと生き恥を晒してきたものだが、実はその大半を東京は赤羽という町で暮らしている。約半世紀に渡る町の変化を、実際に目にしてきたわけだ。
実際、赤羽の町は変わった。しかし、去るものは日々にうとしと言うけれど、過去の町並みの映像は記憶の底に放り込まれ、思い出そうとしても容易ではない。
そんな貴重な過去の赤羽を、映像として残してる映画があった。フランキー堺、森繁、伴淳三郎らが主演した「喜劇駅前開運」だ。1968年。実に私が6歳の頃の懐かしい赤羽の町並みだ。
映画の冒頭、赤羽駅周辺や団地群を俯瞰で撮っているのはかつて銀座アスターのあった西友の屋上からだろう。駅前に高い建物もなく、濃い青の京浜東北線が入線する様がよく見える。
映画の途中は全てスタジオのセットだが、森光子の働く鰻屋は今も残るまるますがモデルっぽい。映画のラストは再びロケに戻り、赤羽の馬鹿祭りの風景だ。まるますの前に櫓を組み盆踊り。ゴミ工場の煙突から出た煙のススで、出演者の顔が真っ黒になるというよく分からない落ちだ。
こうして今と当時を振り返っても、変わらないのはまるますくらいで、後のものは軒並み変わってしまった。赤羽台団地さえ今は一部しか残ってない。
残念だなあと思うのは荒川の映像もないことだ。岩淵水門とか土手の風景を撮影しても良さそうなものなのに……。
しかし何しろ40年以上も前の映画。出演者もことごとく鬼籍に入っている。例外は前述の森光子と、てんぷくトリオの伊東四郎ぐらいか。
今回ケーブルテレビから録画したわけだが、途中のドラマ部分はともかく、貴重な昔の映像は、明らかにかつてあった記憶を呼び起こすトリガーとなってくれた。
かつて赤羽にもこんなに素朴かつ活気にあふれた時代があったのだ。
時というものは往々にして残酷なものである。