合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ポニョ 監督が映画にこめた希望とは?

2010-01-24 20:09:45 | Weblog
では、ポニョの映画に希望はないのだろうか?

ポニョが赤ちゃんと会う不思議なシーンがある。赤ちゃんにパンを差し出すポニョ。ここでは、自分のためではなく、他人を思いやることをポニョが知る。人間となったポニョが、社会の中で生きることを学ぶのだ。
このあとが不可解だ。ブスッとした赤ちゃんを見て、海の上を走って引き返すポニョ。半魚人姿のまま赤ちゃんに顔を押し付ける。一体このシーンは何を意味するのか?

宮崎駿はNHKのドキュメンタリー番組でこう語っている。
「赤ん坊はこんな世の中に生まれて来てムッとしてるんだ。それをポニョは、生まれて来ていいんだよ、と祝福しているんだ」

赤ちゃんはポニョを見ている子どもや、これから生まれる子どもたちの象徴だ。彼らを待つのは、明らかに今よりも悪い未来だ。が、それでも生きていくんだよ、生きる価値が人生にはあるんだよ、とポニョは祝福するのだ。ここにおいて、ポニョは宮崎自身の分身になった。

「エヴァンゲリオン」において宮崎の弟子ともいえる庵野は、セカンド・インパクトの後の荒廃した地球で誕生したシンジが生きる意味を問うゲンドウに対し、ユイにこう言わせている。
「生きていこうと思えばどこだって天国になるわ。だって生きてるんですもの。幸せになるチャンスはいくらでもあるわ」
「そうか…そうだな」

この点において、両者は共通している。まずは、生きること。未来を悲観して死を選んだり、まして「生まれないこと」を望むほど愚かなこともない。
漫画版「ナウシカ」では、清浄に戻った土地では自分らが生きられない体であることを知りながら、なおかつ生きることをナウシカは選択する。
どんな未来においてもたくましく生きてくれと、作者は願ったのだろう。


以上が僕なりの「ポニョ論」である。単なる思い込み、妄想かもしれない。何しろ肝心の宮崎駿本人が何も言葉では語っていないのだから。

ここから先は皆さんの判断にお任せしたい。
(終わり)

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神のメッセンジャー宮崎先生 (マリア綾子)
2012-03-26 11:23:06
2020年問題につきオフィスチロルのみよこ先生(金曜日のきせき)とおはなししてみてください。本で同じことを言っています。>ピンチをチャンスに変える88のルール<
172ページ
042-354-0888
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