緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
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ベラ、行きなさい

2013年05月27日 | 信仰
東京オリンピックをリアルタイムで見た私たち世代には、懐かしい名前である女子体操のベラ・チャスラフスカに関する記事を、5月26日の日経新聞で目にしました。ノンフィクション作家の後藤正治氏が書かれたものです。
本当にきれいな大人の体操選手だったチャスラフスカの演技は、今の機械人形のような体操とはまるで別物で人間の体の究極の美しさを私たちに見せてくれ、堪能させてくれました。
そんな彼女が、祖国チェコでの民主化運動「プラハの春」に賛同し、活動を行っていたことは日本でも報道されていました。1968年夏、ソ連軍の戦車がチェコに侵入し、あっという間に「プラハの春」は踏みにじられて、チェコは旧体制下に戻り、信念を曲げなかったチャスラフスカは多くの迫害を長年にわたり受けたそうです。



後年、チャスラフスカへの取材を行っていた後藤正治氏は、「プラハの春」の運動の核となった「二千語宣言」を多くの人が体制側に迫られ、撤回していったのに、頑としてその撤回に応じず厳しい状況を生き続けねばならなかったチャスラフスカに「なぜ撤回に応じなかったのか?」と質問を送ったといいます。人間機関車として有名だったザトペックなど多くの人々が撤回していったのに・・・なぜ彼女は固辞し続けたのか? 

1989年、ベルリンの壁崩壊後にチェコでも体制が変わり、チャスラフスカも社会的に解放されていたのですが、家族間に起きた悲しい事件を契機に重いうつ病にかかり、長年外出できない状態だったそうです。
面会することができなかった後藤氏のもとに、後日通訳者の手をへて彼女からの返事が届きました。
「--節義のために。それが正しいとする気持ちはその後も変わらなかったから」
優れた通訳者の手により凛とした日本語に訳された言葉に、正座をしてその文面を読んだと日経の紙面に書かれています。「節義のために」という日本語を聞いたのは何十年ぶりでしょう。後藤氏も書かれているように本当に美しい日本語です。台湾映画「非情城市」のなかで、なんとも美しい話し言葉の日本語に触れた驚きに似ている感じです。

話が戻りますが、「プラハの春」の同年に行われたメキシコオリンピックでは、出場も危ぶまれたチャスラフスカはソ連への抵抗の意味を含めて、黒色の体操着を着て演じたと言われています。またソ連選手と同点1位となり、チェコとソ連の両国旗が並んで掲揚された表彰台の上では、けしてソ連国旗に目を向けようとはせず、ずっと目をそらし続けたといいます。それでも個人総合の金メダル他、いくつものメダルを獲得しています。



メキシコオリンピックの頃には、きっといろいろニュースで取り上げられたのでしょうが、私はここまでのことは知りませんでした。歴史に翻弄されながらも毅然として生きていらした方なのですね。

十数年も病から癒えることがなかったチャスラフスカが、抵抗運動で亡くなった若者を追悼する集まりでキャンドルをささげているときに、急に天からの声が聞こえてきたというのです。
「ベラ、行きなさい」
その声をきっかけに長い闘病生活から立ち直り、元気になり、外出もできるようになったということです。
「ベラ、行きなさい」という声が聞こえ、「私が戻ってきたのです」

あの毅然とした美しいチャスラフスカが戻ってきたのでしょうね。癒される時の喜びを感じます。

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