ヘルマン・ホイヴェルスという人の書いた随筆集「人生の秋」という本に以下のような詩があります。
若い時には分からなかった事が、年齢を経るにつれ理解できるようになり、大きく心を動かされる事があります。歳をとるのも悪い事ばかりではありませんね。まだまだ私は人間的に成熟とはほど遠いですが、経験を積むにつれ理解が深まってきている面もあるのだろうと思います。
「最上のわざ」
この世の最上のわざは何?
楽しい心で歳をとり
働きたいけれど休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見てもねたまず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり
弱って、もはや人のために役だたずとも
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後の磨きをかける
まことの故郷へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつ
はずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「子よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。
この詩は、日本に宣教師としてやってきたホイヴェルスが、南ドイツに住む友人からもらった詩として紹介しています。
ホイヴェルスは、戦前の1923年にイエズス会の宣教師として来日して、上智大学の学長を1937年から1940年まで務めたドイツ人です。
来日した1週間後に関東大震災が起こり、布教活動にも苦労されたようです。
戦後、1947年にカソリック麹町教会(聖イグナチオ教会)の主任司祭に就任され、1967年6月に44年ぶりに訪れるまでずっとドイツには帰国しなかったそうです。同じ年の9月に日本に戻り、その後も四谷にある上智大学敷地内で暮らしたとのことです。知人に出す手紙には、日本名で「保井鈴寿」と署名されたそうです。「ほい べる す」と読めますね。
1977年3月、教会内で転倒して頭部を怪我して療養生活を送るようになっても上智大学内に住まわれ、同年6月に車いすでミサに与っている最中に様態が急変し、急性心不全で87歳で死去されたそうです。
日本での布教活動や教育に生涯を捧げられた方だったのですね。
私がこの詩を知ったのは、今は亡き義母からいただいたいくつもの祈りの言葉の中の一つとして読んで知りました。
敬虔なクリスチャンであった義母は、まだヨチヨチ歩きのおぼつかないキリスト教徒である私によくいろいろな本をおくってくれました。また心に留まった聖句などもよくパソコンで打ち出して、私の手元においておけるように心を配ってくれていました。80歳を過ぎてから、パソコンを覚え、目の悪い教会員の方のために、大きな字で聖書の言葉を打ち出したり、綺麗な写真をパソコンから印刷して、送ってくれたりしたスーパーおばあちゃまでした。
有名な詩編23編(主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを清草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせくださる)や、「あしあと」という有名な詩などもみな義母から教えてもらいました。
義父の仕事の関係で戦争中に天津に渡り、その地で瀬川八十雄先生から洗礼を受け、2017年92歳で昇天するまで本当に神様を愛し、神様に愛された人でした。聖書にある「いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい すべての事について感謝しなさい」の言葉をそのままに生きた人でした。
義母が亡くなって3年、私のためにパソコンで打ち出してくれた詩「最上のわざ」がこうして今の私の心に響いてくるのは、義母の愛の力と神様のなせる業だとしか思えません。本当にありがとうございます。
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