緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
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岩波ホールを通して触れられた多くのもの

2022年02月04日 | 映画

神田神保町の岩波ホールが今年2022年の7月で閉館するというニュースが新聞やネットのニュースに出ていました。長い間、世界中から名作映画を発掘してきて日本の観客に良質な映画を届けてくれていたのですが、このコロナ禍での観客減に耐えきれなかったのでしょうか。エキプドシネマ運動の映画上映前からの岩波ホールを知っている者としては残念な思いです。

初めて岩波ホールを訪ねたのは何の時だったでしょうか? 映画の単館ロードショーを始める前の岩波ホールは芝居や演奏、講演などいろいろな催しを行っていました。津軽三味線の高橋竹山の演奏を聴いたのも岩波ホールでした。鈴木忠志演出の白石加代子の芝居を初めて見たのも岩波ホールだったように思います。200席足らずの小さなホールでしたが、支配人の高野悦子さんの芸術への尊敬と愛にあふれた彼女の琴線にふれたものが私たち観客にも素直に伝わってくる魅力的なホールでした。ウィキペディアで調べてみると、岩波書店の社長岩波雄二郎氏が神保町の交差点にビルを建てる時に、千代田区から地下鉄がちょうどその下を通るようになるから何か文化施設を作ってほしいという要望を受け、芸術性の高い文化活動のための多目的ホールとして作られたとあります。また初代社長の岩波茂雄氏が芝居が好きで、「夕鶴」で有名な山本安英に「いつか劇場を作ってあげる」と約束していたが太平洋戦争のために実現できていなかったためでもあったとか。山本安英の会というのが岩波ホールで定期的に開かれていたのはそういう関係があったからなのですね。山本安英は神田生まれだそうですので、そんなつながりもあったのかもしれません。

1968年に岩波ホールがオープンし、雄二郎氏の義妹高野悦子さんが支配人になりいろいろな芸術活動を続けてきましたが、1974年にミニシアターの草分けとして単館ロードショーの映画館としてスタートしました。エキプドシネマ(映画の仲間の意)活動として、世界中から様々な映画を日本の観客に届けてくれました。日本の観客の優れた映画を見る目を育ててくれた場でもありました。

2年以上も続くコロナ感染禍の観客減の影響とネットフリックスなどのネット配信の時代の転換期に十分対応できなかったということなのでしょうが、物事は無くなってみて初めてその存在の大きさを感じることが多いので、岩波ホールの閉館もきっとあとになってからじわじわとその不在を嘆くようになるのではないでしょうか?岩波ホールで見たたくさんの映画たちからいろいろなものを教えてもらいました。いつも丁寧に作られた劇場パンフレットも手元にだいぶ残っています。エキプドシネマのスタートから数年は私自身が編集に携わっていたので、表紙を見るだけでも懐かしい思い出です。今はなき新宿文化とともに私には学生時代からの素晴らしい恩師とも思える映画館でした。スクリーン上でのたくさんの出会いをありがとうございました


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