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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「赤ちゃんの礼拝」は、どれほど大事か、強調しても強調しきれません!

2013-03-21 18:32:56 | エリクソンの発達臨床心理

前回は、といっても、今朝ですが、Ritualization in Everyday Lifeの最初の段落の途中まで翻訳しました。その続きから始めるよりも、前回訳した部分も再度掲載して、その続きを翻訳することといたします。

それでは、再びタイトルから訳します。


日常生活の中の礼拝

乳児期とヌミノース  光、顔、そして、名前

お母さんと赤ちゃんが朝毎にやり取りするやり方から、始めましょう。赤ちゃんがいったん目覚めると、お母さんは気持ちの上でも、声掛けする上でも、世話をする上でも、ありとあらゆる行動を始めなくてはなりません。お母さんは、赤ちゃんに近づくとき、笑顔の時もあれば、不安げな時もあるし、また、明るく「○○ちゃん」と呼ぶこともあれば、心配そうな声のこともあるけれども、とにかく世話を始めます。お母さんは、自分の目でよく見て、手で触れ、鼻でにおいを嗅いで、何でクズっているのかなと原因をあれこれ確かめてから、赤ちゃんを抱き上げるなどして、体位を変えることによって、世話をやりだします。毎日の出来事は、高度に礼拝になっていますが、赤ちゃんの不意の反応によって呼び覚まされた一つの行動を、お母さんが、仕方ないと感じながら、少しも嬉しいことではないけれども、繰り返す礼拝と、逆に、その赤ちゃんの予期せぬ反応によって、お母さんが生き生きとしてその一つの行動を続ける礼拝もあります。このような礼拝は、高度に個人的である(そのお母さんにとって「その人ならでは」でもあるし、それと同時に、その赤ちゃんにとっても「その人ならでは」でもある)と同時に、「お母さんと赤ちゃんは、○○するものです」という記述としては月並みでもありますこの礼拝は、大なり小なり、自由に受け止めて応えることもできるし、大なり小なり、義務としてそうせざるを得ないこともあり得ます。このすべての手順は、赤ちゃんが生きていくうえで必要な日々の身体的ニーズに対応しています。礼拝は、子育てにおいて情緒的に必要不可欠のものですし、子どもの日々成長する認知能力ややる気を期待もします。実際、私は必ずしもそのように主張するつもりもないのですが、これから紹介する予定の礼拝の発達諸段階は、ピアジェの発達諸段階の確立された法則性に一致するものと信じています。但し、赤ちゃんがお母さんという「環境」と感覚運動上のやり取りするだけではなく、お母さんが赤ちゃんの認知的な探索に応えることを観察者が記録する、その観察の場を考慮しなくてはならない点と、母子と観察者のやり取りをも考慮しなければならない点は、ピアジェの発達諸段階と同じではないけれども。
 我々にとって重要なのは、この小さく陽気で楽しい決まったやりとりが、そら恐ろしいほどに深い世代の繋がり全体の中で、ささやかではあるけれども、切っても切れない絆として、正しく価値づけしてもよい、ということですお母さんと赤ちゃんが、ここまで述べたような最初の礼拝において出会うとき、その赤ちゃんは、自分が生きていく上で必要ないろいろな物と、お母さんに世話をしてもらうことによって本来はバラバラな経験を一貫性のあるものにしなくてはならない必然性とを、星座を結びつけるように結びつけます。お母さんにしても、産後はいろいろと手助けが必要です。なぜなら、そのお母さんがたとえ母親として世話をする本能的な感覚を持っていても、また、たとえそのお母さんが母親になることを本能的にどんなに大きな喜びをもって望んでいても、そのお母さんはまた、一人の特別な赤ちゃんの母親に、特別なやり方でならなくてはならないことも、また事実だからです。こういった母親に、このお母さんは、不安で逃げ出すこともなく、決まったことや務めを強いられることに対して、大なり小なり怒りを抑えつつ、なるのです。自分と同じような人々が容認し、また、実際にそうする姿を目にする、母親として世話をする肯定的なイメージもあるけれども、それに加えて、否定的な母親イメージの要素もあります。この否定的な母親イメージこそ、このお母さんが決してやってもなってはならないものです。それは、このお母さんが(大なり小なり、意識的に)嫌いだったり、軽蔑したり、憎んだり、あるいは、邪悪な者、悪魔、汚れた者、人倫に反する者として恐れている人々かグループに典型的な、「よそ者の」系統ややり方を、そのお母さんが真似しないためなのです。あるいは、そのお母さんがノーと言っている母親のイメージに引きずられないためなのです。



また、第二段落の途中で時間となってしまいました。
この第二段落は途轍もなく大事なところです。解説も含めて、そこのところから次回始めましょう。


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