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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

内村鑑三のことばと中村修二さん

2014-10-19 09:08:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今日から「道をひらく 内村鑑三のことば」の再放送が始まりました。第一回目の今日のタイトルは「迷いと慰め」でしたね。

 冒頭で司会の石澤典夫アナウンサーが「今この現代にいる私たちは、この前の大地震、あるいは大津波、あるいは原発事故というものを経験してですね、この生きていく今が、根底が非常に揺らいでいる時代だろうというふうに思うんですけども、そういう時代に私たちが、この内村鑑三の言葉に耳を傾ける。その意味というのはどういうところにあるとお考えでしょうか?」と質問したのを受けて、鈴木範久先生は次の様に述べておられます。

 「内村鑑三は、一昨年が生誕百五十年でありましたから、その前半はまさに近代日本と歩みを共にしてきましたですね。そうすると近代日本の歩みというのは、ご承知のように、日本が西洋に追い越せ、追っかけるというそういう時代です。そうしますと、私の眼からすると、人間というものを超えた存在―「超越的な存在」と、仮にここでは言っておきますが―「神」と言っていいかも知れませんが―超越的な人間を超えた存在を一つは忘れました。それから合わせて同じようなことかも知れませんが、人間を超えて、あるいは人間と対する存在、「自然」―「天然(てんねん)」と内村は言いますけどね―その二つを忘れてきたのが近代日本だろうと思いますね。それから結果が何をもたらすか、ということを、おそらく日本人の中で、いち早く自覚し説いた―予言者というのはちょっと言い過ぎかも知れませんが、先覚者と言ってもいいだろうと思います。ついでに言いますと、一番おそらく近代の日本人の中で、「個」というもの―「個人」というものの大切さを強調した一人じゃないかと。「個」の大切さというのは、民主主義の上でも非常に大事な概念だと思いますけど、それをおそらく最も強く強調した思想家の一人だろうと思います」。

 個人の大事さを、日本でいち早く主張したところが、預言者と言ったら言い過ぎかもしれないけれども、先覚者と言える、というのが鈴木範久先生のご主張です。

 個人の大事さを主張した点で、最近新聞で読んだ記事を思い出しました。というのも、朝日新聞のモニターを今回務めることになったので、今まで読み飛ばしていた記事も、読み込むことが必要になり、新聞をじっくり読むことが増えたからかもしれません。個人の大事さを主張した記事とは、青色発光ダイオードの製品化に貢献して、今年度のノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんのインタヴュー記事です。その中で中村修二さんが述べているのは、ノーベル賞に値するような独創的な研究をするためには、研究者自身に、研究する自由をあたえることが、非常に大事だ、ということです。これは、国の産業政策、学術政策でもある訳ですから、政権と関係が深い記事ですね。インタヴューの中で中村さんがおっしゃっていますから、詳しくはそちらを参照していただきたいのですが、発明で得た特許の権利を、「発明者のもの」にするのじゃなくて、「会社のもの」にしようとするのは、猛反対だとおっしゃいます。わが安倍晋三政権が、個人の自由をいかに踏みにじることを平気でやる政権なのか、ということが、ここでも白日の下にさらされたわけですね。

 

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