大人と子どもの関係を支配する正義は、大人が身勝手に、気分次第で変更する時、恥だけではなくって、なかなか消すことのできない疑いも、子どもの心深く植え付けてしまっていることを、忘れない方が良いことです。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.256の、第2パラグラフの、最後の行から。
ルターは、どんなレベルにおいても、子どもの頃から、青年期を経て、大人に至るまで、いいえ、人生のどの時期においても、簡単に解消されますよ、などということに同意するような人物ではありません。ルターが、直情的に、あるいは、直感的に記述することが多かった、様々な文書は、生涯にわたる情緒的課題と言う通奏低音として、子どもの頃の葛藤を、クッキリと奏でているのです。ぼ
ルターが、母親に十分に甘えることなく、母親から引き離されてしまったことは、生涯に渡る情緒的な課題を残してしまいました。ルターは、いわば、ある種のマターナル・デプリベイション maternal deprivation 「母性剥奪」だったわけですね。あるいは、ある種の愛着障害でしょう。始めは、抑制タイプで、宗教改革期以降は、脱抑制タイプかもしれません。
いずれにしろ、赤ちゃんの頃に、母親に十分甘えることが出来なかったことは、解決不能な発達トラウマを、その人に生涯残すことのなることを、私どもは覚えておきたいものですね。
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