先日のブログ「戦争と知的障害児たち 忘れちゃいけない歴史 改訂版」で、滝乃川学園の利用生から2名の利用生が兵隊に行かされて戻って来なかった、それは津曲祐次先生の『滝乃川学園百二十年史』にも載ってない、ということを記しました。これは間違いでしたので、お詫びして、訂正します。
津曲祐次先生の『滝乃川学園百二十年史』下巻のp.1068に「園生の応召」の一節があり、やはりそこに「昭和十六年から十九年にかけて、少なくとも2人の園生が応召している」と出てきます。資料は、津曲祐次先生が、戦時中「若葉寮」の保母だった安藤春さんから預かったハガキと、筆子先生の「学園その日その日」です。そのうち1人は「衛生兵」であり、無事帰還し、敗戦後短期間滝乃川学園に在園しています。もう一人は、やはり「戻ってきていない」ということです。そして、「アジア・太平洋戦争戦争下の戦争・軍隊と障害者問題については、さらに他の民間「精神薄弱」者施設における入所者に「応召」の有無などの調査を行い、実証的に究明していく必要がある」と津曲祐次先生は、この一節を結んでいます。
以上、間違いがありましたので、ご報告するとともに、訂正いたします。
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