エリクソンは、日常的に使う言葉を、ライフサイクルの中で使い直すことによって、日ごろ私どもが気付かずに過ごすことが非常におおい、人生の中にある価値や、人生に対する態度を、ハッキリと言葉にすることができました。ものすごい、天才、加藤周一さんくらいの、頭が飛び抜けて良い天才ですね。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、第3章p55の第2パラグラフから。
一般的に私どもが使う言葉に関して、私は理論的元締めのデイヴィッド・ラパポートを引用することにしましょう。彼は、自我心理学の中に確かな場を私に宛がおうとして、彼の読者に注意するようにと呼びかけました。すなわち、「エリクソンの理論は(フロイトの理論も大概そうですが)、現象面で、特に臨床上、精神分析心理学に見るものの見方に及んでいるのに、その言葉の違いについて体系的に区別をしません。したがって、エリクソンの理論の言葉が概念上、どんな位置づけがあるのは、従来ハッキリしません」(エリクソンの中のラパポート,1959)。小著の読者の皆さんも、ラパポートが言わんとすることが分かることになるでしょう。
エリクソンのライフサイクルで使う言葉は、ラパポートが指摘する通り、ハッキリしません。それは、日常生活の心理を取り扱う性質上、言葉遣いを、物理学や化学の言葉のように、ハッキリすることをあえてせず、意識的に ”遊び” を持たせているからなんですね。”遊び”がある方が、日常生活の中にある揺れに、エリクソンの言葉が対応できるからなんですね。
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