ウィークデイの自分と週末の自分がバラバラになりやすいのが、二王国説です。
Young Man Luther 『青年ルター』のp181の第3パラグラフ。
哲学者たちにはに哲学者になるための課題がこのようにあります。すなわち、横の関係で自分を確かにする道が、ヒエラルキーの秩序の中に留まる方法で、縦の関係を横の関係に理論的に繋ぎ止めることになれば、そのヒエラルキーの秩序が価値を得るだけではなくて、その形もできるのも、まさに教会を通しだ、という課題です。この課題を主張するためには、教義を独占することによって、その教義が創り出すあらゆる型通りの役割に、自分自身が元気よく独立しているという感じを、皆が共通して自分を確かにする道が確かに中心にある感じとの結びつきを損なうことなく、保証されなくてはなりません。その役割とは、お役人たちや聖職者たちの中心人物から、軍事的な辺境の植民地や防衛上の辺境の植民地に至るまで、すべての役割を含みます。ローマ教会は、宗教上、政治上、他に比べる組織がないほど、価値の教義(中央政府が、この教義を定式化し、守り、押し付けました)を、自分を確かにする「あらゆる」地上の道の排他的条件とすることに、成功した例はありません。
縦の関係を横に関係に結びつける役割を果たしたのが、ローマ・カトリックだったわけですね。それはその意味で成功でしたが、その結びつきを固定化した点で、失敗でした。
しかし、縦の関係と横の関係が結び付くときには、人々は、どなたでも、自分自身が元気に独立しているという感じを体験できる、ということは、何にもまして大事な点です。
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