エリクソンがライフサイクルの中で使う言葉はあいまいです。しかし、それは日常生活に馴染み易いので、むしろ、応用が効くわけです。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、第3章p58の7行目途中から。
でもね、礼拝とは、発達しているさまざまな自我とその自我が共通して持つ倫理性を結びつけるものだという提案を私どもが受け容れるのであれば、様々な生きたいのち言葉が、最も傑出した形の礼拝だと見なされなくてはなりませんね。それは、いのち言葉が、礼拝のやり取りによって伝わるいろんな価値において、人間とは普遍的に何なのか? ということと、その文化に特有なものは何か? ということを表わしているからです。 このようにして、人間の強さという現象を研究する時には、いのち言葉である普段の言葉は、何世代にもわたって使う中で成熟しているので、議論の土台として一番役立つものなんですね。
いのち言葉は、≪見通し≫と≪出来事≫と結びついた≪話し言葉≫です。ですから、人間とは何なのか? という命題と、文化に特有の価値とは何なのか?という命題を、抽象的にではなくて、生きた実感と結び付けて考える上では、一番いい道具なんですね。
宗教の言葉がいのち言葉でなくてはならないのに、似ていますね。
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