エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み   #生きる秘訣

2019-04-11 08:55:10 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #1人豊か #風任せ
 アメリカの多角的な発達トラウマ障害(DTD)治療と研究,ニッポンの発達トラウマ障害(DTD)治療と研究は貧しい    役立つアセスメントを! 役立つ治療法を!  ......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpediaと

発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典Weblio辞典

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生きているのに

死んでいるあなたへ



マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。






あきらめない

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#刻々の自分 #生きている実感

2019-04-11 08:42:40 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#役に立たない暴露療法 #やっぱり
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「発達トラウマ障害」Enpedia
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 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。

 

p.238の,第3パラグラフ最初の2行。

 

 刻一刻と自分に気づくことが,最初の体感です。


 エリクソンの話と重なり合いますよね。生きている実感は,マインドフルネスみたいに,刻一刻の自分に気づくことに他なりません。

 

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#聖書の神様 と #生きている実感

2019-04-11 07:49:03 | エリクソンの発達臨床心理
 
#日々を礼拝にすること #心の習慣を一体にする行動パターン #会社の不正心の病孤独の蔓延
 聖書の言葉: πρόσωπον 眼と眼を合わせて,心は生まれますから    気功もお奨め   時期を失うことの損失  心の発達にも、身体の発達のように、時期がある......
 

 

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 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきて,かなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。



 The life cycle completed 『聖書の神様の命が一巡することが,できた』 p.96の,第2パラグラフから。その前のp.94のブランクの後からもご一緒に。





心から自由になる正しいやり方で判断が生まれること



 結論の中でもう一度心から自由になる根源的なやり方に戻る時,忘れてはならないのは,心から自由になるための2つの手放せない働きです。すなわち,1つはヒボクラティスの仕事でして,大人たち(患者さんも精神分析家のトレーニングを受けている人も)が子どもの頃に自由に気持ちを出せない不安や気持ちを我慢する不安をなくして,また,今の生き方や人格に不安が悪影響を及ぼすことをなくして,心から自由になることです。もう1つは,同時に,心から自由になる方法は,集団が育つ場合でも,自分が育つ場合でも,過去に発達するはずのところに人が行き詰っていることを,ひとりびとりハッキリさせる,教育的で研究的な方法です。過去の行き詰まりをハッキリさせると心から自由になるという結び付きの中で,興味深いのは,あらゆる大人の時期に奮闘努力することが,前世紀の人生の習慣だった,ということに心を留めることです。このように,1844年のカール・マルクスの手記の中に,「すべて生れ出たものは『変化する』ものであるように,人間にも,変化を始めることがあります。変化を始めることが歴史です。」(ターキー,1981)。「変化を始めること」という言葉に,マルクスはEntstehungsaktという言葉を使いました。この言葉は,「生じる」,「立ち上がる」,「変化する」という意味を1つにした言葉です。ですから,人類がだんだん大人になるというハッキリとした意味があります。かなりユートピアなんじゃない,という話の中で,フロイトさんが言うには,「1つ付け加えて置きたいことは,だんだん自由になるってことは,ひとりびとりを心から大切にしてくださる聖書の神様を礼拝する中で前進する一本道だ,ということです。ひとりびとりを心から大切にしてくださる聖書の神様の目的は,ひとりびとり全うにされた人間を1つに結び付けることです。その後で,家族同士を1つに結び付け,それから,人種同士を一つに結び付け,市民同士を一つにして,民族同士を1つにして,1つの大きな連帯,人類皆兄弟にすることです。」(1930)類皆兄弟という唯一の未来が,全ての大人に要請する,封印された意味は,人間が運命的に赤ちゃん返りすることに,フロイトさんが体系的に没頭したことを広めることですね。それから,初めからある,太古からある様々な気持ちやイメージに体系的に没頭することです。すなわち,人類皆兄弟になる未来の人間や,「善悪を判断する前」で発達が滞っていることについての気付きを思えば,1人の大人として心響かせ,人類皆兄弟の仲間になると自覚することになるはずです。私どもの言葉で申し上げれば,フロイトさんが言ったことの意味は,本物の大人の心からの優しさは,ウソの(あるいは,形だけの)人を見下げて自分を上等とする心の壁を,必ずや打ち破る,ということになるでしょう思い込みで人間を上下2つに分けてバラバラにしてしまえば,他者に対する憎悪を,道徳的に,しかも,一番巧妙に合理化して,大人が弱い立場のよそ者を否定することになります。このように,人間を上下2つに分けて自分を上等とするウソは,私の上に立つ悪い良心によって,人は一番残忍に復讐します残忍な復讐も平気な悪い良心があると,一番ミミッチイ仲間意識,仲間はずれ,自分と違うと見なす人たちを虐める輩になりますから,こういったことすべては,核の時代には,様々な人の生存そのものを危険にさらすもとだと見なさなくてはいけませんね。

 「心から人を大切にする聖書の神様」という,必ず出来事になるあの言葉が,この流れで強調するのは,人は心から自由になるものだという見方は,全ての人を仲間と見なすように心の中で促す聖書の神様のおかげだ,という前提で始まっている,ということですし,聖書の神様がすべての人を仲間と見なすように心から促している以上,この見方は人類皆兄弟を心から大切にする,心からの優しさに役立ちますね。しかし,「心から人を大切にする聖書の神様」という,必ず出来事になるあの言葉が,もう1つ強調するのは,人類皆兄弟を促すもう1つの原理,「必ず出来事になる言葉である聖書の神様」を蔑ろにしてきた,という事実です。「必ず出来事になる言葉である聖書の神様」は,事実を事実として知的に思いのままに組み立てます。この力は今日,ますます大切になっています。それは,科学技術が示すように,人類の歴史で初めて,共に計画して目に見える世界は一つと描く人もいる時代です。しかしながら,技術が神となるイメージの中で示され,マスメディアによって踊らされがちな世界は,全くの嘘八百のヴィジョンとなり,理詰めなのにコンガラガッタ原理に従うことになります。このヴィジョンは,この数ページの中で強調した,人類皆兄弟になるヴィジョンを危険にさらすヴィジョンです。つまり,心響かせない,息を合わせない逆向きの生き方が,聖書の神様の,心響かせ合って生きなさい,心から自由になりなさい,という命令反しているんです。ところが,ビッタリと心響かせることを体得している人間らしい心の習慣の人は,封印が解けて,あるいは,いのちを追い求めて,というべきでしょうが,光を仰ぎ見ることによって,スピリットが生きるように必ずなります。歴史家のコリンウッドが言っているように,「歴史は,心そのもののいのちです。その心とは,まさに,歴史の中で生きていますし,生きている実感があることも知っています」。こういった言葉に接するたびに心深く感じるのは,心から自由になる方法の肝心要だなぁ,ということです。アインシュタインの世紀に備えて,心から自由になる毎日礼拝のやり方が,キリストが特別に心から優しい,と2人が共に気付いて復活することになりますように,2人が共に気づいて復活することが必要になりますように,ということをお祈りにしようとしているんです

 キリストが聖書の神様と同様に心から優しいことに関して,自然科学の革命的な進歩は,もちろん,知的にも倫理的にも,様々な意味がありましたから,最初は,それまで支配的な世の中に対するイメージを危険にされすもののように思われましたし,また,それと共に,≪私が生きている実感≫を唯一の心の習慣にすることを,根源的な次元で,確かにもしましたね。例をあげましょうね。コペルニクスが,人間のど真ん中で聖書の神様の命を一巡させること(大地もど真ん中で一巡させる)ことは,まぎれもなく,「私が生きている実感」が生まれつき自分の中心にされてあることと,お互い助け合うようにます。

 


 

 聖書の神様の命(心からの優しさ)が2人の人に一巡するときに,生きている実感が漲りますから。

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#発達の法則 #自分を生きる

2019-04-11 05:21:02 | エリクソンの発達臨床心理
 
#この世に不思議を見い出す見方 と #信頼 #不思議を感じ取る感性
 現世考: 名古屋大生,発達トラウマ障害(DTD),大反響    私どもの進むべき道   子どもの貧困 No.4  子どもの貧困。今日はその4回目。 それは、子ども......
 

 

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  発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきて,かなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。

 

 Young Man Luther 『青年ルター』p.216,第2パラグラフ,14行目途中から。p.215の第2パラグラフからも一緒に。

 

 

 しかし,中には,このような陰気で不機嫌な悲しみという心の病が,いろんな損得勘定をしているために,悪い習慣になっている人もいますね。こういった心病む悪い習慣の人の中から,どの分野でも,日曜礼拝依存症が集められます。全ての人が,この陰気で不機嫌な悲しみという心の病が,唯一の育ちのイメージになるように努めているのかもしれませんね。ウィリアム・ジェームズが言うように,「ラテン民族は,悪魔が『みんなの病と罪にしても,隅々まで打ち消す』ように悪魔の圧力を粉々にすることができるのに,ゲルマン民族は,『1人の罪,大文字の罪』を立てて,『生まれながらに従う質に埋め込み,二進も三進も取り去ることができないものに』しがちです」。ジェームズが言うことが本当なら,陽気が気質にすごく影響するのかもしれませんね。光が北の冬に消えてしまう危機まで引っ込んで,光が人から切り離されてしまえばしまう程,闇は長引き,冷たさが悲しき運命となりますし,闇と冷たさが,取り返しがつかないと思う程長引き,あるいは,この光を見失った冷たさを,有無を言わせず押し付ける全体主義が長引きます。ルターは,繰り返し陰気で不機嫌な悲しみという心の病になったので,絶望と心の病が悲しき運命だと受け容れましたし,死は眼の前の危機だと受け容れていましたから,ルターが述べてきたことは,最悪を予期した,思想的には最も受け容れ難い思いこと(たとえば,ひとりびとりにとっては,運命予定説で,人が努力しても運命は変わりません)の中に,心の習慣のあの不動の岩盤普段は光が当たらない裏側だったのかもしれませんが,その不動の岩盤,その裏側こそは,北の人々にとって,まさにみんなが飛躍する土台がある,ということした。

     夏が扉まで来ている

     冬は過去となった

     花は咲きつつある

     ことを始めた者は誰でも

     ことを完成させるでしょう(訳注:ドイツ語の詩)

   

 この詩は,冬が去り,夏がそこまできていること,花が咲きつつあること,それから,一つの道を始めたものは誰でも,最後までやり遂げるのは確かだ,ということだけを,表現しています。

 私が悪い良心にいつも打ち勝っている,心が自由にされている時には,悪い良心がバラバラにしていたことも,仲間にして1つにすることができます。つまり,私が主人公ですと,その私はホリスティックですから,バラバラにされたことを壊さずに1つにまとめることができます。ルターが目覚めて復活した時,ルター(悪い良心が自分を押さえ付けているところから目覚めている人みたいに)は,壮大な全体主義に逆戻りしました。この全体主義から,一つの新しい全体像の礎石が引き出されます。全うな人は,様々な全うな状況を平等に心の収めます。すなわち,ルターが主張したように,私どもは,ダメ人間(ラテン語で,躓いた者)そのものであると同時に,聖書の神様の眼鏡に叶うもの(ラテン語で,復活した者)ですから,いつでも,強く非難されていると同時に,恵みに溢れていますし,生きていると同時に,死んでいます。私どもは,どんなに努力しても,1つの絶対的な状況から,別の絶対的な状況に移ることなどできません。私どもができることは唯一,聖書の神様から恵まれた意識を,いまここで使って,人間の条件にある二律背反を,2人の人が心から許し合うことだけです。心理学的に言えば,いつでも,どんなことをする時にも,どんなことを考えても,強いられて,ねばならないと思ったら,決して正気にはなれない,ようにお互いできています。私どもは自分が一番力強いのは,いろんなことを強いられることによって,自分が否定されすぎず,自分が今ここでできることを陽気に楽しみ,ねばならないことを繰り返しお断りして,自分が創造されることにピッタリ息を合わせて,発達するときです



 私を生きることが,聖書の神様の創造になります。

 

 

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